01

文字数 1,517文字

 しん、という擬音語が相応しい静寂の広がる、ある一つの部屋の中。そこには一人の女性がおり、彼女は簡易的に作られた仏壇の前に座っている。そうして暫く写真の中の人物を見つめた後、スッと手が前方へ伸ばされ、その手はお鈴をそっと打ち鳴らした。金属の音が、目には見えない波紋を伴って部屋中に広がってゆく。その音の中で、彼女は瞼を閉じて手を合わせていた。
 また暫くして、彼女は再び目を開く。
「……悠哉(ゆうや)、本当に、あなたって人は……」
 そうぽつりと零したと同時に、震える睫毛の間から涙が一粒落ちた。彼女は声を押し殺して泣いていた。合わせていた手が下ろされて自身の衣服に触れると、そのままその箇所の布をぎゅっと握り締める。
 人が死ぬと悲しい、それは分かっている。分かっているけど、この人の悲しさは美しいと思った。
 そう思いながら、僕は彼女の後方に立っていた。
 彼女が「悠哉」と呼んでいた、その人物を横に連れて。
「……奏恵(かなえ)、ごめんな」
 一人きりの空間で悲しんでいる生前のパートナーを目の前にして、彼はそう謝る。その声は、彼女に届くことなく、ただただ静寂に溶け落ちてゆくだけだった。彼女を見ることはできるのに、彼の声はどうやったって、届くことはない。
 ただ一つの、方法を除いては。
「では、そろそろ届けましょう……悠哉さん」
 僕はそんな彼の様子を窺いながら、隣に向けてそう言った。ちらりと彼の顔を見ると、今にも泣きだしそうになりながら、こちらを見て頷いた。その顔にはどこか笑みが含まれていて、あまりにも儚げな泣き笑いだった。彼の細い糸が一本切れただけでも、きっとその涙は一気に零れてしまうだろう。
 そうなる前に、僕は、この役目を果たさなければならない。
 僕は自分の右手を前に差し出す。すると、徐々に掌に光の粒が集まって大きくなってゆく。丁度掌に乗る程度の大きさにまでなったことを確認すると、光の球を持ち上げ、斜め上方向に軽く放り投げた。放り投げられた光の球は、彼女の頭の少し上でパチンと弾けた。光の粒が、宙に舞う。
『――奏恵、』
 すると部屋の中で、今さっき呟いていた彼と同じ声が響き渡る。静かに泣いていた彼女は、驚いてバッと部屋中を見渡した。そりゃあ、驚くことだろう。この部屋には誰もいないし、自分のパートナーももういない。それなのに、そのパートナーの声がどこからか聞こえるのだから。
「ゆ……悠哉? でも、悠哉は、もう……」
『ごめんな、ずっと隣にいるって約束したのに、こんなにも早く奏恵の前からいなくなることになってしまって。だけど最後にもう一つだけ、我儘言わせてほしい』
 彼女の呟きの最後に被るようにして、彼の言葉の続きが再生される。彼女は、これで空耳ではないことをはっきり悟ったらしく、驚きで固定された表情のまま、その声を聞いていた。
『暫くは、俺のせいで悲しくて、俺のことを思ってくれているのかもしれない。だけどいつか、奏恵が幸せになる選択肢を見つけられた時が来たら、その時は胸張ってその選択をしてほしい。奏恵の幸せは奏恵が作っていいんだから。それだけはどうか、憶えておいてほしい。俺のそんな最後の我儘、聞いてくれたら、嬉しいな……』
 そこで彼からの言葉は途切れ、再生中にずっと待っていた光の粒は、空間にそっと消えていった。少しして声が消えたことを分かった彼女は、堰を切ったように泣き出してしまった。そんな彼女を見て、横にいた彼も、少しだけ笑いながら泣いていた。彼は泣きじゃくる彼女に近寄り、その頭を優しく撫でる。
 そんな様子を確認した僕は、二人の邪魔をしないよう、静かにその場を離れた。そして、まるで終わりの合図かのように独り言ちる。
「……任務、完了」
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