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文字数 1,521文字

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 その日は雨でも嵐でも何でもなく、ここ数日の天気と同じく、晴れの日だった。そんな穏やかな気候の中、母親はこの世から旅立った。
 元々持病で入院していて、ここ数日の状態から、もう少ししたら灯が消えてしまうであろうことは察していた。察してはいたが、覚悟はしていたが、いざそうなってしまうと、悲しさと悔しさが入り混じったような青さはとめどなく溢れてきた。一度視界が震えて滲んでしまったら、もうダメだった。
 家庭は僕と母の二人の母子家庭で、父は幼い頃に離婚し、当時の時点で既に別の家庭を持っていた。しかし、身勝手な理由で離婚した父のことを快く思わずに父と絶縁した父方の祖父母が、もういない母方の祖父母の代わりに、僕たち二人の援助を進んでしてくれていた。僕たちの家庭環境はそんな感じで、少々捻じれているものだった。
 そんな環境だったからこそ僕と母は恐らく、他の家庭よりも少しだけ、お互いを強く支え合ってきた親子だったのかもしれない。健全な親子の域を出ない範囲で僕も母も、本当に頼れるのはお互いだけだった。そんな存在であった母を、僕はこの日に失ったのだった。
 強いやるせなさとどうしようもなさにすっかり包まれた僕は思わず、力なく横たわっていた母の手を両手で握り締めてしまったのだ。
 母は生前、僕に対して一つだけ禁じていたことがあった。
『悟。何があっても、お母さんの手を両手で握ることだけは絶対にしないでね』
 幼い頃から何度もそう言われ続けてきた。理由はずっとはぐらかされたままで。
 ルールという名前の決まりで禁じられ、制限があるからこそ、人間はその柵を破りたくなる。「少しくらいは」。そんな甘えが芽生えてしまえば、背中を押されて飛び込むことなんて容易い。僕は渦巻く感情に背中を押されてしまった。
 握った瞬間、どこから発生したのか分からない光に視界を奪われた。眩しいと思う暇さえ、どこにもなかった。少しして、眩さが落ち着いて元の視界を取り戻した時、僕は目の前を見て驚愕した。
「うわぁっ!?
 母の体の向こう側、窓枠の所に、今さっきまで誰もいなかったはずの人が座っていたからだ。
「――お母様との約束、破ってしまったのね」
 そう言いながら、寂しそうに微笑んで。
「あ……あなたは、誰……?」
 どうして母との約束を知っているのか、という疑問よりも先に、僕はそう言っていた。
「私は……『使者』、とでも言えばいいかしら。彼岸へ行ってしまった人が此岸にいる人へ伝えたいメッセージを届ける役目を果たしているの」
「し、使者?」
「本来、私の姿は此岸の人には見えないのだけどね」
「え、じゃあどうして僕は……あの光が……?」
「……そうね、もう見えてしまっている以上、仕方ないのね。ひとまず、これを聞いてもらってから色々話しましょうか」
 彼女はそう言いながら、自らの手をスッと胸の前で掲げた。するとたちまち、そこに光の球ができていった。それがボールほどの大きさになると、彼女は軽く放り投げた。放り投げられた球は母の体の上でパチンと弾けて、部屋中に光の粒が散らばった。
『……悟、聞こえてる?』
 すると、小さな病室に母の声が響き渡ったのだった。驚きで声を発しそうになった刹那、窓枠の彼女が自身の唇に人差し指を立てた。「静かに」という指示だった。
 そうして流れていた母の声が終わっても尚、僕の中から驚きは微塵も消えていなかった。
「こ、これ、どういうことなの……?」
 流れていたのは紛れもなく母の声で、言葉もやはり母のものだった。彼女は一瞬の真顔の間を置いてから、薄く微笑んだ。
「分かった、説明しましょうか。でも私の姿はあなた以外の誰にも見えないから、ちょっと私についてきてもらえるかな」
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