文字数 2,865文字

 館に帰ると、ローはどこかに姿を消した。
 アウルはアレンを何事もなかったように部屋へもどし、自分は朝の挨拶に来るセニを待ち構えた。
「あら、早いお目覚めですこと。アウルさま」
「今日はやることが多いのよ。ライに伝えて。塔に来て欲しいって」
 いつものように太陽を礼拝し、アウルは朝日に輝く森を眺めた。
 昨夜あったことが嘘のようだ。だが確かにアウルは森に行き、多くの精霊と会い、シャアクと話した。
 この森を参道がつらぬき、木々より高い神殿がそびえるさまを想像してみる。それはそれで、すばらしい眺めに違いない。だが、アウルの知っている森は失われる。精霊たちとともに。
「アウル」
 ライがやって来た。
「どうなさいました?」
「ごめんなさい、ライ」
 アウルは振り返った。
「夕べ、考えたの。ここに上ってみて、やっぱり私がまちがっていたことがわかったわ」
 ライは眉を上げた。
「どういうことですかな」
「神殿ができればわたしはもう太陽に礼拝できない。異国の神に頭をさげることになるのよ」  
「気持ちの問題です。あなたの心さえクリシュラに向いていなければ」
「そうだけど」
 アウルはうつむいた。ライにシャアクの話をしても、夢でも見ていたのだと一笑されるだろう。
「つまりね、ライ。私は森を失いたくないの。神殿の話は、なかったことにしたいのよ」
 ライはちょっとの間黙り込み、
「決心されたはずでは?」
「一度はね。森より、ダイの将来を選ぼうと思った。でも、森と引きかえの豊かさなんて、求めるべきじゃなかった。森は人間のものじゃないもの。精霊から使わせてもらっているだけ」
「精霊」
 ライは小さくため息をついた。
「大切なのは、人間ではないのですか。ダイにとって、神殿はまたとない好機なのですよ。一時の感情に流されないで下さい」
「ちがう。わたしは」
「あなたはダイの領主です」
 たたみかけるようにライは言った。
「領民により良い生活をもたらす者こそが優れた領主では」
「そうね、わたしはいい領主じゃないわ」
 アウルは素直にうなずいた。
「自分のわがままを通そうとしている。お父さまがいたら怒るでしょうね。でも、お母さまもいたら?」
「あなたと同じことをおっしゃるでしょう」
 ライはため息まじりに答えた。
「そして殿は、奥方さまに従ったかもしれませんな。いつもそうでした」
 アウルは笑った。
「ほんとうに、ごめんなさい。わたしは、神殿を受け入れたことを後悔したくないの。外の力に頼っては、本当の豊かさは得られない。時代が変わってクリシュラが見向きされなくなれば、もとのままよ。それどころか森を失ってしまっている。ダイは内側から豊かになる方法をみつけなければ」
「たやすいことではありません」
「わかっている」
 ややあってライは言った。
「結局のところ、お決めになるのはあなたです」

 朝食前に、アウルは神官たちを執務室に呼んだ。
 ジャビは昨夜の上機嫌の顔そのままに、
「おはようございます、領主さま。測量の打ち合わせでしょうか」
 ソーンは無表情なままジャビの後ろに立っている。同じ顔なのに、どうしてこうもシャアクと感じが違うのだろう。
 ちらとシャアクが懐かしくなった。あちらの方が、ずっと扱いやすい気がする。
「そのことなのですが神官どの」
 アウルは言った。
「やはり、ダイの森に神殿を建てることはできません。どうか他の場所に」
「なにをおっしゃいます」
 ジャビは驚いて両手を打ち鳴らした。
「もうお決めになったことでは」
「ダイに神殿はそぐわないようです」
「しかし、しかし」
 ジャビは首を振った。
「都に報告してしまいましたぞ」
「もう?」
 こんどはアウルが驚いた。
「さきほど、ソーン師が伝書鳩を飛ばしました」
 アウルはソーンをにらんだ。ソーンは、そしらぬ顔だった。
「測量してからの報告だったはずです」
「むろんそうして正式な文書はお出しします。ですが、王に早くお知らせして喜んでいただこうと思ったのですよ。あの湖は、神殿のためにあるような場所でしたからな」
「私に断りもなく」
 アウルは声を荒らげた。
「快く承知していただけたと思っていたのですが」
 恨みがましくジャビは言った。
「はっきりしなかったのは申し訳ないと思っています。でも先走りすぎでは」
 アウルはこぶしを握りしめた。
「早馬を飛ばさなければ」
「私の鳩は優秀です」
 ソーンは口をひらいた。
「明日には都につくでしょう」
「このまま王命を受けるわけにはいかないわ」
 アウルはかんしゃくをおこした。
「詫び状を書きます。いったん、お引き取りを」
 ジャビは逃げるように部屋を出た。
「ソーン」
 アウルは続いて出ようとしたソーンを呼び止めた。
「シャアクを許すつもりはないの?」
 ソーンは振り向きもしなかった。
 アウルは椅子に座り、頭をかかえた。
 神官の報告は間違いであることを王に伝えなければ、こちらの心証はとてつもなく悪くなるだろう。
 ペンを取ろうとしたとき、半分開けた窓をすり抜けるようにして、なにかが飛び込んできた。
 アウルはぎょっとして飛び上がった。
 どさりと床に落ちたのは、一羽の鷹だった。翼も動かないほどぐったりとし、目をとじている。
 アウルはおそるおそる鷹に近づいた。そして、その足がしっかりと掴んでいる小さな円筒に気がついた。
 アウルは鷹の前に跪いた。鷹の姿は輪郭を崩し、変化した。そこに横たわっているのは、
「ロー!」
 ローはうっすらと目を開け、アウルに円筒を差し出した。伝書鳩の足輪がついている。
「取り返しましたよ、アウル」
「ありがとう。でもあなた・・・」
 アウルは筒を受け取り、ローの手を握りしめた。ローの手は、握り返す力もないようだ。
「鳩が思ったより遠くへ行っていたものだから」
 アウルが抱えたローの身体は、重さすら感じられない。それどころか、だんだんと薄れていくようだった。
「ロー。あなたの身体!」
「森を離れすぎました」
 アウルははっとした。精霊は、森以外では生きられないのだ。あのシャアクですら、森の外には力が及ばないと言っていた。
「すぐに森に連れていくわ、ロー。しっかりして」
「だめです。まにあいそうにない」
「どうすればいいの。どうすればあなたを助けられる?」
 アウルは必死でローに言った。希薄になったローの身体は、アウルの手をいましもすり抜けてしまいそうだった。
「ロー!」
 ローは最後の力をふりしぼるかのようにアウルのうなじに手をのばした。首を抱き寄せ、かすかにささやく。
「ごめん、アウル」
 ローの腕の感触が、戻ってきたかに思われた。アウルを抱きしめる手に力がこもった。
 どうしたのか確かめる間もなく、アウルは気を失った。
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