Done-3

文字数 2,267文字

 立ち上げたメーラーで指示書を作成してしまってから、新調したばかりのフレームレスの眼鏡を外し、フユトを見る。
 仕事と恋人を同じ天秤に掛けるほど愚かではないだろうが、構って欲しいときのフユトの顔は露骨だ。不機嫌ながらも寂しげな表情にシギが弱いことを知っていて、最近は作っている節があるものの、フユトの数少ない可愛げだから目を瞑っている。
「腰でも痛むのか」
 視界の端で観察していたことも、痛む割に動きに淀みがないことも触れず、フユトが期待しているであろう言葉を投げてやる。
 甘えたいなら甘えればいいし、時間が許す限りは突き放さないと幾ら伝えても、フユトはいつだって直球は投げない。こういうところはシュントも似ていたと思い返しつつ、シギが革張りの椅子から離れると、フユトは再びソファへと俯せ、
「誰かさんのせいでな」
 不遜に宣う。
 絶対君主に物怖じしないところも、立場に動じず横柄な態度も、捩じ伏せようと思えばできなくもないが、そのままにしている。フユトは力による屈服を好まない。相手に全力で尽くさせて初めて、そこまでするなら仕方ないと膝をつく。高飛車な娼婦と同じだ。尽くさせる代わりに、最高の痴態と淫靡な時間は確約してくれる。選び抜かれた雄としての充足を得たければ全てを差し出せと蠱惑する女王の貫禄に、シギはなすがままの体裁で跪き、手の甲へと口付けてやるのみだ。
 しかし、それは二人きりでのことであって、部屋の外に一歩でも出てしまえば、話は変わる。
 裏の仕事にも外交は必要なので、シギはたびたび、政財界の要人、官僚やら、反社会組織の幹部と密会することがある。表の仕事の顔もあるので、通い慣れた会員制高級クラブの個室を使うが、入店には時差を置く徹底ぶりだ。
 以前、どこぞの女の香水が気に入らないと不貞腐れていたフユトも、シギの業務命令のため、ここ一年は裏の外交に顔を出すことが増えた。
 口の堅い美人を両脇に侍らせながら、物騒な単語が交わされる接待だ。人身売買の海外でのレートはどうだの、臓器売買の臓器別単価の変動だの、某党某派閥の誰それが失脚しそうだの、新法の財界有利な制定に必要な金額だのと、信憑性の不確かな話ばかりを二時間ほど交わす。その間、シギは傍らの酌婦に触れるどころか、目をやることもない。女のほうが一方的に肩を寄せて距離を詰め、さり気なく腿に手を置くなり、腕に胸が触れる位置に身を乗り出すなりしている。
 今回も、ハツだフォアグラだと隠語を並べ立て、臓器売買の新ルートの話を、懇意にしている反社組織の幹部と交わしたシギは、老齢の幹部が脇に侍らせていた美女二人の腰に手を回し、機嫌良く持ち帰るまでを、個室の外で見送った。
 店に渡した枕込みのアフター代は百を下らないから、あの二人は酔いの回る老人を三時間ほど介護するだけで、最低五十万の手取りだ。これほど楽な仕事もないだろうと肩を竦め、個室に戻る。フユトに絡みつく女二人と、シギに侍っていた女二人を目線で促して退室させたところで、ようやく一息つける。
「……すっげー香水臭いんだけど」
 一息つけるのは、どうやらフユトも同じようだった。接待の最中は満更でもなさそうに話し込んでいた割に、終わった途端、辟易した顔をする。シギは慣れてしまったから何とも思わないが、人工香料は苦手なのだろう。僅かな残り香にさえ眉を顰めていたから、鼻が利くのかも知れない。
「たまには上玉に相手してもらったらどうだ」
 服についた香りを気にするフユトに、シギは何気なく、促してみた。ここで正直に食いつかれても複雑ではあるが、左隣の女を殊に気に入った様子だったのは、会談中でも視野に入れている。
「ああいう清楚なタイプはなかなかいない」
 背中を押すように言うと、呆気に取られたようなフユトは、シギの言葉の裏を勘繰るように眉を寄せる。素直に食いつかないところは、きちんと躾けた成果だろうと自惚れてみる。
 フユトの左隣に座っていたのは、水商売にしては珍しく、染めた様子のない黒のストレートロングに品のあるメイクをした女で、歳の頃は二十歳になるかどうか。接待の場にいた綺麗どころ六人の中では飛び抜けていなかったが、街中で何も知らずにすれ違えば振り向くだろう美人だ。
「……別に、そこまでしたいわけじゃねェし」
 シギの思惑が不気味なのだろう、不快そうな表情を隠さず、フユトは答えて、
「話してる間も見てたのかよ」
 悍ましいものでも見たかのような顰めっ面で、シギから顔を逸らした。
 そんなフユトの振る舞いに、シギは、ふ、と嗤う。僅かな呼気の揺らぎとシギの動きに、びくりと肩を揺らすフユトの膝の間に立つ。
「何だ、後から女と同じことをしてやろうと思ったのに、つまらない奴だな」
 捕食者の目で見下ろすシギを、フユトが見上げる。
 これが二人きりの部屋での出来事なら、感受性豊かなフユトは間違いなく、悪い震えに囚われるのだが、残念ながら、ここは会員制高級クラブの個室だ。いつ、誰が入ってくるとも知れない場所で、フユトは絶対に失態を犯さない。
「つくづく、お前には付き合いきれねェわ」
 フユトは呆れたように言って、座面に乗りあげようとする体を押しのけ、立ち上がる。
「つれないな」
 シギの悪ふざけに肩を竦めるでもなく、フユトは凄みを増した剣呑な眼差しで一瞥しただけで、個室を出て行った。
 二人の関係を外部の人間にひけらかされるよりは、いっそ、清々しいほど距離を置いてくれるほうが好ましい。それが例え二人のためではなく、フユトの面子のためだったとしても。
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