文字数 2,400文字

「まったく気にいらないわ、あの神官」
 濡れた服を着替え、ようやくさっぱりしたところでアウルはライと向き合った。
 執務室の外は、今はうそのように晴れている。セニがもってきてくれた熱い香草茶をすすりながら、
「馬鹿にしてる。帝国帰りって、みんなそうなのかしら」
「どうでしょう。すこしばかり、変わっていますが」
「もう一人は、ただの俗物」
 アウルは怒りがおさまらなかった。
「あんなやつらの神殿なんて」
「どうします」
 ライは腕組みしたままアウルを見つめた。
「あちらは森が気にいったらしい」
「ことわったら、どうなると思う?」
「王は無理強いしないでしょう。他に手を上げている領地もあることですし」
「そうよね」
 アウルは、椅子にぐったりと身体をあずけて天井を見上げた。
 そしてこちらは、神殿ができて日々栄えていくお隣を横目で眺めることになる。
 ダイの将来のためには、神殿を受け入れた方がいいことははっきりしていた。
 しかし、森のありさまは、すっかり変わってしまうだろう。
「精霊を怒らせたわ」
「ただ天気が変わっただけかも」 
「神官と同じことをいうのね」
「後悔しないようにしなくては。アウル」
 にこりともせずにライは言った。
「この機会を逃せば、ダイはずっと王国の片田舎のままです」
「わかってる」
 どちらを取っても後悔はしそうだった。森を壊しても、守っても。
「あなたは、神殿を建てた方がいいと思っているのね。ライ」
 ライは無言だった。
 ライの助言は、いままで間違ったことはない。森を壊し、精霊を追いやり、新しいダイの生活を築くべきなのだろう。
「精霊を、なだめなければいけないわ」
「ダイの者たちはみな精霊を大切にしています」
 ライはうなずいた。
「大きな祭りが必要でしょうな」
 自分たちを納得させるためにも。
「それでも精霊が許してくれなかったら?」
「ここに来るのは神ですよ」
 ライは言った。
「精霊よりも力はあるらしい。なんとかしてくれるでしょう」
「そう願いたいわ」 
 ライが部屋を出て行く時、扉のすきまからするりとローが入ってきた。アウルの机に飛び乗り、毛繕いをはじめる。
「ロー」
 アウルは机にほおづえをつき、もう一方の手でローの耳の後ろをかいた。
「アレンに叱られるわね。あの子は森が好きだもの」
 ローは、しっぽをなめるのをやめて顔を上げた。
「でも、しかたがない。アレンもわかってくれるでしょう」
 ローは、澄んだ宝石のような緑色の目でアウルをじっと見つめた。そして、
「だめ」
 アウルは小さく声を上げた。
 ローはそしらぬ顔で机をおり、扉に向かった。
 扉は細く開き、ローは出て行った。
 アウルはあわててローの後を追った。廊下にはすでに姿がない。
 執務室の扉にもたれかかって、アウルは動悸をしずめた。
 いまのは、何だったのだろう。
 ローがしゃべった。
 それとも、聞き間違い? 
 しかし、扉はひとりでに開き、ローは出ていった。
 アウルは身体を伸ばし、大きく深呼吸した。
 もう一度、確かめてみなければ。 
 ローはどこにもいなかった。夕食近くになっても、厨房にも現れない。
「ローに何か用があるの? 姉さま」
 不思議そうにアレンがたずねた。
「うん、ちょっとね」
 アウルは曖昧に答えた。
「アレン、あなたローとお話したことある?」
「あるよ」
 アレンは、あっさりとうなずいた。
「いつも鳴いて答えてくれるでしょ」
「ああ、そうね」
 今となっては、あれが本当にローの言葉だったのかあやしくなってくる。自分の内なる声が、ローのものとして聞こえたのでは。
 神官たちの顔も見たくなかったが、接待はしなければならない。アウルはむっつりと夕食のテーブルについた。
「明日は、若い者を数人おかりしますぞ」
 ジャビは上機嫌だった。
「森を測量するのですよ。具体的な設計図を作って王にお見せします」
「王のお許しがでなかったら?」
「それはありませんな。王はわれわれにまかせるといってくださいました」
 こちらの意向にはおかまいなしでね。アウルは軽くため息をついた。
「莫大な費用がかかりそうですが、ダイはごらんの通り小さな領地。多くの負担はできませんけれど」
「ご心配はいりません。国家事業ですから」
 ジャビは気前よく言った。
「土地を提供していただき、それから労力と食糧。もちろん国は補助をおしみません。長い目でみれば、けして損にはならぬはず」
「森に建てることにしたの? 姉さま」 
 脇からそっとアレンがたずねた。
「ええ」
「神さまと精霊、仲良くできるかな」
「してもらわなくてはね」
「神と精霊を同列にみなしてはいけません」
 ジャビがたしなめるように口をはさんだ。
「神はすべてのものの上に立つのです。しかし、ふところは深い。精霊がいるとすれば、その僕に加えてくださるでしょう」
「しもべ?」
 アレンは不満そうに繰り返した。
「精霊は、いやだと思うよ」
「その時は、消えるだけです」
 ソーンが言った。
「この世界には、もう精霊の居場所などないのですから」
 アレンはまじまじとソーンを見つめた。
「ソーン師は精霊が嫌いなんだね」
 ソーンは答えなかった。
「好き、嫌いは俗人の感情なのですよ、若君」
 ビールのジョッキをかかげてジャビが言った。
「われわれは、神がおつくりになったすべてのものを愛します。そうでないものにも、慈愛をもって接します。いや、この世に神がつくらなかったものなどありません」
 ジャビは、だいぶ酒がまわってきたようだった。
「ですから、精霊などはじめからいないのですよ」
 アレンは何か言いかけたが、あきらめて顔を伏せた。取りつく島もないことをさとったようだ。
 アウルはソーンの冷たい横顔を見つめた。
 ジャビと違って、ソーンは精霊の存在を認めている。
 それでいて、ひどく嫌っている。
 なぜなのだろう?
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