第17話 お弁当

文字数 2,917文字

 八月四週、週末。
 夏休みの最終週。一応はこの学園でも夏休みの宿題は出ている。しかし、卒業に必要な単位は結構適当らしく、同室の喜多岡先輩の話を聞くにやっていないという。
「ウチは宿題やってるで?」
 セミがうるさい中でまたトモに会いに来ていた。
「俺なんて初日にペラペラとテキスト捲って終わり。何書いてるかも分からなかったわ」
 トモは笑っていたが、俺が目を細めて見つめると笑うのを止めた。
「あ。ごめんなさい」
 急にいつもの喋りから標準語で喋られると流石に困るし、俺が悪役に思えて仕方が無い。
「別に怒ってるわけじゃない。馬鹿なのは分かっているし、理解しようともしていないからな」
 トモは両の手のひらを見せてブンブンと振った。
「ちゃう、ちゃうねん。ウチかて勉強得意やないねん。同室の朱梨がお節介焼きやねん。それで半ば強制的に勉強させられてんねん」
 気にしていないのにこうもフォローされるというのは何とも言えない。余計に自分が悪い事をしている。そんな気分にさせられる。
「あ、そうだ。その朱梨さんって子、紹介して貰えない?」
(ウチにそれを頼むんか? 嫌やなぁ)
 トモの表情がやや曇った様に見えた。だがそう見えた瞬間にはいつもの表情に戻っている。
「前にも言ったけど嫌や。何でウチが朱梨をハル君に紹介せなあかんねん。だから、お断りや」
「ちぇー」
 文句を伝えてもトモはケラケラと笑っている。そこに不快さは無く、むしろ愉快な心持がした。
「ま、そう言わんといてや。代わりと言っちゃなんやけど。これ、食べる?」
 トモはそう言うとベンチ脇に置いてあった布の四角い包みを取り出した。
「何か大きくないか?」
「そ、そうかなぁ? ウチ、燃費悪いねん。せやから弁当箱も大きくなるんやよ。別に私が大食いなわけやないで?」
 トモは大きな手で包みを解くと二段の重箱が姿を現した。
「あんま、見んといてな」
 食べると言いながらも見るなとは難しい注文だなぁ、と内心思いながらもトモの次の動きを待っている俺が居た。
 包みの中身は黒いシンプルな装飾が施された重箱で、トモは蓋を掴むとゆっくりと持ち上げる。
 ⁈
 一段目は俺の掌並みの大きさのおにぎりが六つ、隙間には漬物が添えられている。
「大きかったかな? 運動するからこれ位食べないともたんね」
 同意するには少し困る大きさであったが、食べる事も練習と考えればいける?
 トモは俺が考え事をしている間に一段目を両の掌で挟む様に持ちあげた。すると二段目がひょっこりと顔を出す。
「あっ」
 思わず声が漏れる。
 中には色とりどりのおかずがぎっしりと詰まっている。赤、緑、黄の三色に茶色い揚げ物まで入っており、更には一段目が持ち上げられた事によって一気に旨そうな匂いが広がる。
「トモが作ったのか?」
 コクリとトモが頷いた。
 すると一つの疑問が浮かんだ。キッチンは寮と校舎にある食堂にしかないはず。もしかしたら調理実習室があるのかもしれないが、男子校舎にはそれが無いので確認のしようが無い。
「調理場なんて生徒が自由に使えたっけ?」
 そう。調理できる場所は自由には使えないはずなのだ。
「あー。男子はちゃうんやな。こっちは女子たる者自炊できるべしって考えで調理場は生徒が自由に使えるんよ。時期によっては申請がいるらしいんやけど」
 なるほど。何処か古臭い様な空気と言うか考えが学園内にあった様な気がしたが、得心がいった。が、美味そうな物を前に考え事など出来るほど器用ではない・
「有難く頂こうかな。いただきます」
 一言言ってからおにぎりを掴んだ。形としてはやや不格好で、だけど手作り感が強く。
 隣からの視線を感じつつも口に運ぶ。
「もぐ」
 もぐもぐもぐ……。
 運動をする前提で作られただろうおにぎりは少し塩分が多めだ。けど流石にむせる。
「あ、お茶か」
 喉と体の動きから察してくれたのかベンチ脇に待機させてあっただろう水筒を取り出すとお茶を注いで渡してくれた。
「ごふっ」
 一息に呷った。
「ありがとう。今の動きで良く分かったね。こっちを最初に言うべきだった。美味しいね」
 トモは顔を俯かせて足をジタバタと動かしている。
「どうした? なんか気に障る事を俺がしたのか?」
 こういう時の対応が分からない。食べる手を止めてトモの背を撫でようと手を伸ばすが、途中で固まって動けない。
「う、ウチは大丈夫や。ちょっとな」
 その時ばかりはいつも大きく思えたトモが一人の女の子に思えた。これは鼻先にズイッと踏み込んだ時以来で、思わず見えた赤く染まる首筋と真っ赤に染まる耳を可愛いと思った。
「どんどん、食べてな。ウチ、今日は食欲が無いねん」
 おかずの入った段をズイッと目の前に寄せる。
 重箱の隅に白く光るプラスチック製のフォークがあり、それに感謝して掴むと卵焼きに突き立てて口に運ぶ。
「ん?」
 口に放り込んだ瞬間に訪れる違和感。それの正体は考えるまでも無い。
「甘くない?」
 そう、ダシの香りに加えて口の中にしょっぱさがある。味としては美味しい。やや塩辛い気もするけど。
「あぁ、ハル君は関東とかあっちの方が好きなんか?」
 トモはやや不満ありげな表情を一瞬見せたが、直ぐに笑顔を作る。
「ウチの所は卵焼きと言ったらこんな感じ。ただ、ちょーっと失敗したかな。ほんでも、ハル君が甘いのええってんなら、作ってみるけど?」
 語尾をとても可愛く思えて胸が詰まる。
「けど、やっぱり多くないか?」
 野球部では食事に関してのあれこれは無いが、夏場に入って体重が落ちてしまっていた。なので、食べる量を増やす努力を重ねている俺でもちょっぴり多いと思ったのだ。
 そ、そうかなぁ? と、トモは小首を傾げて見せる。
「トモの分もあるんだろう?」
 トモは少しだけ頷くまでに間を作った。
「うーん。さっきも言うたけど、ウチは別にお腹減ってないねん。それより弁当とか先輩に取られたりしてへん?」
 時々だが、喜多岡先輩が三人分の弁当を食べたりしていた。そういう時はゴルトを出して食堂で食べるのだが、結構やりくりが辛い。三食はタダだが、プラスして食べようとするとゴルトがかかる。
「確かに食べられたりするけど、時々食堂のおばちゃんが適当に何か作ってくれるから大丈夫なんだけど……」
 食堂のおばちゃんは色々と良くしてくれる。ゴルトが無く、お腹が空いた時に時々厚意に頼っている自分が居る。
「そっか。盗られてんのは否定せんのやね。男子も大変なんやなぁ」
 やや含みのある言い方を疑問に思いながらも、揚げ物を口に放り込んだ。
「これ、旨いな。なんか懐かしい感じがする」
 おにぎりを口に放り込んで急いで噛み、飲み込むとおかずにお茶とフォークが止まらない。
「ウチのかーちゃんの味を思い出しながら作ったんやけど、記憶に頼ってばかりやったんやけど……」
 行儀が悪いと思いながらももごもごと返事をする。
「……」

          ***

「喜んでもらえて良かったわ。ちょっと不安やったし」
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