Envy-3

文字数 2,061文字

 目の前にいるフユトは、もはや不機嫌ですらなかった。今にも射殺しそうな眼差しでシギを見据え、緊張を伴う威圧を与える。
 無論、シギは殺気に()てられて萎縮する男じゃなかったし、ジリジリと焦げ付くような圧すら意に介さない。フユトの精一杯の威嚇を鼻で笑う余裕がある。野良犬ごときが獅子に襲いかかったところで、致命傷など与えられるはずもないとばかりに。
「シュントと会うなって言っただろうが」
 地を這う低音に、シギは再び、鼻で嗤った。
 情報屋として用があるからと言われ、こちらが指定した路地に呼び出してみたらこれだ。お前が聞かなきゃならないことは一択なのかと言いたくもなる。
 どんなに凄んでも顔色一つ変えず、あしらう気色を見せるシギに、フユトの眉間はますます険しくなる。いい加減、揶揄(から)かわれていることに気づけばいいのに、兄のこととなると、フユトの視野は途端に狭くなるのだ。
「会おうとするのはいつもシュントだ」
 牙を剥いて唸ることしか知らない野良犬のようなフユトに嘆息し、シギは何度目になるかわからない台詞を紡ぐ。
「それに、あれの不調はお前も知ってるだろうが」
 ハウンドの纏め役として体調を気遣っただけに過ぎないと宣えば、フユトは喉元まで出かかった言葉を飲み込むように顔を伏せ、鋭く舌打ちをした。恐怖と畏怖の象徴たる支配者に悪態をつくなんて、フユトにしかできない所業だ。力で捩じ伏せてわからせたとて、大人しく服従などしないだろう。
「そんなの、お前の世話にならなくたって」
「男娼時代に悪いものをもらったとは考えないのか」
 渋面でごねるフユトの言葉にかぶせる。びく、と肩を揺らして、怯えたような瞳がシギを見た。
 フユトにこんな表情をさせられるのはシュントだけだ。ほんの少し、妬ける。
「その場合、治療薬は正規の医者でも莫大になる、非合法なら三倍だ、お前の中身を売っても賄えるかどうかだな」
 嫉妬の腹いせとして、フユトを脅しておく。
 血液や体液を介して感染する免疫疾患は、発症を遅らせることだけが唯一の方法だとされて来た。つい数年前、ようやく新薬が治験段階に入ったとされているが、新しい情報はない。
 発症すれば死を待つだけの病のことは、さすがのフユトも知っているらしく、息を呑む顔色は冴えなかった。
 この世界で器用に生きていくには、フユトには金もコネクションも足りない。勝者が創り、勝者が回す社会なんて、弱者のためにはできていないのだ。その原理原則は誰にも変えられない。
「……それはさておき、俺の依頼はどうなってる」
 フユトの不安を煽っておきながら、シギは淡々と進捗を尋ねた。双子には、他所から流れてきた不穏分子の殺害を任せている。
 女のヒモを生業としながら、フリーの人身売買のブローカーとして生きる男が流れ着いただけなら、シギ自らが動くことはない。組織子飼いへの実害及び外部からの依頼があったからこそ、野放しにできないのだった。それに、これはシギにとって好機でもある。双子を永遠に引き離せるかどうかが、フユトの仕事の腕にかかっている。
 このブローカーが既に、ある男娼に目を付けて可愛がっていることは知っている。先日、何食わぬ顔で男娼と接触したものの、あの少年はフユトに似た脆弱性を孕んでいるから、早晩、何か起こすに違いない。その時も仕事は双子に任せる腹積もりでいる。
「会わないって約束だったから受けてやったのに、話がちげーんだよ」
 不安から苛立ちに感情をシフトさせ、フユトが忌々しげに頭を搔いた。その声には安堵が含まれているから、やはり、不安を焚き付けられたままでは自分を律することができなくなるのだろう。
 シュントの慢性的な不調のように、フユトの衝動性の高さも病のようなものだ。不安が強い環境に長く置かれ続けたために、少しのことでも箍が外れる。感情の容積の器は常にほとんど埋まっているから、たった一滴の揺らぎさえ留めることができずに溢れる。
 二人ともが素直だったなら、こんなに拗れることもなかっただろうに──思いながら、主犯のシギは胸を痛めることすらない。シュントも、フユトも、それぞれに傲慢だが、彼らのそれはシギに比べれば可愛いものだ。歳上の部下の渋面が目に浮かぶ。今のシギに、手に入れられないものなどない。
 端的に進捗を話すフユトの無表情を眺める。兄だけに向けている穏やかな表情を、いつか、シギにも見せてくれるだろうか。あの子どもと同じように、どんな罪咎も受け入れ、許そうとしてくれるだろうか。
「……人の話聞けっての」
 はぁ、と大仰な溜息を吐かれて我に返る。進捗を聞いておきながら、フユトの声など耳に入らなかったから、
「ああ、済まない」
 らしくなく、素直に詫びてみた。フユトが化け物でも見たような顔で振り向く。
 もうじきだというのに待ちきれない。その全てを絡め取り、永遠に逃がしてなんかやらない。シギのエゴのために引き裂かれる双子の、フユトの絶望を思うと、乾いた唇に噛み付いてやりたくなる。お前には俺だけでいいと、深く刻みつけるように。
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