14

文字数 1,654文字

 アウルは部屋を飛び出した。
 塔の上に駆け上がる前から、空気はきな臭くなっていた。
 東に目を向けると、暗い森のなかほどが燠のように赤くなっている。わきあがる煙は、こちらの方へ這うように向かっていた。
 風は東風でいつもより強かった。
 見守るうちにも火は勢いを増してくる。
 アウルは呆然と立ちつくした。
 こうなっては消火のしようがない。館や村も炎につつまれてしまうかもしれない。
「アウル」
 いつのまにかライが側に立っていた。彼の落ち着き払った表情を見て、アウルは救われた思いがした。
「森の木を切ります。火の手を食い止めなければ」
「木を・・・」
「森より、人が大切です」 
 返す言葉がなかった。アウルはぎゅっと目を閉じた。
「村の者たちに召集をかけました。すぐにとりかかります」
「おねがいするわ」
 ライが行ってしまった後も、アウルはなすすべもなく炎を見つめた。火の粉を上げて倒れる木々、逃げ惑う獣たちが目に浮かんだ。
 森を守ろうとしていたのに。どうしてこんなことに。
 人が入らなければ火がつくはずはない。ソーンの仕業なのだろうか。神殿を建てるなんてまわりくどいことをせず、自ら火を放ったのか。
 シャアクは何をしているのだろう。精霊の子供たちは、彼が中島の向こうに連れていった。ローたち他の精霊も逃げただろうし、森がなくても生きていけることは分かった。
 ソーンの好きにまかせて、このまま森を捨てるつもりなのか。
 ソーンに対する負い目は、それほど大きいものなのか。
 アウルは唇を噛んだ。怒りがこみあげてくる。ソーンにも、シャアクにも。
 森は、すべての生き物のものなのに。
「姉さま」
 アレンがやって来て、アウルの腕にしがみついた。
「森が、全部燃えちゃうの?」
「大丈夫よ」 
 アウルは、目にいっぱい涙をためた弟を抱き寄せた。
「ライたちが食い止めに行ってる。心配しないで」
 自分でもその声はうつろに響いた。
 地上の炎はますます大きくなっていた。わきあがる煙は夜空の星々をのみ込んでいく。
 アウルは、ふと空を見上げた。星が消えているのは煙のためだけではない。漆黒の雲がむくむくと広がっているのだ。
 煙か雲かさだかではない場所が光を発し、間をおかず雷鳴がとどろいた。
 顔に冷たいものがおちてきた。
「雨だよ。姉さま」
「ええ」
 稲光はさらにつづき、雨が音をたてて降り出した。アウルはアレンを屋上から下がらせたが、互いの声も聞こえないほどだった。
 雨にけぶって、火の手はほとんど見えなくなっていた。
 アウルは濡れるのもかまわず立ちつくした。
 シャアクが見るに見かねて降らせているのか。
 もう少し早くてもよかったのに。
 
 雨は一晩降り続いた。
 夜明け近く、アウルは火事が鎮火したと報告を受けた。
 ライや館の男たちと森に入った。早い流れになったイーグ川は岸すれすれに膨れあがっており、氾濫しなかったことを、みな口々に感謝した。
 被害が及ばなかった森の中にも、まだうっすらと煙がただよっていた。空気は熱っぽく、きな臭かった。
 ぬかるんだ道を用心深く馬は進んだ。
 そして、言葉を失う光景が目に飛び込んできた。見晴るかす、黒く焼け落ちた木々。燃え残った大樹の根元や幹の、無残な連なり。
 森の緑は、炎の渦の中に消えてしまった。
 折れた枝に埋もれている精霊の祠を見つけた。アウルは馬から降り、炭化した枝をおしのけて祠のまわりをきれいにした。そうしたところで、どうなるものでもなかったが。
 ライたちは先を行っていた。アウルは上着で手をぬぐい、再び馬にまたがった。彼らとは違う方向をめざす。一人で行きたいところがあった。
 中島は、一番激しく燃えていた。溢れるばかりに水をたたえた湖に、痛ましく焼けただれた影を映していた。
 水鳥の姿もない湖畔に、人影があった。
 倒れた木の幹に、ぼんやりと腰を下ろしている。
 雨に濡れた衣はまだ乾かず、灰や泥にまみれていた。
 顔にはりついた髪の毛は目の上までかかっていたが、彼は払うこともせず、うつろな眼差しをアウルに向けた。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み