Epilogue-2

文字数 2,158文字

「新しい娼婦(オンナ)が入ったが、どうする」
 フユトに薬を盛る一月(ひとつき)前、やけに殺気立った雰囲気でバーに現れたフユトは、シギの申し出に眉を顰める。これに男娼(オトコ)を宛てがうと壊されるものの、フユトが女子供に弱いことは熟知していた。
「何だよ、それ」
 呆れた風にカウンター席へ腰掛け、寡黙なバーテンが差し出すグラスを受け取り、フユトは遠くを見たままだ。
 常に殺気立っていようと、実は心ここにあらずであることも、知っている。
「お前がまた問題を起こす前に発散させようかと思って、な」
 よく気が利くだろうと言わんばかりのシギの発言に、フユトは露骨に嫌悪を浮かべて、
「そんな気分になれるかよ、クソ」
 あたかも対等な立場であるように、悪態をついた。
 寡黙なバーテンが素早く視線を向けるから、それには目を伏せて答える。
 フユトにしてもらいたいのは忠誠を誓うことじゃない。この身も心も永劫に捧げる服従より、シギに依存した結果、どこにも征けなくなる末路が欲しい。唐突に外された首輪を茫然と見下ろして、捨てるなら殺してくれと希う、或いは単なる奴隷よりも悲惨な未来。
 俺にはお前しか要らないように、お前も俺だけになればいい。フユトを傷つけるものも、脅かすものも、シギ一人だけでいい。
「なら、ヘマした子飼いをバラして沈めるほうがいいか」
 お決まりの嗤い方で問うと、フユトは嘔吐くような真似をしてから、
「お前のバラすは挽肉だろ」
 うんざりした様子で答えた。
「何分割するかは任せる」
「そうじゃねェよ」
 本気とも冗談ともつかない話しぶりに、フユトは冷静に間を置くと、
「どこで切るかじゃなくて、何で俺なんだよって言ってんだよ」
 馬鹿か、と語尾に言い添えそうな口調でフユトが尋ねる。
「俺の手元に入る依頼を根こそぎ持っていくつもりのようだからな」
 途端に、剣呑さを孕んだままだったフユトの顔が、露骨にシラケた。シギを買い被っていた、とでも言うように、失望を隠さない。
 一度は仕事を振らないことにしたものの、やまない催促に根負けした形で、大事な依頼以外の仕事を割り当てるようにした途端、これだ。
「あれっぽっちがお前の権力かよ」
 シギは黙ったまま答えなかった。
 都合が悪いと思われることを聞かれたときに否定も肯定もしなければ、大半の人間は肯定したと受け取る。勝手に期待し、勝手に裏切られたと思い、勝手に失望して離れていく。表の世界でも裏の世界でも立場あるシギでさえ、この程度なのだと、フユトは勝手に思い込めばいい。
 蛇は強かに本性を見せない。
 ほんの少し背伸びをすれば、この忌々しい男にも引導を渡すことができるとフユトが誤解して、更に強気に打って出るのが狙いだ。
 攻めるときは苛烈に、甘やかすときは輪郭を失うほど蕩けるまで、飴と鞭の配分を綿密に計算する。脳天から崩れ落ちそうに、ねっとりした愉悦の声を唇と鼻から漏らすフユトを、丁寧に、寸分の狂いもなく、じわじわと墜としていく。
 抗っても従っても悦くなって、そのとめどない淫悦地獄からは逃げられない。
 その程度かと一度は見下した男に骨の髄まで侵されながら、自我を失って微かに開き、潤む瞳で何を思うだろう。
「ぁッ、また、イ──っ!」
 シギの首に縋って、フユトが背を撓らせる。喉笛を噛み切って欲しいとばかりに差し出すから、突き出た喉骨の陰影を優しく舌で辿ってみた。
 脳内にも視界にもチカチカと星が瞬いているのだろう。忘我の深層に至ったフユトには漏らす声もない。はくはくと、仕留め損なった獲物のように唇を震わせて、酸素だけを本能的に取り込んでいる。
 どろり、と濁った体液が一拍遅れて押し出される。ゼリー状に凝ったそれは、フユトが流され続ける快楽の強さを物語る。ぐるん、と反転しかかった瞳を現実に縫い付けるように口付けてみた。強烈な快感に藻掻きながら、果てのない愉悦と責め苦に溺れながら、フユトが拙く舌を絡めるから、性懲りもなく弱点を抉ってやった。
 舌先を犬歯が掠める。チリ、とした感覚も束の間、フユトが声を殺さずに反った。全身で地獄を甘受しながら、天国には昇れない体。魔物との共生を選んだのは、他でもなく、フユト自身だ。
 この腕の中で飼われる安寧に浸ればいい。何も考えず、何も恐れず。
 そうやって、ゆっくり、ゆっくりと、首筋に打ち込んだ牙から猛毒と麻痺を垂れ流し、フユトの正常な思考力を奪い、孤独への不安と恐怖に替わるもので満たしてやる。もう、自由なんて与えてやらない。此処でなきゃ生きていけないと言わしめたい。
 シギが内奥で抱える病的な束縛と独占欲に呼応するように、フユトが陥落すると決めて、既に五年は経っている。相変わらず悪態は減らないし、軽口の応酬も日常茶飯ではあるものの、この関係はそこはかとなく、居心地がいい。
 実の兄とは築き損ねた箱庭の楽園を、フユトが居場所と定めるまでが長かった。手負いの獣のように警戒心と猜疑心ばかりが強く、シギの思惑を慎重に見定め、その思いは真実かと詰問されるような日々も悪くはなかった。悪くはなかったけれど、無意識を装って擦り寄る甘え方だとか、ぶっきらぼうなようで耳の縁を赤く染める照れ隠しだとか、素直じゃないフユトの些細な反応に気づくようになると、ますます、誰にも渡したくなくなるから困ったものだ。
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