第18話 夏休み明け(共)

文字数 2,459文字

 九月一週。
 夏休みが明けても特にクラス内は変らなかった。それでも久々に会うクラスメイトに少しばかりほっとしている自分が居る。
「そう言えば葵は何か部活やっているのか?」
 一学期の体育の授業での葵の身体能力の高さに幾度か驚かされた。その反面、球技だけというわけでは無いがルールをあまりに知らなさすぎる事にも驚きを覚えた。
「大きな声では言えないんだが部活はやっていない」
 確かこの学園では何らかの部活、特に運動部にほぼ強制的には加入する事になっている。中には見た目が文化部の人も少ないわけでは無いが、それでも大体は運動部に入っていた。
「それいいのか? 部活を引退するまでは何処かに入っておかなければならないと聞いていたけど」
 葵は首を横に振る。
「だから大きな声で言えないんだよ。それに俺は学園側から許可は貰っている。二人が信頼に値すると思っているから言うんだけど」
 信頼という言葉に少し戸惑いを覚える。ある種の校則違反している秘密を共有する形になっている、つまり悪い事を共有している感覚があるからだ。
「何だかもったいない気がしてな。凄い身のこなしに足も速い。ちゃんとルールも覚えれば超一流になれるだろうに」
 自分でもここまで相手を褒めた事は一度も無く、言った言葉を振り返って気恥ずかしさから思わず天井を見上げた。
「お世辞でもそう言われるのは悪くないな。けど、これは自分自身のために鍛えたものじゃないからな」
 素で葵の言っている事の意味が分からなかった。自分自身のため以外にやるのか? スポーツと言う物は目的を問わず自分のためにやるものだと思っている。だったら何故この様な言い方をするのだろう。
「まぁ、運動神経が人より良いと自負する俺達よりも運動が出来るんだだぜ? 今までに何か嫌な事でもあったんだろ。例えば、イジメとかさ」
 湯村が耳打ちをする。
 確かにここまで抜きん出て運動出来るのだから、敵も多かったのだろう。だが、俺は葵に対して嫉妬はしていない。それは葵の体育での姿勢を見ていたからでもあるからで。
「本音を言えば一緒に野球をやりたかったなって。あ、言わない方が良かったか」
 葵は妙に涙もろい部分があった。それも泣いている時は知らないはずの幼い姿がぶれて見える、そんな気がする。
「泣くなとは言わないけど、変な誤解は嫌だな。なぁ、太田?」
 同意を求められても反応に困る。
 夏休みを経て湯村とは仲間としての連帯感が増した気もするが、時折このタイプの返答に困る同意を求められる事も多い。

          ***

「さて、あとふた月で秋季大会も始まる訳だが、今年の夏休みに練習試合を入れなかった理由が分かるか?」
 扇町監督が夏休み明け一発目の練習を前に全部員をグラウンドに集めた。野球部員たちが監督を中心に弧を描いた所で、静かに監督は一人の部員を名指しした。
「おい、喜多岡」
 名前を呼ばれた瞬間から皆の視線が喜多岡先輩に集まった。
 喜多岡先輩は小刻みに震わせて理由を必死に考えている。
「もういい」
 二秒ほど待って喜多岡先輩の発言を止める様に言い放った。
「じゃあ、キャプテン」
 キャプテンは喜多岡先輩と違って指名を受けても眉根一つ動かさない。
「俺達が練習試合を組めるほどのレベルでは無い。そう言う事でありましょうか?」
 監督の右の太い眉の眉尻がピクリと上がった。
「半分正解だな。違っているのは一年達が思ったよりも伸びていない事だ。俺はお前達と同じように、いやお前達以上に甲子園に行きたいと思っている。だが、学年が上がるほどその気持ちは失せているのだろうな」
 半ば呆れた様なトーンで話を続けていく。
「俺は夏休みの間にそこまでキツイ練習は組まなかった。それは甲子園に出ている監督が放任で甲子園に行ったと言うから、お前達で試したらどうだろうと思った。結果はどうだ? 後輩を雑に扱うなとは言わん。だが、自分を磨かずに蹴落とす悪知恵ばかり働かせやがって」
 監督は部員全員を見渡し、それから二年生の塊に視線を止めた。
「だからな、秋季大会までに練習試合を組みながら夏休みにやる予定だった練習を詰め込む。それから、一年」
 一拍を置いて俺達の方に監督が視線を移す。
「戦力に数えられるレベルとは思わんが、試合で使える程度にまでは持っていく。解散」
 応やらハイなどそれぞれが返事をすると部員がグラウンドに散っていく。
 俺達の足取りが軽くなった。チャンスと言えるかは分からないが、挑戦する機会が与えられたのだ。
「そうか。秋季大会まであと二ヶ月なのか」
 高校野球の日程については夏の予選と甲子園、それからセンバツ以外そこまで詳しくは無い。そもそも、そんな事を考えるよりも練習が今の俺なのだ。
「なんだ? 知らなかったのか」
 湯村は驚きの表情を見せる。他の奴らも似たようなリアクションを取るもさして気になる事では無かった。
「夏の大会が近い時はしんどかったけど、先輩達の空気がピリピリしてたから大会が近いと感じられたけど、今回は違うのか」
「アハハ、確かにそうだな。まだ秋季大会まで日にちがあるけど、やっぱ最後とまだ後があると空気は違うよな」
 湯村達の反応とは真逆の言葉が前から聞こえた。
 浅黒い肌から白い歯を二ッと見せるのは門倉だ。門倉の両隣に居た細田と山岡もいつもはあまり見せない笑顔だ。
「分からねぇよな? この状況で人を笑い者にしているんだからな。監督は俺達の事を戦力に考えてないと言ったが。あれは事実であって、本音じゃない」
 山岡の言葉の真意を理解しかねていると、武藤がやや遅れてやって来た。
「まぁ、難しく考えるなって。鉄心はどうにも理屈っぽいとこあるからな。まぁ、お前らにもチャンスあるから頑張れよって事だ。二年だけでベンチ入りを埋めるのは無理だからな」
 山岡の言いたい所の大まかな部分は分かった。けど、今はそこを狙うよりも練習あるのみだ。
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