Cage-4
文字数 2,210文字
「痛覚がないのは有利な反面、命に関わります」
正規の救急病院に大枚を渡し、秘密裏に治療を受けさせられたあと、傭兵崩れの男の説教が始まる。この小言は実戦訓練時代に何度も聞いたから、何をどう言われるのか予測がつく。
「まして、あんな狭い路地は跳弾も否めない、狙いを逸らしても倒れる危険はあります」
そんなことはわかっている、と、何年か前なら答えていただろう。銃を持っていたのが一人で、たまたま無事だったなんて結果論でしかない。シギが生まれつき持つ悪運の強さの尺度だ。
「……次は気を付ける」
不遜な支配者の言葉に、歳上の部下が押し黙る。尊大な態度を崩さないのが常だから、殊勝な言い方が意外だったのだろう。取り直すように咳払いをして、
「生き残った一人は逃走したようです」
警察幹部からの情報を伝えた。
刃渡りがあったとはいえ、眼球を刺し貫いても脳に達する長さではない。最初から一人は見逃すつもりでいたから、運のいい誰かは遅かれ早かれ、共謀した連中に警告するはずだ。特にシギのことは、正面から撃たれても怯まない化け物だ、と。
「どうなさいますか」
シギに痛覚がないと言っても、肩と足を撃たれた事実は変わらない。傷が塞がるまでには時間がかかる。まだ何人か残る粛清に出るのかと尋ねる部下に、執務机に座るシギは、ゆるりと右の口角を上げた。
「何人かに分けて別の場所で討て、依頼先は任せる」
部下に一任した粛清が落ち着いたのは、それから一ヶ月ばかりが経った頃だった。高みの見物は性に合わないし、面倒ごとは一気に片付けたかったものの、負傷した以上、大人しくして部下の小言を聞かない道を選ばざるを得ない。
「こう見えて、貴方を案じているんです」
名誉の負傷で強面な上、縦も横も大きな壮年の男が、真面目くさった顔で言った。養父でさえ口にしなかった言葉を、この男は簡単に舌へ載せる。息子のように思っているのだろうが、シギにとっては煩わしいだけだ。物事はなるようにしかならない。誰かの意に沿って生きるなんて不毛だ。この部下も、いつか切り捨てることになるやも知れないのだし。
盤面を見据える差し手は時に、無情な判断をしなければならないから、冷静を邪魔する情なぞいらなかった。
切り捨てられた駒の最たる例が、シュントだろう。フユトに近づくためだけに存在した手駒だ。フユトが射程に入った今、シュントの存在は邪魔でしかない。過日のリンチで死んでしまっても良かったものの、フユトと双子だけあって、悪運は強い。こればかりは癪だから選びたくなかったが、仕方がないので従兄に掛け合い、利き腕の切断で一線を退いてもらうことにした。ダブルブッキングの罪滅ぼしとして支援金は出すし、必要になる義手も用意すると話して。
あとは、フユトの独占欲を刺激し続けるだけでいい。
義手の様子を見たいと理由を付けて、シギがシュントを住まいのホテルに呼び出すのは二度目だ。義手と傷口の安定具合を見るだけで済まないことくらい、体で知っているくせに、シュントは大人しくやって来る。弟には近づけさせないと、その身を犠牲にするフリには反吐が出る。いつまで健気な兄気取りをしているんだ、醜い願望を直視してみろと、もう何度、言葉にしかかったか知れない。
「……安定して来たな」
切断面の皮膚の傷跡は、まだ僅かに痛々しい。前のように動かせないぶん、腕の筋肉が痩せ始まっている。
傷口に化膿が見られないのを確認して、シュントの不自由な右腕を解放した。
体のバランスを取るための役割しか成さない義手は、旧世界でさえ廃れていた、人の腕を模しただけのモデルだ。神経に電極を埋め込むことで、本当の腕のように使えるタイプも提案したが、シュントは頑なに首を縦に振らなかった。
拷問でも類を見ない壮絶なリンチは、シュントに明らかな陰を落としている。どのタイプの義手を使うことになろうと、ハウンドへの復帰を勧めるつもりなどなかったが、余計な気遣いをさせない辺りは男娼時代から変わらず優秀だ。
「これで満足か」
シュントにしては不貞腐れた口調に、シギは視線だけを投げる。
「俺はハウンドとしては使えない、フユトの足手まといだ、消す準備が整った、そんなところか」
ソファに座ったまま、何かを思い詰めるような横顔は、見る者が見れば痛々しいだろう。しかし、この場にいるのはシギ一人だ。シュントがどんなに思い悩んでいようと、察することなく、同情もしない、人でなしだ。
黒檀の執務机の縁に行儀悪く腰を載せ、シギがふと微笑するのを、シュントが振り向く。
作り笑顔とは思えない、完璧な微笑だ。目元も柔らかく微笑んでいるのに、瞳の奥だけが色を持たず、平時と変わらない。お前ごときに動かす感慨はないと侮蔑する、悪魔の微笑。
「誰がお前を消すと言った」
フユトならきっと憎悪を隠さないだろうに、瓜二つのシュントが向けるのは畏怖だ。人間の姿かたちをしていながら、人ならざるものとして生きる怪物を見たような顔をする。
微笑みにそぐわぬ嘲りに、シュントは目線を逸らすと、深く俯く。
「どうして弟なんだ」
ともすれば、叶わぬ片思いをしているかのような台詞に、遂に認めたかと、シギは目を細める。
「どうして俺じゃない」
深い苦悩を抱える声に、足音も立てず歩み寄る。俯く顎を掬って振り向かせ、慄く瞳の奥を覗きながら、
「お前がフユトじゃないからだ」
当たり前のことを告げる。
正規の救急病院に大枚を渡し、秘密裏に治療を受けさせられたあと、傭兵崩れの男の説教が始まる。この小言は実戦訓練時代に何度も聞いたから、何をどう言われるのか予測がつく。
「まして、あんな狭い路地は跳弾も否めない、狙いを逸らしても倒れる危険はあります」
そんなことはわかっている、と、何年か前なら答えていただろう。銃を持っていたのが一人で、たまたま無事だったなんて結果論でしかない。シギが生まれつき持つ悪運の強さの尺度だ。
「……次は気を付ける」
不遜な支配者の言葉に、歳上の部下が押し黙る。尊大な態度を崩さないのが常だから、殊勝な言い方が意外だったのだろう。取り直すように咳払いをして、
「生き残った一人は逃走したようです」
警察幹部からの情報を伝えた。
刃渡りがあったとはいえ、眼球を刺し貫いても脳に達する長さではない。最初から一人は見逃すつもりでいたから、運のいい誰かは遅かれ早かれ、共謀した連中に警告するはずだ。特にシギのことは、正面から撃たれても怯まない化け物だ、と。
「どうなさいますか」
シギに痛覚がないと言っても、肩と足を撃たれた事実は変わらない。傷が塞がるまでには時間がかかる。まだ何人か残る粛清に出るのかと尋ねる部下に、執務机に座るシギは、ゆるりと右の口角を上げた。
「何人かに分けて別の場所で討て、依頼先は任せる」
部下に一任した粛清が落ち着いたのは、それから一ヶ月ばかりが経った頃だった。高みの見物は性に合わないし、面倒ごとは一気に片付けたかったものの、負傷した以上、大人しくして部下の小言を聞かない道を選ばざるを得ない。
「こう見えて、貴方を案じているんです」
名誉の負傷で強面な上、縦も横も大きな壮年の男が、真面目くさった顔で言った。養父でさえ口にしなかった言葉を、この男は簡単に舌へ載せる。息子のように思っているのだろうが、シギにとっては煩わしいだけだ。物事はなるようにしかならない。誰かの意に沿って生きるなんて不毛だ。この部下も、いつか切り捨てることになるやも知れないのだし。
盤面を見据える差し手は時に、無情な判断をしなければならないから、冷静を邪魔する情なぞいらなかった。
切り捨てられた駒の最たる例が、シュントだろう。フユトに近づくためだけに存在した手駒だ。フユトが射程に入った今、シュントの存在は邪魔でしかない。過日のリンチで死んでしまっても良かったものの、フユトと双子だけあって、悪運は強い。こればかりは癪だから選びたくなかったが、仕方がないので従兄に掛け合い、利き腕の切断で一線を退いてもらうことにした。ダブルブッキングの罪滅ぼしとして支援金は出すし、必要になる義手も用意すると話して。
あとは、フユトの独占欲を刺激し続けるだけでいい。
義手の様子を見たいと理由を付けて、シギがシュントを住まいのホテルに呼び出すのは二度目だ。義手と傷口の安定具合を見るだけで済まないことくらい、体で知っているくせに、シュントは大人しくやって来る。弟には近づけさせないと、その身を犠牲にするフリには反吐が出る。いつまで健気な兄気取りをしているんだ、醜い願望を直視してみろと、もう何度、言葉にしかかったか知れない。
「……安定して来たな」
切断面の皮膚の傷跡は、まだ僅かに痛々しい。前のように動かせないぶん、腕の筋肉が痩せ始まっている。
傷口に化膿が見られないのを確認して、シュントの不自由な右腕を解放した。
体のバランスを取るための役割しか成さない義手は、旧世界でさえ廃れていた、人の腕を模しただけのモデルだ。神経に電極を埋め込むことで、本当の腕のように使えるタイプも提案したが、シュントは頑なに首を縦に振らなかった。
拷問でも類を見ない壮絶なリンチは、シュントに明らかな陰を落としている。どのタイプの義手を使うことになろうと、ハウンドへの復帰を勧めるつもりなどなかったが、余計な気遣いをさせない辺りは男娼時代から変わらず優秀だ。
「これで満足か」
シュントにしては不貞腐れた口調に、シギは視線だけを投げる。
「俺はハウンドとしては使えない、フユトの足手まといだ、消す準備が整った、そんなところか」
ソファに座ったまま、何かを思い詰めるような横顔は、見る者が見れば痛々しいだろう。しかし、この場にいるのはシギ一人だ。シュントがどんなに思い悩んでいようと、察することなく、同情もしない、人でなしだ。
黒檀の執務机の縁に行儀悪く腰を載せ、シギがふと微笑するのを、シュントが振り向く。
作り笑顔とは思えない、完璧な微笑だ。目元も柔らかく微笑んでいるのに、瞳の奥だけが色を持たず、平時と変わらない。お前ごときに動かす感慨はないと侮蔑する、悪魔の微笑。
「誰がお前を消すと言った」
フユトならきっと憎悪を隠さないだろうに、瓜二つのシュントが向けるのは畏怖だ。人間の姿かたちをしていながら、人ならざるものとして生きる怪物を見たような顔をする。
微笑みにそぐわぬ嘲りに、シュントは目線を逸らすと、深く俯く。
「どうして弟なんだ」
ともすれば、叶わぬ片思いをしているかのような台詞に、遂に認めたかと、シギは目を細める。
「どうして俺じゃない」
深い苦悩を抱える声に、足音も立てず歩み寄る。俯く顎を掬って振り向かせ、慄く瞳の奥を覗きながら、
「お前がフユトじゃないからだ」
当たり前のことを告げる。
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