10
文字数 2,675文字
ソーンは、窓辺に立っていた。
振り返り、ついでアウルの後ろにいる者に気づいて身体を強ばらせた。
アウル越しに、シャアクとソーンはにらみあった。
アウルはそっと身体をずらし、二人を見比べた。これほど似ていながら、まったく性格の違う二人を。
シャアクは輝き。ソーンは影。息子のソーンの方が、はるかに落ち着き払っていた。
はじめに目をそらしたのは、シャアクの方だった。
「このようなものを連れてどうなさいました? 領主さま」
ソーンは冷ややかな視線をそのままアウルに向けた。
「ご気分が悪いとうかがっていましたが」
「あなたのせいでね」
「わたしは、なにも」
アウルは手に持っているものをソーンに見せた。伝書鳩の足輪を認めたソーンは、眉をひそめた。
「オルヴァ」
シャアクが小さく呼びかけた。ソーンの表情は変わらなかった。
「そんな名前は知らない」
「名づけたのは、おまえの母だ」
「いったい、どれほど昔のことを言っている。憶えているとでも思っているのか」
「憶えているから、ここに来たのだろう」
「クリシュラの神殿を建てるためだ」
「わたしは、おまえたちを失いたくたくなかった」
「枯れた花を愛でる者はいない。いずれおまえに捨てられることを母は知っていた」
「その時になってみなければ、わからんさ」
シャアクは正直に答えた。
ソーンは薄く笑ったかに見えた。
「まあいい。あの人は思い出だけで生きることを選んだ。だが、わたしはどうなる」
「帰ってくればよかったではないか」
「わたしは精霊ではない」
ぴしゃりとソーンは言った。
「人間でもない。大陸に行けば何かが違ってくるかもしれないと思った。だが、わたしはわたしのままだった。人間は私の目の前で年老い、死んでいく。私を理解してくれる者など誰もいない」
ソーンの瞳はますます暗くなった。それでアウルは、ソーンが過ごしてきた年月が、どんなに孤独であったかを知った。ほんの少しだけ、彼が気の毒になる。
「憎むなら、私だけを憎めばよかったのだ。森までまきぞえにすることはない」
「おまえは森のすべてだ」
「そうだな」
シャアクはため息をついた。
「気のすむようにすればいい。神殿でも宮殿でも、好きなものをつくれ」
「シャアク」
アウルは思わず叫んだ。
「精霊たちはどうなるの。アレンをさらってまで森を守ろうとしたじゃない」
「状況が変わった」
「どう変わったのよ。精霊は、森を離れては生きられないはず」
「たしかに」
シャアクは自分の足下に視線を落とした。
「太古から我々を生み出し育んでくれたのは大いなる森の霊気だ。だが、森以上に強力な存在がこの世にあることがわかった。ウインドリンのおかげでな」
「ローの?」
「消えかけたウインドリンは、おまえの霊気でよみがえった。われわれは、森なしでも生きていけるのだ。人間はどんな生きものにもまさる強い霊気を持ち、いたるところにいるからな」
「人間は無垢な森とは違う」
あざ笑うかのようにソーンが言った。
「邪気まで取り込んでしまうぞ」
「あるいはな」
「人間のような、きりもない欲望にとりつかれる。やがては、人の霊気を吸いつくさずにはいられない化け物に成り下がるわけだ」
「森で狩られる動物は、人間のことを化け物と思っているぞ。生きるためには同じことではないのか」
精霊が人間を狩る?
アウルは大きく首を振った。
「だめよ、そんなこと」
「古きよき時代は終わったのだ、ダイのアウル。人間は増え続け、森は狭まるばかり。おそらく、別の森の精霊たちも気づきはじめているころだと思う。精霊の変化の時を」
「ローは苦しんでいるわ。きっと」
「あれは、人間に近づきすぎた」
シャアクは肩をそびやかした。アウルは、彼を見つめた。
人間に近づきすぎたのは、シャアクも同じこと。その結果がソーンではないか。シャアクだって、精霊がこのままでいることを望んでいるはず。
アウルはソーンに向き直った。
「森は、精霊のものにしていた方がいいわ、ソーン。精霊は、人間の敵になってしまう」
「脅しにはのらない」
ソーンはシャアクをにらんだ。
「いいや。好きにしろといっているだけだ」
「ではそうしよう。人間に恐怖と嫌悪をもたらす存在になるがいい」
「ソーン!」
アウルは思わず声を荒らげた。
「精霊も人間も不幸になるだけなのよ」
「私には関係のないこと」
シャアクはちらとソーンを見た。
「あいにく、精霊にとっては不幸でもないのだ」
「どういうこと」
「われわれは、いわば森にへその緒でつながれた胎児のようなもの。それが切れ、かつてない自由が手に入る。この世界のどこにでも行ける」
アウルは目を見開いた。
「あなたも森の外に出たいの?」
「魅力的ではある」
シャアクは言った。
「だが変化を受け入れるには、私は年老いた」
シャアクは、アウルの前を通ってソーンに歩み寄った。両手を伸ばし、しっかりと彼を抱きしめる。
ソーンは何か言いかけたが、驚きで声も出ない様子だった。
「これでいい」
シャアクはソーンの背中を軽くたたき、身体をはなした。
「会えてよかった」
「わたしは」
ソーンはかすれた声で言った。
「おまえを満足させるために来たわけではない」
「知っている」
シャアクはちらと歯を見せた。
「このくらいは許せ。もう二度と現れない」
「ああ、消えてしまえ」
外套をひるがえしたので、シャアクの表情は見えなかった。
風が巻き起こり、彼の姿は消えていた。
アウルはソーンに向き直った。ソーンはその場に突っ立ったままだった。
「ソーン」
アウルは言った。
「森をもう放っておいて」
「だめです、決めたことだ」
「森を壊しても精霊は滅びない。シャアクが言った通りなら」
ソーンは無言だった。アウルはしゃくにさわって、
「あなたは、地団駄踏んでいる子供のようだわ。振り上げたこぶしをシャアクがかわして、どうしていいのかわからない。本当は、もっとかまって欲しかったんでしょ」
ソーンの表情が、はじめて変化した。目を見開き、何かを叫び出す直前のように歯をくいしばってアウルの腕をつかんだ。
アウルは思わずその手を振りほどいた。
「ソーン!」
ソーンは顔をそむけ、それきり動かなかった。
アウルは諦めて部屋を飛び出した。
ローのことが心配だ。
振り返り、ついでアウルの後ろにいる者に気づいて身体を強ばらせた。
アウル越しに、シャアクとソーンはにらみあった。
アウルはそっと身体をずらし、二人を見比べた。これほど似ていながら、まったく性格の違う二人を。
シャアクは輝き。ソーンは影。息子のソーンの方が、はるかに落ち着き払っていた。
はじめに目をそらしたのは、シャアクの方だった。
「このようなものを連れてどうなさいました? 領主さま」
ソーンは冷ややかな視線をそのままアウルに向けた。
「ご気分が悪いとうかがっていましたが」
「あなたのせいでね」
「わたしは、なにも」
アウルは手に持っているものをソーンに見せた。伝書鳩の足輪を認めたソーンは、眉をひそめた。
「オルヴァ」
シャアクが小さく呼びかけた。ソーンの表情は変わらなかった。
「そんな名前は知らない」
「名づけたのは、おまえの母だ」
「いったい、どれほど昔のことを言っている。憶えているとでも思っているのか」
「憶えているから、ここに来たのだろう」
「クリシュラの神殿を建てるためだ」
「わたしは、おまえたちを失いたくたくなかった」
「枯れた花を愛でる者はいない。いずれおまえに捨てられることを母は知っていた」
「その時になってみなければ、わからんさ」
シャアクは正直に答えた。
ソーンは薄く笑ったかに見えた。
「まあいい。あの人は思い出だけで生きることを選んだ。だが、わたしはどうなる」
「帰ってくればよかったではないか」
「わたしは精霊ではない」
ぴしゃりとソーンは言った。
「人間でもない。大陸に行けば何かが違ってくるかもしれないと思った。だが、わたしはわたしのままだった。人間は私の目の前で年老い、死んでいく。私を理解してくれる者など誰もいない」
ソーンの瞳はますます暗くなった。それでアウルは、ソーンが過ごしてきた年月が、どんなに孤独であったかを知った。ほんの少しだけ、彼が気の毒になる。
「憎むなら、私だけを憎めばよかったのだ。森までまきぞえにすることはない」
「おまえは森のすべてだ」
「そうだな」
シャアクはため息をついた。
「気のすむようにすればいい。神殿でも宮殿でも、好きなものをつくれ」
「シャアク」
アウルは思わず叫んだ。
「精霊たちはどうなるの。アレンをさらってまで森を守ろうとしたじゃない」
「状況が変わった」
「どう変わったのよ。精霊は、森を離れては生きられないはず」
「たしかに」
シャアクは自分の足下に視線を落とした。
「太古から我々を生み出し育んでくれたのは大いなる森の霊気だ。だが、森以上に強力な存在がこの世にあることがわかった。ウインドリンのおかげでな」
「ローの?」
「消えかけたウインドリンは、おまえの霊気でよみがえった。われわれは、森なしでも生きていけるのだ。人間はどんな生きものにもまさる強い霊気を持ち、いたるところにいるからな」
「人間は無垢な森とは違う」
あざ笑うかのようにソーンが言った。
「邪気まで取り込んでしまうぞ」
「あるいはな」
「人間のような、きりもない欲望にとりつかれる。やがては、人の霊気を吸いつくさずにはいられない化け物に成り下がるわけだ」
「森で狩られる動物は、人間のことを化け物と思っているぞ。生きるためには同じことではないのか」
精霊が人間を狩る?
アウルは大きく首を振った。
「だめよ、そんなこと」
「古きよき時代は終わったのだ、ダイのアウル。人間は増え続け、森は狭まるばかり。おそらく、別の森の精霊たちも気づきはじめているころだと思う。精霊の変化の時を」
「ローは苦しんでいるわ。きっと」
「あれは、人間に近づきすぎた」
シャアクは肩をそびやかした。アウルは、彼を見つめた。
人間に近づきすぎたのは、シャアクも同じこと。その結果がソーンではないか。シャアクだって、精霊がこのままでいることを望んでいるはず。
アウルはソーンに向き直った。
「森は、精霊のものにしていた方がいいわ、ソーン。精霊は、人間の敵になってしまう」
「脅しにはのらない」
ソーンはシャアクをにらんだ。
「いいや。好きにしろといっているだけだ」
「ではそうしよう。人間に恐怖と嫌悪をもたらす存在になるがいい」
「ソーン!」
アウルは思わず声を荒らげた。
「精霊も人間も不幸になるだけなのよ」
「私には関係のないこと」
シャアクはちらとソーンを見た。
「あいにく、精霊にとっては不幸でもないのだ」
「どういうこと」
「われわれは、いわば森にへその緒でつながれた胎児のようなもの。それが切れ、かつてない自由が手に入る。この世界のどこにでも行ける」
アウルは目を見開いた。
「あなたも森の外に出たいの?」
「魅力的ではある」
シャアクは言った。
「だが変化を受け入れるには、私は年老いた」
シャアクは、アウルの前を通ってソーンに歩み寄った。両手を伸ばし、しっかりと彼を抱きしめる。
ソーンは何か言いかけたが、驚きで声も出ない様子だった。
「これでいい」
シャアクはソーンの背中を軽くたたき、身体をはなした。
「会えてよかった」
「わたしは」
ソーンはかすれた声で言った。
「おまえを満足させるために来たわけではない」
「知っている」
シャアクはちらと歯を見せた。
「このくらいは許せ。もう二度と現れない」
「ああ、消えてしまえ」
外套をひるがえしたので、シャアクの表情は見えなかった。
風が巻き起こり、彼の姿は消えていた。
アウルはソーンに向き直った。ソーンはその場に突っ立ったままだった。
「ソーン」
アウルは言った。
「森をもう放っておいて」
「だめです、決めたことだ」
「森を壊しても精霊は滅びない。シャアクが言った通りなら」
ソーンは無言だった。アウルはしゃくにさわって、
「あなたは、地団駄踏んでいる子供のようだわ。振り上げたこぶしをシャアクがかわして、どうしていいのかわからない。本当は、もっとかまって欲しかったんでしょ」
ソーンの表情が、はじめて変化した。目を見開き、何かを叫び出す直前のように歯をくいしばってアウルの腕をつかんだ。
アウルは思わずその手を振りほどいた。
「ソーン!」
ソーンは顔をそむけ、それきり動かなかった。
アウルは諦めて部屋を飛び出した。
ローのことが心配だ。