08

文字数 1,717文字

 *

「あなたのことは祖母から聞いてる。何があって、どうして祖母と交代したのかも」
 空を見続けたところで、僕の脳内ではただ、上手く纏まらない言葉が点在してそこに漂っているだけだった。しかし、改めて自分の過去を思い出し、彼女のその言葉を受けたことで、やっと出てきたのは一つの感想だった。
「……そうか、君は、あの人のお孫さん、か……」
 そう口にして初めて、それだけの時間が経っていたことを自覚した。あの人、いや、彼女曰く礼華さんは、ぱっと見だけの判断だが、僕と然程変わらないくらいの年齢だったように思っている。そんな人の孫が今、それこそ僕と変わらないくらいの年頃で目の前にこうして現れた。
「……びっくりしたなぁ。あの人……礼華さんが人間に戻って、いつの間にか孫までできてて、その孫があの時の礼華さんと同じ年齢くらいになるまで、時間は経っていたんだね」
 そういえば、使者の役目をこなしていくにつれ、どんどん周囲の環境も変化していっていることは分かっていた。世の中はみるみるうちに便利まっしぐらだ。ただ、それが具体的にどのくらいの時間であるということは全く把握していなかったのだ。いや、「把握していなかった」よりも「分かろうともしなかった」の方が、もしかしたら正しいのかもしれない。だから、彼女が「数十年前」と言っても、全く実感が湧かなかったのだ。彼女は苦笑しながら返事をした。
「そうだよ、もう、そんなに時間は経っていたんだよ」
「僕の時間はずっと止まったきりだから、どれだけ経ってたかなんて意識したこともなかったや」
 もう一度空を見上げた。日が昇って朝が来て、日が沈んで夜が来る。僕の時間はそれだけだった。この国には四季というものがあって、季節によって太陽が顔を出している時間が移り変わっているが、時間が止まってしまった人には、そんな時間の差なんて最早認識もされないのだ。ひたすらに、朝と夜を繰り返す。そうすると何日経ったかなんてもう、暫くすれば忘れてしまう。今日はこれから、あの日から何日目の夜を迎えるのだろう。果てしない答えを思い浮かべようとしてやめ、代わりに息を吐く。
「……でも、どうして君は僕に……いや、順番に訊こう。まずは、どうして君が僕を認識できるようになったのかってことだけど、それはやっぱり礼華さんから?」
「うん、それで合ってる。私は祖母から、使者が見える資格を引き継いだ」
「じゃあ、礼華さんはもう僕が一生見えないってことだよね?」
 そう言いながら、今久しぶりに思い出した約束を思い返す。奥の方で胸が軋んだ感覚を覚えた。叶える気などなかった約束のはずなのに、勝手に寂しくなっているとんだ馬鹿なことをしている自分がここにいた。
 しかし、僕の問いに対して彼女は静かに首を横に振る。
「いえ、違う。もういないの」
「えっ?」
「祖母は丁度十年前に、この世を去った。逝去直前で私はこの資格を祖母から引き継ぐと同時に、悟さんのことを聞いたの」
 あなたがお母様から引き継いだのとほとんど似た感じだね、と彼女は穏やかに言った。
「礼華さん、え、もう、亡くなって……?」
「うん。亡くなる数年前から病気を患ってしまって、年齢的にはまだ若い方だったんだけど、残念ながら……ね」
「……そう、か」
 どうしてかやたら動揺していた。人が亡くなるというこの世で当たり前であるはずの事象には、この役目を果たしている以上はとっくに慣れているはずだった。それなのに、どうして遠い昔に一度会っただけの人が死んだくらいでここまで動揺しているのか。それが、「自分と無関係の人ではないから」だと気付いたのは数秒ほど後だった。
 僕が琉生という人に出会わず、礼華という人物も僕に一生知られることなく人の体を手放していたなら、僕と彼女は確実に「無関係」の存在であったはずだ。一度授業で一緒のグループになったきり、今後二度と会うことがなかったという事象に紛れもなく近いほどの、無関係さ。それが、この琉生という存在によって、僕と礼華さんは「赤の他人」ではなくなってしまったのだ。
 頭部から帽子を外し、あの日からずっと付けていたバッジにそっと触れる。横にいたはずの鈴は、もうとっくになかった。
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