09

文字数 1,504文字

「……約束、僕が一生叶えることなく、いなくなってしまったか」
「『約束』って、最後に祖母が言ったこと? もしかして憶えてたの?」
「あぁ、そのこともちゃんと聞いてたんだね。そう、最後に礼華さんが言ったこと。『いつか会おう』って。でも僕は会いに行こうとは全く思ってなかったし、君に会うまでは約束なんて忘れてたよ。『返す時は鈴を鳴らして』って言ってたけど、礼華さんが亡くなる前にとっくにどこかで落としてたはずだし。そんな最近に落とした憶えもないからね」
「……ごめん、基本答える側でいるつもりだったけど、こちらから質問させてもらうね。どうしてそこまで、あなたは祖母に使者の資格を返そうとしなかったの?」
 彼女の声は控えめだったが、その言葉は確実に僕の心の扉を叩くものだった。彼女もそれを何となく分かっているから、恐る恐る問いかけたのだろう。帽子の縁をぎゅっと握り、なんとか声音を変えないように意識をしながら口を開いた。
「……意味なんてなかったからだよ」
「意味……?」
「うん。あのまま矢野悟として生きていくことも、使者の役目を背負っていくことも、大差ないと思ったから。どうせ独りぼっちなのは変わらない。それなら、礼華さんみたいに『誰にも知られないことが辛い』と思う人が人間として生きた方がいいと思った」
「……こんなこと訊くのも失礼だけど、悟さんも若かったんだし、パートナーを作るとか、そういう選択肢も残されていたんじゃないの?」
「それはないよ。僕、浮気した父さんにあっさり置いて行かれた子どもだったからね。人一倍、愛情に対する不信感は強いと思う。それに、誰かと一緒にいることなんて全く思い描けもしなかったよ」
 彼女に向かってそう言って、そこで初めて気付いた。僕がこの役目に執着する理由は、母さんが僕を守ろうとしてくれた世界に、約束を破って永遠に足を踏み入れたことから来る罪悪感ではない。他人と関わることに対する恐怖からの逃亡だった。北条琉生に出会って、僕が本当に知ることが怖かったのは、このことだったのだ。
「……そうか、僕は――」
 僕は、自分の大切な人と向き合う手助けをしながら一人、自分の時を止めてまで逃げ続けていた。孤独を実感することから逃げるために、あの日に「自殺」を選んだのだ。
「……やっぱり、核心に触れてしまう質問だったのね、ごめんなさい」
 横からしょげた声が聞こえ、思わず慌ててそちらを見た。目を伏せて俯く彼女の姿が映った。
「あ、あぁ、いや……いいんだ、本当に……」
 気にしないで、という言葉がどうしても言えず、しどろもどろな返答しかできなかった。その返答がまた気にさせてしまっている要因になっているのが分かり、それをどうにかしようとすればするほど、僕は何も言えなくなってしまった。彼女の方も恐らく、目の前の相手に何をどうやって言えばいいのか分からなくなったのだろう。僕たちは少しの間、沈黙の中に身を置いていた。
 しかし、沈黙の中にいればいるほど、初めから抱いていた疑問は存在感を増し続けてゆく一方だった。こうして自分の真実に気付いたら尚のことだ。それは分かっているのに、どうしてもその疑問を投げかけることができない。多分、彼女も本当は、この理由を伝えに来たはずなのに。
 悩んで、考えて、ようやく口を開いた。
「……ねぇ、教えてくれるかい」
 彼女は一時の間を置いた後、「いいよ」と頷いた。
「君は……琉生さんは、どうして僕に会いに来たの」
 僕が一番訊きたかったことを投げかけると、彼女は覚悟を決めたように軽く頷き、こちらを向いた。
「――そしたら、少し長くなるけど、祖母が亡くなる直前のことから話してもいいかしら」
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