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文字数 2,573文字
アウルはすばやく着替えをすませ、ローのところに戻った。
まだ真夜中。館の者たちは、何事が起きたのかわからないまま寝静まっている。
前を行くローの上に、ぼっと鬼火が浮かんだ。熱いよりはむしろ冷たく、青白い光があたりを照らす。鬼火に気をとられているうちに、ローの姿がしだいに大きくなった。灰色のチュニックとズボンを身につけた、アウルとさほど背丈の変わらぬ少年がそこにいる。
「ロー」
アウルは目を見はった。
「これがあなたの本当の姿なの?」
「ええ、まあ」
ローはアウルを見た。瞳は緑のままだ。ふわりとした銀色の髪、女の子のように愛らしい顔立ち。
「わたしたちは、もともと決まったかたちを持たないんですよ。猫よりはあなたに歩調を合わせられるでしょう」
四方からくすくすと笑い声が聞こえた。誰かに髪の毛を引っ張られ、アウルは声をあげた。
「気にしないで」
ローは笑った。
「小さな精霊です。あなたにちょっかいを出したくてたまらないらしい。離れないで下さいね」
森の精霊たちにかこまれながら、アウルは歩を進めた。引きまわされている罪人のような気分になってくる。
彼らに敵意が感じられないことだけが幸いだった。アウルがシャアクに会うと知り、物見高くついてくるのだろう。
鬼火が消え、あたりが次第に明るくなった。アウルは目を見はった。
「精霊界に入りました」
ローが言った。
「あなたがたの世界とは、重なり合った空間」
空はただ白く、かすみがかった光を放っていた。今では、ロー以外の精霊たちも見てとれる。緑濃い木々の間から、こちらをいたずらっぽく眺めている。
自分たちに決まった形はないとローは言ったが、彼らはほとんど人の姿をしていた。男の子か女の子かもわからない、半裸のかわいらしい子供たちだ。
「このあたりにいるのは、子供の精霊ばかりですよ」
「精霊も成長するの?」
「大地の気が私たちを生み出します。はじめはかすかな風のようなもの。時を重ねるにつれ凝縮し、意思を持ち、小さな精霊になる。百年もたてば、一人前かな」
アウルは、目を見ひらいた。
「あなたは、どのくらい生きているの?」
「ダイの初代があの館を建てる時、わたしは一部始終を眺めてましたよ」
館が出来てから、三百年はたっている。ローはそれ以上の時を過ごしているということだ。
たどる小道には、昼に駆けた馬の足跡がついていた。精霊の世界は、ダイの森そのものの上に成り立っているようだ。
イーグ川の流れにそって行くと、やがてグイン湖のきらめきが現れた。緑の王冠さながらの中島も昼間のままだ。
ローは島を指さした。
「シャアクはあそこにいます。ほら、橋だ」
島からこちら側の岸に、幾本もの蔦が伸びていた。太くからまりあって橋を作っているのだ。
ローは軽々と蔦の上に飛び乗った。
「大丈夫ですよ。見かけより頑丈です」
アウルはおそるおそる蔦に足をのせた。弾力はあったが、しっかりと歩くことが出きた。
島に渡り、蔦の生えた茂みを抜けると、とりどりの色の花が咲く野原が現れた。草むらから野ウサギがぴょこぴょこと顔を出し、逃げもせずにこちらを見つめている。
シャアクの館は、島の木々にすっぽりと包まれるようにしてあった。かなり大きく、古びている。建物をかこむ壁にはびっしりと蔦が張り付いていた。まわりの緑にとけこむくらいに。
ローは誰もいない館の門にすたすたと近づいた。軽く片手をふると、音もなく扉が開いた。
明るい前庭がひろがっていた。
前庭を囲んでいるのは高い柱を並べた回廊だった。古色蒼然とした外観とは違い、柱も壁も白くなめらかに光っている。
高く吹き出した噴水のまわりで、何人かの精霊たちが楽しげにさざめきあっていた。
「あら、ウインドリン」
青い薄衣をまとった精霊が声をかけた。
「久々ね。どこに行ってたの?」
「人間のところだろ。ウインドリンは連中が大好きなんだ」
おもしろそうに別の精霊がいった。
「しかも、ダイのアウルを連れている」
「ほんとに、ここに神殿を建てるつもり? アウル」
精霊たちはアウルをとりまいた。みな若く、美しい。まとっているものの違いがなければ、男女の区別もつけがたいほどだ。
「そんなことしたら、シャアクは弟を返してくれないわよ」
「わかってるさ。だから連れて来たんだ」
ローは言った。
「シャアクは?」
「中にいる。ごきげんななめでね」
「身から出た錆だろ」
「まあ、そうだけど」
精霊たちは優雅に肩をすくめた。
「面と向かっては言えないわよね」
ローは精霊たちを後にした。アウルはあわてて後を追い、
「ウィンドリンって、あなたの本当の名前?」
「ローでかまいませんよ。気に入っていますから」
二人は館の内に入った。大きく窓の開いた明るい広間にも精霊たちがいた。こちらは丸く輪になって座り、さいころ遊びをしているようだ。
ローは彼らとも挨拶をかわした。
「シャアクは?」
「塔にいるわ」
「アレンも?」
アウルは思わずたずねた。
「生きていればね」
アウルは息をのんだ。
「冗談ですよ」
ローがなだめるようにアウルの手をとった。
「シャアクはあれで子供好きですから、悪さはしません。行きましょう」
広間を出ると、長い廊下が螺旋階段に続いていた。アウルは階段を上りながら、
「もし、神殿が建ったとすれば、この館はどうなるの?」
「違う空間にあるとはいえ、すこぶる住みにくくなりますね」
ローは言った。
「精霊を生みだしているのは自然の気です。木々が減れば気も衰えるし、だだでさえ人間は自然の精気を消費する生き物でしてね。大勢の人間がここを訪れるようになれば、精霊界はいずれ消えてなくなってしまう」
「わたしは、そんなこと望んでいない」
「わかってますよ。あなたはね」
二人は塔の最上階の部屋にたどりついた。
「シャアク」
ローは声をかけながら入り口の帳を上げた。
シャアクは、床にじかに置いた大きなクッションに長々と寝そべっていた。先ほどの狼だ。
顎を前足にのせたまま、上目遣いにローを見る。
「ウインドリン、よけいなことを」
不機嫌な人間の声で、はっきりと言った。
まだ真夜中。館の者たちは、何事が起きたのかわからないまま寝静まっている。
前を行くローの上に、ぼっと鬼火が浮かんだ。熱いよりはむしろ冷たく、青白い光があたりを照らす。鬼火に気をとられているうちに、ローの姿がしだいに大きくなった。灰色のチュニックとズボンを身につけた、アウルとさほど背丈の変わらぬ少年がそこにいる。
「ロー」
アウルは目を見はった。
「これがあなたの本当の姿なの?」
「ええ、まあ」
ローはアウルを見た。瞳は緑のままだ。ふわりとした銀色の髪、女の子のように愛らしい顔立ち。
「わたしたちは、もともと決まったかたちを持たないんですよ。猫よりはあなたに歩調を合わせられるでしょう」
四方からくすくすと笑い声が聞こえた。誰かに髪の毛を引っ張られ、アウルは声をあげた。
「気にしないで」
ローは笑った。
「小さな精霊です。あなたにちょっかいを出したくてたまらないらしい。離れないで下さいね」
森の精霊たちにかこまれながら、アウルは歩を進めた。引きまわされている罪人のような気分になってくる。
彼らに敵意が感じられないことだけが幸いだった。アウルがシャアクに会うと知り、物見高くついてくるのだろう。
鬼火が消え、あたりが次第に明るくなった。アウルは目を見はった。
「精霊界に入りました」
ローが言った。
「あなたがたの世界とは、重なり合った空間」
空はただ白く、かすみがかった光を放っていた。今では、ロー以外の精霊たちも見てとれる。緑濃い木々の間から、こちらをいたずらっぽく眺めている。
自分たちに決まった形はないとローは言ったが、彼らはほとんど人の姿をしていた。男の子か女の子かもわからない、半裸のかわいらしい子供たちだ。
「このあたりにいるのは、子供の精霊ばかりですよ」
「精霊も成長するの?」
「大地の気が私たちを生み出します。はじめはかすかな風のようなもの。時を重ねるにつれ凝縮し、意思を持ち、小さな精霊になる。百年もたてば、一人前かな」
アウルは、目を見ひらいた。
「あなたは、どのくらい生きているの?」
「ダイの初代があの館を建てる時、わたしは一部始終を眺めてましたよ」
館が出来てから、三百年はたっている。ローはそれ以上の時を過ごしているということだ。
たどる小道には、昼に駆けた馬の足跡がついていた。精霊の世界は、ダイの森そのものの上に成り立っているようだ。
イーグ川の流れにそって行くと、やがてグイン湖のきらめきが現れた。緑の王冠さながらの中島も昼間のままだ。
ローは島を指さした。
「シャアクはあそこにいます。ほら、橋だ」
島からこちら側の岸に、幾本もの蔦が伸びていた。太くからまりあって橋を作っているのだ。
ローは軽々と蔦の上に飛び乗った。
「大丈夫ですよ。見かけより頑丈です」
アウルはおそるおそる蔦に足をのせた。弾力はあったが、しっかりと歩くことが出きた。
島に渡り、蔦の生えた茂みを抜けると、とりどりの色の花が咲く野原が現れた。草むらから野ウサギがぴょこぴょこと顔を出し、逃げもせずにこちらを見つめている。
シャアクの館は、島の木々にすっぽりと包まれるようにしてあった。かなり大きく、古びている。建物をかこむ壁にはびっしりと蔦が張り付いていた。まわりの緑にとけこむくらいに。
ローは誰もいない館の門にすたすたと近づいた。軽く片手をふると、音もなく扉が開いた。
明るい前庭がひろがっていた。
前庭を囲んでいるのは高い柱を並べた回廊だった。古色蒼然とした外観とは違い、柱も壁も白くなめらかに光っている。
高く吹き出した噴水のまわりで、何人かの精霊たちが楽しげにさざめきあっていた。
「あら、ウインドリン」
青い薄衣をまとった精霊が声をかけた。
「久々ね。どこに行ってたの?」
「人間のところだろ。ウインドリンは連中が大好きなんだ」
おもしろそうに別の精霊がいった。
「しかも、ダイのアウルを連れている」
「ほんとに、ここに神殿を建てるつもり? アウル」
精霊たちはアウルをとりまいた。みな若く、美しい。まとっているものの違いがなければ、男女の区別もつけがたいほどだ。
「そんなことしたら、シャアクは弟を返してくれないわよ」
「わかってるさ。だから連れて来たんだ」
ローは言った。
「シャアクは?」
「中にいる。ごきげんななめでね」
「身から出た錆だろ」
「まあ、そうだけど」
精霊たちは優雅に肩をすくめた。
「面と向かっては言えないわよね」
ローは精霊たちを後にした。アウルはあわてて後を追い、
「ウィンドリンって、あなたの本当の名前?」
「ローでかまいませんよ。気に入っていますから」
二人は館の内に入った。大きく窓の開いた明るい広間にも精霊たちがいた。こちらは丸く輪になって座り、さいころ遊びをしているようだ。
ローは彼らとも挨拶をかわした。
「シャアクは?」
「塔にいるわ」
「アレンも?」
アウルは思わずたずねた。
「生きていればね」
アウルは息をのんだ。
「冗談ですよ」
ローがなだめるようにアウルの手をとった。
「シャアクはあれで子供好きですから、悪さはしません。行きましょう」
広間を出ると、長い廊下が螺旋階段に続いていた。アウルは階段を上りながら、
「もし、神殿が建ったとすれば、この館はどうなるの?」
「違う空間にあるとはいえ、すこぶる住みにくくなりますね」
ローは言った。
「精霊を生みだしているのは自然の気です。木々が減れば気も衰えるし、だだでさえ人間は自然の精気を消費する生き物でしてね。大勢の人間がここを訪れるようになれば、精霊界はいずれ消えてなくなってしまう」
「わたしは、そんなこと望んでいない」
「わかってますよ。あなたはね」
二人は塔の最上階の部屋にたどりついた。
「シャアク」
ローは声をかけながら入り口の帳を上げた。
シャアクは、床にじかに置いた大きなクッションに長々と寝そべっていた。先ほどの狼だ。
顎を前足にのせたまま、上目遣いにローを見る。
「ウインドリン、よけいなことを」
不機嫌な人間の声で、はっきりと言った。