Dawn-1

文字数 2,390文字

 それから更に三年は長かった。用心深いことで知られる養父を、知略で闇討ちして葬った際の達成感は、およそ十年前に犯したとされる殺人の結果より甘美なはずだ。
 仕来り通り、遺言に基づいて後処理をし、財閥と組織の体制を整え終える頃には、季節が一つ巡り、二つ目が終わろうとしていた。
 養父の闇討ちに備えて準備していた頃、娼婦や男娼の纏め役となったリクから、双子に近づく危険な客の存在について相談を受けたことがある。その客は無害を装って子どもに近づき、二人きりの密室になると暴力的な本性でリンチを加えて何人も殺したことがある、加虐趣味を超えた男だった。
 裏を取った上で殺害に動く直前、双子の生存を遠目に確認して以降、廃墟群に足を踏み入れたのは実に半年ぶりだろうか。
 双子の兄であるシュントを定期的に買うようになってから四年、信用を得て近況を教えてもらえるようになってから三年。変わり映えのしない廃墟群の中、双子が塒とする場所の特徴を教えてもらって、もうすぐ一年。予定が立て込んだために足は遠のいてしまったが、二人が存命であることは纏め役からの報告で知っている。
 深い夜陰の中を、足音を立てずに歩く。
 思えば、初めて廃墟群に足を踏み入れた頃から、身のこなしも立場も随分と変わった。纏う雰囲気や顔つきも変わったと言ったのは、ハウンドとしてもハイエナとしても駆け出しのシギを知っている、リクに他ならない。
「あんなに可愛いくて、嘘の下手な童貞くんだったのにねぇ」
 なんて感慨深そうに言うものだから、そこは無言で聞き流しておいた。
「どんな生き方をしたら、そんなに殺伐とできるのかしら」
 感心するリクには答えなかった。そんなこと、当人であるシギも聞きたい。
 元より、他人を害することに頓着などしない性質(タチ)ではある。どんな手段で殺そうが、生きたまま慎重に解体しようが、惨いなんて一度も思わなかった。あらゆる人間を率いて君臨すべき立場だからこそ、希薄な情も生温い思考も、全て捨ててきたのは確かだ。
 養父を殺し、財閥と組織を受け継ぐことになってから、両の肩口から手首にかけて、大蛇を模した墨を入れた。人類最初の女を唆した知恵の化身であり、死と再生を宿す無限の象徴だ。狡猾に、誰よりも残忍に生きる、修羅の覚悟でもある。
「……でも、ちゃんと恐怖を知ってるのね」
 双子の生存を報告した口で、リクはどこか寂しげに言った。
「貴方なら大丈夫、もう怖いものなしだもの」
 相変わらず、他人を看破することに長けていた。
 夏の終わりの夜更けは冷え込む。息は白くならずとも、薄手の服では心許ない。本格的な寒さが来る前で良かったと、心から思う。今年の冬は寒波が堪えると、どこぞの国の長期予報が言っていた。昔から運には恵まれている。
 廃墟群の入り口から三ブロック目の通りから細い路地に入り、二ブロック進んだ先の二つ目の建物。何度も頭の中で復唱した場所を探し当て、建造物に侵入すると同時、手にしていた携行ライトのスイッチを入れた。もはや頑丈な造りであること以外の詳細がわからない、伽藍堂の闇が広がる。
 廃墟群の奥に入れば入るほど、汚臭と死臭が当たり前になるから、鼻は効かない。廃墟の中や路地のそこかしこで誰かが死に、或いは汚物に塗れて横たわっているからだ。
 戦時中の業火の痕跡で煤けた壁を照らして、ここで何人が焼け死んだのだろうと、ぼんやり考えてみる。一千度にもなる高温の炎に焼かれたら、骨も残らなかっただろう。ナパーム弾が炸裂したとき、ここには確かに生きていた人々がいたのだと、壁に残る煤だけが如実に語る。人の形に焼き付いた煤を指先で拭うのと、微かな物音が鼓膜を震わせたのは、ほぼ同時だった。
 手元の明かりを深い闇へ向ける。横に長い建物の奥へと駆け出す気配がある。
 追い詰める意図はないから、わざと足音を立てて、歩調を緩めた。敵意がないことを本能に示すには、こちらの存在を誇張してやればいい。
「……待って」
 微かな声が聞こえる。子ども特有の甲高い声ではなく、変声を迎えた歳頃のものだ。こんなに過酷な環境の中でも、ちゃんと成長しているのだと思うと、彼らも悪運には恵まれているらしい。なるほど、それは確かに資質だろう。
「シギさんだ」
 壁の向こうの空間から光の中に向かって、見慣れた面影が顔を出した。眩しそうに目を細めるのは、最後に会ったときより大人びてはいるものの、シュントに間違いない。
 駆け寄る体を抱き留めた。十五になるというのに、その笑みには屈託がない。人の下心と暗部を嫌というほど見てきた割に、純粋で無垢な表情をする。
「もう会えないかと思ってた」
 心から嬉しそうに笑うのに、その口調も揺らがないのに、欺瞞が見え隠れするのがわかる。無理に作った笑みと感情で、この少年は長年、弟と二人、食い繋いで来たのだ。それが手に取るようにわかると、シュントへの関心は急速に凪いでいく。少し前ならきっと、もっと、上手く騙されてやったはずなのに。
「シュント、いいから来いって」
 押し殺された声がした。野生動物のように警戒を怠らない、生きることに貪欲な声。
 シュントの顔から目線を上げる。こちらとは壁を隔てる空間の入口に、シュントと瓜二つの顔ながら、全く別人のような雰囲気の少年がいる。
 時が止まった気がした。衝撃に打たれて息が詰まる。
 だいじょうぶ、と嵐の中で囁いた、あの日の子どもの面影だ。
「だいじょうぶだよ」
 記憶の中の声に、シュントの声が重なって我に返る。シギの腰に抱きつきながら、弟を振り向いて手招く少年が、急に無価値に思えた。
 全身の毛を逆立てて威嚇する獣さながら、露骨な警戒を浮かべる少年が、兄に呼ばれるがまま、そろそろと近づいてくる。生き物として正しい反応ではあるものの、その喉笛に喰らいついて組み伏せたい本能的な欲求を、存分に刺激される。
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