第13話 聖王高校と引退(共)

文字数 2,617文字

 七月二週。
 平日だが今日は野球部の試合が入って日曜の休みが今日にずれ込んだ。相手はもちろん聖王高校で、先発は背番号一番の草刈がマウンドに上がっている。
「エースは草刈か。一年なのにな」
 応援席から試合の行方を見守る。背後には学校からの応援団も来ており、ブラスバンドの音が鳴り響く。
 両チーム整列の前にグラウンド整備、それからホースで水が撒かれる。甲子園ほど水はけは良くないので霧状だ。
「暑いな。グラウンドはもう少しましなんだろうけど」
 両者が整列し、挨拶から試合が始まった。
 初回は同じような始まり、だが対照的だった。
 聖王はエースの草刈が自慢のストレートで三者連続三振、養成学園は打たせて取る投球で三者凡退。しかし、養成学園側の選手は一様に黙り込んだ。
 扇町監督は初回の攻撃を見て選手たちが呑まれているのを感じた。三番に座る中村までもがインコース後のアウトローに踏み込めていない。今までの経験上、このインパクトが最後まで響く可能性が大いにあった。誰か一人でもヒットが出れば選手の耳に言葉は届く。だが、いつ出る?
「お前ら、相手は一年坊主だぞ? 好き勝手されて悔しくないのか?」
 円陣を組んだ時にその言葉しか掛けられなかった。それが悔しい。
 七回、三点リードされてようやく草刈に疲れが出始めた。
 変化球が引っ掛かって先頭打者が出塁した。この回に一点でも返せれば流れを引っ張れる。しかし、バントをさせるのには少し不安があった。電光掲示板に球速表示は無いが、一五〇を超える球を投げ込んでいるのは感じる。
 マシンでの練習はさせている。不安があったのはこの回は球にバラつきが出ていた事。
 コツン。
 初球は高めに抜けた球をバントし、ファール。もう一度同じサインを出す。
「この回が山場だぞ」
 言い聞かせる様に呟く。右腕がうずうずとしている。勝負時だと感じた時によく起きている。
 カン。
 高めのストレートをバントした。打球は落ちるか落ちないか。
 草刈が突っ込んだ。一塁ランナーはやや飛び出し気味の位置で走れる体勢を作る。
 打球は、草刈がノーバウンドで捕球した。右手を掲げてアウトをアピールした。
「アウト」「ファースト!」
 一塁ランナーは二塁方向に体重を掛けている。アウトの判定を耳にして急いで戻る。
 草刈は直ぐに起き上がると一塁に送球した。
 慌てた送球は逸れた。
 ヘッドスライディングを試みた一塁ランナーは起き上がると二塁に目掛けて走った。
 ワンアウト二塁。
「あぶねぇ。冷や冷やさせやがって」
 ここで六番の亜原に回った。
 亜原に関しての俺の評価は非常に高い。選手の勝手な練習は一つ一つにチェックを入れているが、奴の考案する練習にはそれを行わない。彼なりの独自の考えがあるのだろう。
 サインは打て。それだけだった。あいつなら最低限ランナーを進める。それは確かなのだ。
 初球。アウトローへのストレート。今までで一番の球じゃないのか?
 ……。
 試合は三―一で終わった。七回の攻撃は亜原のタイムリーで一点を返した。
 そこから配球が変わった。緩急を付けた投球にヒットすら出なかった。

          ***

 翌日。
 グラウンドで部員が集まっていた。輪の中心には中村キャプテンが立ち、向かい合う位置には亜原先輩が立っている。
「俺達は今日で野球部から引退する。扇町監督を甲子園に連れて行くという目標は果たせなかった。俺が悔しかったのは一年坊主に負けた事だ。だから、お前達には草刈をぶっ倒してもらいたい。頼んだぞ、亜原。それから、扇町監督。二年間ありがとうございました」
 厳しかった先輩達が泣いていた。何というか不思議な感覚だ。
 亜原先輩が話し続ける間に周囲の人間を何の気なしに見ていた。三年生の多くは涙を流している。それだけ一生懸命野球に打ち込んでいたのだろう。
 練習が終わると今まで基礎トレだけだった一年生も練習に混ざる。普通にグラウンドを走る。それがただ楽しかった。日が暮れるまでボールを追いかけ、練習が終わればグラウンド整備をする。今までの雑用までも新鮮に思えるから不思議だ。
「洗濯物が減ったのも悪くないねぇ。けど、マネージャーさんが居たら少しは違うのかな」
 夜の洗濯場には一年生が集まる。情報交換の場としても、日々のストレスのはけ口にもなっているこの時間が俺は楽しかった。
「そう言えば、聖王高校戦の前まで女子生徒がこっちを応援してくれていたけど聖王戦ではすっかりあっちに行ってたね」
 湯村がぼやいた。それに同意する様な頷きがそこここで生まれる。それは俺も感じていた。けど、そこまで深刻には思わなかったけど。
「あれじゃね? ほら、監督の言ってたさ。勝者と敗者。負けた側には何も残らないって」
 奥野が洗濯物を叩きながら監督の口真似をする。荒れそうになっていた雰囲気が和む。
「俺の彼女もあっちに回ってたよ」
 小野道が口を挟んだが、誰一人として反応はしない。その事に彼は舌打ちするが誰も気に留める様子も無い。
「結局のところ、俺達が勝者側に回るにはあいつを打てなきゃ話にならないという事だろ? 一つ分かったのは聖王はあいつ一人しか投手を用意していないみたいだ。絶対的なエースにしたいとかそんなところだろう」
 山岡が冷静に思う所を告げる。同時に周りの反応も見ている様で作業の手をちょこちょこ止めている。
「元々、聖王の監督はいい投手が入ると使い潰す位の勢いで起用している所はあるからな。甲子園での試合数と日程を思えば投手は複数用意しておくべきだな。勝率と故障を考えると」
 門倉が山岡にプラスして言葉を継いだ。以前に山岡が言っていた本気で甲子園を目指す一人な様で、高校を選ぶ際に色々と調べたのだろう。
「そんで、お前はどうなんだ? 全部の試合を一人で投げたいか?」
 誰かが口を挟む。その言葉に門倉は考え込む。
「大事な試合は全部投げ切りたい。それに信用できない奴が投げる位なら俺が投げたい」
 武藤がチラッと門倉の顔を見た。門倉も多分気が付いているだろうが、何の反応も無い。
「ま、次は秋季大会だ。この中の何人かはベンチ入りするだろう。恨みっこ無しだ」
 後一月半ほど経てば秋季大会が開かれる。ベンチ入り自体は難しいかもしれないが、出来る事は全部やろう。
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