Dawn-2

文字数 2,354文字

 シュントを心配そうに見つめる少年の瞳が、シギに向けられる瞬間だけは鋭くなる。悪運といい、宿敵を嗅ぎ分ける本能といい、想像以上に申し分のない資質だ。打診しておいて良かったと思いながら、抱きつくシュントに離れるよう合図する。
「前に話してたお客さんだよ」
 シュントは素直に従って、一定の距離からは近づこうとしない弟の元へと歩み寄り、
「この人は大丈夫、俺もフユトも傷つけないから」
 穏やかな口調で説得する。
 その間も、警戒心を緩めない少年──フユトは、シギを仇敵とばかりに睨み据えていた。初対面の人間を見極めようとする視線の中には、兄を独占したいがゆえの嫉妬も見え隠れする。これも嘘が下手なのかと思うと、意図せず口角が上がった。獣が唸るようだったフユトの肩が、反射的にびくりと揺れた。
「……でも」
 一瞬でも怯えたことを恥じたらしい。フユトは敵意に満ちた目を、傍らの兄へと不満げに向ける。
「俺も雰囲気が変わったからびっくりしたけど、悪い人じゃないから、ね?」
 どこまでも穏やかでにこやかなシュントの説得に、フユトはようやく、肩の力を抜いた。それでも猜疑は抜けないらしく、胡散臭いものを見るような面持ちで、不機嫌な視線を向けてくる。
「前に言ったことは覚えてるか」
 そんなフユトの視線は敢えて無視した上で、シギはシュントに問う。不思議そうに振り向いたシュントは僅かに逡巡したのち、まさか、とでも言いたげに目を見張って、
「無理だよ」
 大きく首を振る。
 最後に会った日、腕の中で微睡むシュントの耳元で、シギは、売春ではない別の仕事をしないかと持ちかけたのだ。同時に、シギが実は、大財閥の次期トップであり、裏稼業の人間を束ねる大組織の総帥候補だと打ち明けると、微睡んでいたはずのシュントは、眠気も吹き飛んだ様子で驚いていた。そんなシュントに対し、シギは更に、話として聞く限り、弟にはハウンドの資質があると告げて、混乱の極みに追いやった。そのときも今も、シュントの答えは変わらない。
 やり取りの内容は、フユトに伝わっていないらしい。怪訝な顔で兄を見て、胡乱な視線を寄越すフユトの反応に、小さく嘆息する。
「すぐに答えろと言うつもりはないが、とりあえず場所を移そう」
 ようやく捉えた双子を逃すつもりなど、毛頭ない。これまでだって、彼らを取り巻く脅威を陰ながら排除してきたのは、偏に、この日のためでしかない。
 シギの根深い執着は、淡々とした口調には一ミリも滲まなかった。嘘が下手であるなら、嘘でないことを言えばいいと教えられた通り、厳選した言葉を紡ぐ。
「車を待たせてる」
 双子は戸惑いを隠さず、互いの顔を見た。二人とも、それなりに頭の回転は速いらしく、シギの言葉が退路を絶つものであることは、すぐに理解したようだ。話を呑んでも呑まなくても、ここには二度と戻れない。そして、これから提示される条件は、死ぬか飼われるかという、究極の二択であることも、何となく勘づいている。
 俯くだけに留まったシュントとは違い、フユトは真っ直ぐに、思いがけないほど真摯な眼差しでシギを見る。シギの思惑の半分を理解した、聡い瞳で。
「わかった」
 承諾の言葉に、慌てたのはシュントだ。
「フユト」
 そんなシュントに、フユトは柔らかく首を振ると、
「話だけなら聞く」
 強い意志で言い切った。
 シュントが売春することに負い目や引け目を感じるフユトだから、鬱屈しているだろうと睨んだ通りだ。あまつさえ、血の繋がった兄弟では持ち得ないほどの執着を兄に見せるなら、釣り餌は的確なものを選んだ方がいい。シギの駆け引き相手は最初からフユトだ。シュントはフユトを盤面へと引きずり出すために利用したに過ぎない。
 まず、圧倒的に有利なテリトリーに持ち込み、双子の逃げ道を絶つ。次に、フユトが持つだろう正義感を刺激する。そうなればもう、フユトの返事はわかりきったものだった。
 ビジネス街にほど近い場所に建つシティホテルは、養父の跡を継ぐ前から経営を一任されていたこともあり、従業員から全幅の信頼を得ている庭だ。多少ならずとも、融通は効く。
 前もって押さえていたダブルの部屋に双子を通すと、二人はますます、逃げられないことを痛感したようだった。腹を括ったと見えたフユトでさえ、蒼白になっている。
 アイボリーの壁紙に暖色の間接照明が程よく馴染み、木目調に統一されたインテリアも相まって、居心地のいい空間が演出されている。が、二人が知るのは良くても黴臭いモーテルだろうから、慣れない環境に呑まれてしまったようだ。
 シギはドアに凭れて退路を塞ぎ、棒立ちのままの二人の背中を押した。
「好きに使っていい」
 シュントは蒼白を通り越し、半ば泣きそうな顔をして、シギを振り向く。シギの唇が緩やかに弧を描いているのを見て、諦めるしかないと思ったようだ。そっと傍らに手を伸ばして、フユトの指に絡める。幼い頃からの無意識の癖だろうが、シギは思わず、見咎めるように目を細めた。
「……話はどうするんだよ」
 シュントの手を握り返しながら、フユトが不意に振り向いて聞く。寸前で表情を改めたから、シギの僅かな変化には気づかなかっただろう。
 剣呑な視線を受け止めて、シギは、我が意を得たり、とばかりに嗤う。
「今日は休め」
 それが優しさだと言わんばかりに告げると、二人はまたしても目線を交わしてから、この場の支配者たるシギを見る。
 懐柔するつもりも、外堀を埋めて籠絡するつもりもなかった。二人が自らここにいることを望むように仕向けてはいるものの、それは飽くまで二人の判断で、シギにはどうすることもできない。ましてや、二人は長年、路上で暮らしてきたのだから、寝心地を保証する高級寝具など落ち着かないし、眠れないだろうとすら思う。
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