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文字数 1,902文字

 *

 すっかり景色が昔に戻ってしまった街並みを遠目で眺めながら、僕はある場所に向かって歩いていた。何度も通ってきた場所のはずなのに、開発する後と前では、全く別の場所であるかのように姿が変わるのだから困ったものだ。過去の記憶をなんとか探り出し、無事に着けることを願いながら歩くしかなかった。
 僕は自分の名前を取り戻し、母を失ったあの日の自分の時間にもう一度戻ってきた。数十年という時間の中で起こった変化は全て、夜の夢と同じように時の彼方へ消えていってしまった。長い間使者として過ごしていたけど、本当に夢だったのではないだろうか。なんて、少しだけ馬鹿になってみて、少しだけ笑った。

 矢野悟を再開したその日、帰宅したらやはり母さんがいないことに変わりはなく、火葬が終わって一つの箱の中に収まった姿がそこにいた。でも、家の中はそれだけではなかった。
「お帰り、悟くん。用事は無事に済んだ?」
 父方の祖父母が家にいてくれていたのだ。二人の姿を見て、火葬が終わった後に「少し寄りたい所がある」と行って、あの公園に向かったのだということをそこで思い出した。僕はそう言ったきり使者となって姿を消したのだと思うと、申し訳なさが募った。この優しさを、僕も母さんも、上手く受け止められなかったんだな。
 この後、僕は思い切って言った。「母さんがいない今、二人を頼らせてほしい」と。
 僕が面と向かって頼ってきたことが余程珍しかったのだろう、祖父母は共に驚いていた。しかし直後に笑顔で頷き、祖母は駆け寄って抱きしめてきた。
 そして「私たちの大切な孫だもの、当たり前でしょう」と、言ってくれた。

 母と暮らした自宅は引き払い、戻って数日後からはもう、僕は祖父母の家で暮らすことになった。といっても、僕の家と祖父母の家は同じ県内にあるため、距離的には電車で簡単に向かえる程度の移動だった。生活拠点は祖父母宅に移動したが、僕が今歩いているのは、元の家があった地域に近い場所だった。
 琉生さんと別れる前に訊いたこと、それは。
『礼華さんって、人間に戻った後にどの辺で暮らしていたか知っているかい?』
 大抵、自分が若かった頃の話は家族にしているもので、案の定彼女も礼華さんからそういった類の話は聞いていたらしかった。彼女の答えで出てきた地名は、僕の元の家からそこそこ近い所だった。その後の二、三言で僕の意図を知った彼女は、「それなら、」と笑って教えてくれたのだ。
『――って銭湯、探してみて。おばあちゃん、おじいちゃんと出会う前くらいの若い頃、そこでお世話になってたって聞いたことあるの』
「最近」でこそ滅多に見なくなったが、僕が元々生きていたこの時代は、まだ街中に銭湯がたくさん存在していた。僕はひたすら、彼女が教えてくれた名前の銭湯を探して歩きまわった。すると暫くして、同じ名前の銭湯を見つけることができた。営業していることを改めて確認してから、中に入る。
「いらっしゃいま――」
 そう笑顔で出迎えてくれたのは、遠いあの日に見た記憶がある女性の顔だった。彼女は僕を視界に捉えた瞬間に、今の今まで見せていた笑顔の代わりに、驚愕の表情を顔面に出す。
 そりゃそうだ。少し前に自分と代わった人が、何故か使者ではなくて人間の姿で目の前に現れたのだから。
「えっ? な、何であなたが……ここに……?」
「あはは、そりゃびっくりですよね。礼華さん」
「え、どうして私の名前を知って……? というか、え、なんか雰囲気が、明るい……?」
 確実にあの時に変わったはずの人が、言った覚えのない自分の名前を知っていて、一度も見た覚えがなかった笑顔を携えている。そんな風に色々驚いているらしく、言葉が途切れ途切れになっていた。「別人に見えるかもしれませんが、あの日に変わった少年ですよ」と言って、僕は続ける。
「僕、あなたとの約束を守らずに、長いこと……数十年ほど、使者の役目をやり続けてきました。でも、あなたの孫に資格を引き継いで、もう一度ここに戻ってきたんです」
 母を亡くしたあの日の僕と、長い間使者を務めていた彼女は、共に孤独だった。その孤独を認め、そして誰にも知られることのなかった過去を共有することができれば、僕たちはもう孤独ではなくなる。だから僕は、過去に戻ったら彼女と会おうと思ったのだ。
 驚きの表情から全く変わらない彼女に向かって、僕は言った。
「約束を守らなかった分、僕は『使者であったあなたの存在を知っている人』になりに来たんです。僕は矢野悟。唯一、あなたが使者であったことを知っている人です。
 ――時々でもいいんです。僕とお話ししませんか、園崎礼華さん」

 fin.
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