Prologue-1

文字数 2,323文字

 廃墟群(ストリート)の浅瀬、スラム街との境界から四ブロックは、性を売る少年少女の溜まり場として、各方面に有名な場所だ。彼らを野良の動物に見立てて、保健所と俗称する輩もいる。
 親を失い、親を奪われ、親に捨てられ、行き場のない子どもらが生き残るための最後の砦であり、スラム街よりも生きていくのが過酷な貧民窟。ここに集まった孤児の四割は飢えや病で死に、三割は殺されるか臓器を盗られ、二割は事故死するという。生き残った一割も、血液を媒介とする病を発症して余命が限られるか、愛人として囲われた後に捨てられるか、自ら死を選ぶかといった、不幸な末路を辿ることがほとんどだ。
 そんな場所で、その少年が生きていると知ったとき、率直に奇跡だと思った。自分の足元を固めて迎えに行くと決めてから、既に二年が経っていたのだ。もしかすると、あの少年は不幸に見舞われたかも知れない──心臓がキリキリと引き絞られるような感慨を抱きながら、少年少女を買って根気よく距離を縮める期間は本当に長かった。
 未熟な性を売る娼婦や男娼は横の繋がりが強い。集団で生き残る確率を上げるため、ギルドのような連携を持つ。同時に、彼らは常に裏切りに晒される。個人が生き残るためには、例えギルドの仲間でも敵なのだ。
「お兄さん、あの双子に興味があるの?」
 十四歳だという少女が、あどけない視線を向けて聞いてきた。
 この少女を買うのは三回目になる。最初に提示された一晩の金額に少しばかり色を付けて渡し、内装も設備も綺麗なモーテルを選び、好きなものを食べさせ、飲ませ、なのに一切の見返りは求めない、少し特殊な客として認知してもらうためだった。
「だからアタシに何もしなかったんだ」
 そう言って、痩せぎすの彼女は拗ねた顔になる。少女は幼いなりに、男は女の機嫌を損ねたくないものだと理解し、演じているのだ。そうと理解できるだけ、彼女はペドフィリアやロリコン共を相手にして来たのだろう。生きていくために身を売る少女にとって、それがどんなに苦痛なことかを考えれば、本意でないことはすぐにわかる。
「君は可愛いから放っておけなくて、一緒にいたいと思ったのは本当だよ」
 つん、と顔を逸らす少女の機嫌を取るために、言葉だけは慎重に選びながら、
「俺は元々、君みたいな子は抱けないんだ」
 利用するつもりじゃなかった、話をするだけで満足なのは本当だということは強調する。性的嗜好をほんのり匂わせると、不満げだった少女は戸惑ったような視線を向けたのち、心から安堵したように含羞んだ。
「……本当は、男の人とするの苦手なの」
 日頃の栄養失調のためか、病的に細い指を、男にしては綺麗な形の指に絡めながら、
「お兄さんは綺麗だから大丈夫と思ったんだけど、本当は何かされないかって怖かったの」
 素直に吐露して、男の人に綺麗なんて言ってごめんなさい、と気まで遣ってくれる。
「ストリートで双子なんて珍しいから、知らない子はいないと思う」
 そんな彼女の湯上がりの髪を、モーテル備え付けのドライヤーで乾かしてやると、少女は気持ちよさそうに目を細めながら、
「アタシは名前を知らないけど、この辺では売れっ子だって聞いたかな」
 双子について、知っていることを教えてくれた。
「あぁ、シュントね」
 一つか二つ歳上の男娼は、ピロートークで他の男娼について聞かれても、嫌な顔一つしなかった。
 短髪にふんわりしたワンピースという、性別を倒錯させる出で立ちの彼は、この界隈の少年少女から最も慕われているらしい。前に買った娼婦から紹介され、さっぱりした性格を気に入ったので、二回目にして単刀直入に聞いてしまった。
「弟のほうはフユトとか言ったと思うけど、あの子は体が弱いみたいだから」
 ベッドに俯せになったまま、男娼はじっとこちらを見て、少しだけ寂しそうに笑う。
「……どっちとは聞かないけど、好きなのね」
 他人に関心がないのかと思うくらい、こざっぱりしているのに、機微に関する勘の良さには驚かされる。初めて買ったときも、娼婦や男娼に手を出さない本当の理由を見抜かれて、もっと堂々とすればいいと言われたことを思い出す。
「あなた、自分で思うほど嘘が上手くないのよ」
 本心を言い当てられて顔色が変わったのだろう、男娼がころころと笑いながら教えてくれる。
「自分の気持ちに鈍感だから、ね」
 この男娼とは長い付き合いになりそうだ、と思う。いつか、この世界を掌握したあと、全ての借りを返してやれたらいい。そんな風に思っていると、
「これでも少し妬いてるの」
 男娼は冗談めかして言いながら、切なそうに目を伏せた。
「イイ男になりそうなのに、最初から誰かのものなんですもの」
 返すべき言葉はなかった。
 教えられた場所に、教えられた時間に行ってみる。廃墟の壁に凭れ、僅かに俯く、小柄な少年がいる。横顔だけでは確信が持てず、かと言って声を掛けるのも憚られ、わざと足音を立てながら近づくと、少年がこちらを振り向いて、眩しそうに見上げてきた。
「おにいさん、はじめまして……ですよね」
 窶れてはいたものの、面影は充分にあった。嵐の夜、小さな手を差し伸べて、冒涜と蛮行を許した子どもと同じ顔だ。
 おずおずと紡がれた言葉に、あの夜のことを覚えているのかと、緊張する。
「リクさんから聞いてます、オレのこと探してるって」
 リク、とは、倒錯的な男娼のことだろう。彼は互いに名乗らないのがルールだったから、初めて名前を知ったけれど、やはり彼らしい名だと思う。
「シュント、か」
 その感慨は別のところに置いて、目の前の少年の名前を呼んでみた。少年はこっくり頷いて、母親そっくりの笑みを浮かべる。
「オレなんかで良ければ、一晩どうですか?」
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