06

文字数 1,713文字

 彼女が僕を連れて向かったのは、病院から暫く歩いた所にある、人気のない公園だった。母のお見舞いに行く時は本当に駅と病院の往復しかしなかったため、こんな所に公園があったなんて、と初めて知った。まだ中途半端な時間だからか、ブランコは人ではなく風に揺らされていた。
「じゃあ説明を順番に……と言いたいところだけど、あなたに私が見える理由は後から話した方が良さそうね。先に、私が何をしていたのか話すわ」
 経年劣化のためか、ところどころ塗料が剥がれた古びたベンチに腰掛けて、彼女からそう切り出した。
「私はさっき病室でちらっと言ったけど、彼岸の人からのメッセージを届けている。だから今回もそうで、お亡くなりになったあなたのお母様の声を、あなたに届けに来た。そのために私は、あの病室を訪れたの」
「じゃあ、あの声は、母さんが亡くなる前に事前に録音か何かしてたってこと……?」
「……今回の場合は、そうなるわね」
「今回の場合は、って、もしかして何かあったの?」
「私が言ったこと、記憶にあるかしら? 『本来、私の姿は此岸の人には見えない』って」
「……あっ」
 気付いたら、確かにおかしかった。母が亡くなったのは、手を握るより少し前のことだったのだ。それなのにあの短時間で、数分はあったであろうあのメッセージを記録することは、どう考えても不可能だった。それならやはり生前に記録したとしか思えないが、使者の姿は人間には見えないというし――。
「それが、あなたが私の姿を認識してしまった理由に繋がるの」
 事実に気付きかけた僕を察したようなタイミングで、彼女の説明が再開された。
「どうやらお母様、過去に使者をなさっていた方だったらしいの」
「え……? いや、母さんは僕が生まれる前もずっと人間で――」
「……使者ってね、言い換えると『時が止まった人間』なの。自分の時間を止めたまま、他の人の声を届け続けるのが役目。そんな使者の役目を降りた時に初めて、再びその人の時間は再開される。使者、つまり『止まっていた時間』のことは誰にも知られずに、ね。だからあなたは、お母様を『ごく普通の人間』としか捉えられないのよ」
 使者という役目の報われなさに絶句していると、それに気付いたらしい彼女はまた寂しそうに微笑んで、言葉を続けた。
「だけど一度でも使者を経験している人は、自分が死ぬ間際になると再び使者の姿が見えるようになるらしいの。それで、お母様はまだ生きていらっしゃった間に、私に『声』を託した。それを私は、あなたに届けて終わりのはずだった。あなたがお母様の手を握らなければ、だったけどね」
「……やっぱり、手を握ってしまったことが関係してくるんだね」
「そういうこと。この使者の役目の引き継ぎ方って、『引き継ぐ人が、対象の使者の手を両手で握ること』なの。だけどこれって、今では使者ではない人でもたまに有効な場合があって、もし過去に使者だった人間の手を両手で握ってしまった場合は……あなたなら、分かるよね?」
「……本来なら見えない使者の存在を、握った人が見えるようになってしまうってことだね?」
「正解。まぁ、幽霊が見えるようになった、くらいの事象でしかないけれど、ね」
 彼女は空に向かってふぅ、と息を吐く。それは色がつくこともなく空気中へ静かに溶けていった。もうすぐ冬がやってくる時期の風はひんやりとしていて、妙に寂しさが際立つような感覚があった。地面に散らばった木の葉が擦れ合って音を鳴らしているのが、片隅の方から聞こえた。
「……ねぇ、使者って、そんなに報われない役目なの」
「……それは人によるかもしれないけど、私は報われないと思う。大袈裟じゃなく、一生終わりがないもの。終わりがなくて、誰にも知られない。自分一人しか知ることがない」
「あなたは何がきっかけでこの役目をやっているの?」
「さぁねぇ……遠い昔の記憶だからもう憶えてないわ」
 ――この時の表情は寂しそうな微笑みではなく、確かな苦笑だったことは今でも鮮明に憶えている。
 僕は考えるよりも先に、口が動いていた。
「その役目、僕が代わりに引き受けちゃダメかな」
 目の前の彼女の表情が、みるみる驚愕の色に染まっていくのが見えた。
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