第4話 ふしぎなひかり
文字数 5,664文字
主が、女官見習いとして後宮で働き出して早3か月。
1人で仕事を任されるまでになった主とひきかえ、
おいらはいまだ、手柄はゼロ。幻狐にも逃げられっぱなしだ。
憎たらしいことに、幻狐のやつは、痕跡は残すが決して、姿は見せない。
本当に、幻狐は、後宮にいるのだろうか?
と疑問に思い出した矢先のことだった。
その夜、主は夜勤だった。またもや、カギが紛失する事件が起きた。
今度は、三種の秘宝のひとつ、秘鏡が安置されている
鏡の部屋だというからやっかいだ。
まったく、そんな大事な部屋のカギをどこのどいつが失くしやがった?
「どうしましょう!どうしましょう! このままだと殺されちゃう!」
3時間前から、御門司の事務室の畳の上で、
女官装束姿の幻兎がのたうち回っている。その名をコッシ―という。
うるさいったらありゃしない!
おいらは、耳を折りたたんで少しでも聞こえないよう防御していた。
「これが終わったら、一緒に探しに行きましょう」
主が、日誌を書きながら言った。
「生きるか死ぬかの瀬戸際な時に、
よくもまあ、落ち着いて、日誌など書けるてぇば」
コッシ―が上体を起こすと、主を責めた。
「お待たせしました。では、参りましょう」
主が、日誌を閉じてすくっと立ち上ると、コッシ―の首根っこをつかんだ。
「何をするんけ? 」
コッシ―が、手足をバタバタさせながらもがいた。
「本当に、あなたも幻兎なの? その恰好はなんなの? まるで、女官そっくりじゃん」
主が笑った。
「おいらの仲間の中には、人間から転生したやつもいるらしい。こいつが、それみてぇだ」
おいらが言った。
「死ぬ前は、姉さとおんなじ女官だったんだて」
コッシ―が言った。
「私以外の人間には、あなたの姿が見えないのだから、
命を取られるわけないじゃん。-て言うか、幻獣に死は訪れるわけ? 」
主が、コッシ―の顔をのぞき込むと訊ねた。
「秘鏡を守るのが、おらの使命なんさ。
カギを失くしちまったってことは、死に値する重罪なんだて」
コッシ―が泣きながら訴えた。
「さっきから、気になっていたんだけど、その訛り何とかならないの? 」
主がうんざりした顔で言った。
「わかったわや。次から、訛らねえようにするっけ、助けてくんなせ」
コッシ―が深々と頭を下げると言った。
「いつ、どこで、失くしたのか思い出してみなよ」
主が、コッシ―に言った。
「気がついたら、女官が倒れていたんです。
カギがなくなったことに気づいたのはその後です」
コッシ―が覚えていることを話した。
「ウーはどう思う? 」
主が、おいらに訊ねた。
「カギは、その倒れていたという女官が持っているのではないのか? 」
おいらは思ったまま答えた。
「それはないですよ。上級女官が、
その女官のからだを調べたけど、何にも出て来なかったんですからねえ」
コッシ―が暗い顔で言った。
「ところで、カギがなくなったぐらいで、死ぬに値する重罪というのは、
ちょっと、大げさ過ぎない? 何かわけがありそうねえ」
主が、コッシ―に訊ねた。
「お頭に、命がけで任務にあたるよう言われました。
命がけということは、つまり、失敗したら、腹を切れと言うことですよね? 」
コッシ―が上目遣いで言った。
「おい、何をぬかしやがる?
てめー! 満月兎が、腹切りを命じられるわけがねぇだろ?
満月兎は、そんな冷酷なお方じゃねぇぜ」
おいらは思わず、ムカッと来て声を荒げた。
(なんなんだい、こいつ? 満月兎を血も涙もない極悪兎扱いするなど、
幻兎の風上にもおけねえやつだぜ)
「まあまあ。落ち着きなよ」
主が、おいらの頭をなでると言った。
「やめてくれ。気色悪い」
おいらは一応、抵抗してみせたが、内心、心地よかった。
「所詮は、飼いならされた兎ですねえ」
コッシ―が冷めた口調で言った。
「あんたにだけには言われたくねえ! 」
おいらは、コッシ―に詰め寄った。
コッシ―の案内で、鏡の部屋の前まで来た。コッシーの話によると、
カギがないため、今は部屋の中に入れないという。
念のため、主が、ドアノブをひいてみた。
すると、驚いたことに、ドアが開いた。
「あれ? 開いているじゃん」
主が言った。
「あれ? おかしいねえ。さっきまで、閉まっていたんだけど‥‥ 」
コッシ―が気まずそうに言った。
「あれ、見て! キレイ!」
主が、部屋の奥に安置されている秘鏡を見つけると歓声を上げた。
雲の合間から顔を出した月の光りに照らされて、秘鏡が、キラキラと輝いてみえた。
「あれ? なんか、おかしくない?
たしか、秘鏡って、布か何かに覆われているはずじゃない?
あんなむきだしの状態で安置されていたら、何かの拍子に、傷がついちゃいそう」
主がハッとしたように言った。
次の瞬間、強い白い光りに包まれたおいらと主は、その場に気を失って倒れた。
どれぐらいの間、眠っていたのだろう。
目を覚ますと、御門司の事務所に戻っていた。
「あれ? コッシ―はどこ? 秘鏡は? 」
隣に大の字になって寝ていた主が、飛び起きた。
「何言ってんの? 夢でも見たんじゃない? 」
大柄な女官見習いが、主の顔をのぞき込むと言った。
「鏡の部屋のカギはどうなった? 」
主が、大柄な女官見習いに訊ねた。
「ちゃんと、あるわよ」
大柄な女官見習いが、きょんとした顔で答えた。
「本当だ! 」
主が、壁にかかっているカギを見ると言った。
「ところで、大丈夫? 」
大柄な女官見習いが、主に訊ねた。
「うん」
主が答えた。
申し送りをした後、主はぼんやりとした顔で、御門司の事務所を出た。
まっすぐ、部屋に戻ると思いきや、なぜか、主は、鏡の部屋へ向かった。
「いったい、何をするつもりだい? 」
おいらはあわてて、主の前に立ちはだかると訊ねた。
「確かめるに決まってるじゃん。あれは、絶対に夢じゃない。
昨夜、幻兎のコッシ―に泣きつかれて、鏡の部屋へ入った後、
白い光りに包まれて気を失ったんだ。
夢にしては、やけに、記憶がはっきりし過ぎてるもん」
主がそう言うと、おいらの腕をつかんだ。
「おいらの目には、大量の形代が、襲いかかってきたように見えたけどね」
おいらが言った。
「じゃあ、コッシ―は? あのこも、形代だったってこと? 」
主が歩きながら訊ねた。
「幻兎にしては、どっか、おかしかった。体臭が違った気がする」
「あんたが言うんだから、その可能性もありそうね」
「そうだろ? おいらたちの体臭は、花の香りになんだ。
だけど、あいつのからだからは、何も香ってこなかった」
「人間から転生したせいかもよ」
「極めつけは、満月兎を極悪兎扱いしたことだ。
幻兎ならば、満月兎をリスペクトしてあたりまえだぜ。
だいたい、死刑など幻兎族の間にはありえねえんだ」
おいらがそう言った直後、主が足を止めた。
「ここが、昨夜、初めて入った鏡の部屋だけど‥‥
なんか、雰囲気が違う気がする」
主が言った。
昨夜と違って、近寄りがたい雰囲気を漂わせている。
「おまえが、そこで、何をしておる? 」
「百合様」
声をかけられた上級女官を見るなり、主があわてて、ドアの前から離れた。
「ここは、後宮の聖域。許された者しか、立ち入れぬ所じゃ」
百合が低い声で告げた。
このお方は、女王の側近中の側近で、主たちにとっては、雲の上の存在なんだ。
ふだん、めったに、お目にかかることはないし、
お言葉を交わせるのは、ごく限られた上級女官だけだという。
「申し訳ございません。実は、昨夜、鏡の部屋のカギが紛失したとの連絡を受けて
確認しに参ったのですが、閉まっているはずの鏡の部屋が開いており、
中を確かめようとした矢先、白い光りに包まれて気を失った次第」
主が早口で、事情を説明した。
「もしかして、夢か否か、確かめに、参ったのか? 」
百合が冷静に訊ねた。
「目を覚ましたら、カギはちゃんと、元の場所に戻っていました。
同期からは、夢を見たのではないかと言われたのですが、
夢にしては、記憶がはっきりし過ぎる気がしまして、はい」
主が上目遣いで答えた。まるで、蛇ににらまれた蛙みたいに、身を縮めている。
「カギはあったのだな? 」
「はい」
「ならば、良いではないか? 」
百合がそっけなく言った。
「昨夜、ここへ参った時、あろうことか、
秘鏡が、むきだしの状態で安置されていました。
防犯上、よろしくないのではないかと思います」
主が、言わなくても良いことを口走った。
「それは本当か? 本当のことならば、捨て置けぬ」
百合が眉をひそめた。
「百合様」
そこへ、美しい女官がやって来た。
この女官は、鏡の部屋の管理責任者である上級女官の補佐をしている。
その名を鏡花という。この女官が、
コッシ―が、倒れているところを発見したと言った女官に間違えない。
「なんだ、元気そうじゃないか」
おいらは思わず、口走った。
「おまえは、たしか、御門司の女官見習いではないか? 」
鏡花が、主を見ると言った。
「鏡花。秘鏡が、むきだしの状態で安置されていたとこの者が申しておるが、
まことか? 」
百合が、鏡花に訊ねた。
「さようなことは、絶対、ありえません」
鏡花がきっぱりと否定した。
「やはり、夢のようだ」
百合が、主にそう言うとその場を立ち去った。
「本当に、カギを失くされませんでしたか? 」
主が訊ねた。
「ああ」
一瞬、鏡花の目が泳いだ気がする。ウソをついているサインだ!
「信じてもらえないとは思いますが、カギの紛失を知らせて来たものがおります。
そのものは、人間ではなく、幻獣なんです」
何を思ったのか、主が、コッシーの存在をほのめかした。
(まずいだろ? ふつうの人間には、おいらたち、幻兎の姿が見えないことを忘れた
のかい? 頭がおかしいと思われるだろうが! )
「おまえが見えたのは、おそらく、秘鏡を守っているという幻獣だろう。
昔、上役から聞いたことがある」
驚いたことに、鏡花が、幻獣を認める発言をした。
(もしかして、この女官も、幻獣が見えるのかい? )
「信じてくださるのですか? 」
主の表情が明るくなった。幻獣の存在を認める人間が、自分の他に現れたのだ。
うれしくてたまらないはずだ。
「実は、私も、幼いころは見えたの。
だけど、後宮にあがってからは、見えなくなった。
きっと、おまえの心は、清らかなのだろう」
鏡花が穏やかに告げた。
「そうなんですか? あの、また、お話しさせてもらえませんか? 」
主が言った。
「ごめんなさい。それは無理なの。私、近じか、後宮を出ることになりそうなの」
「そうなのですか、残念」
「私も残念だわ」
「よければ、後宮を出る理由を教えていただけませんか?
基本的に、女官は、一生奉公でしたよね? 」
別れ際、主が訊ねた。
「代替わりの時に、宿下がりを許される女官がいるそうなの。
まもなく、代替わりするとお告げがあったらしいから、
もうじき、ここから出ることが出来ると思う。
ここを出たら、故郷へ帰り結婚するつもりよ」
鏡花が幸せそうに答えた。
「そうですか。お幸せに」
主が言った。
「ねえ、今の聞いた? 代替わりってことは、
つまり、女王様が譲位なさるってことよね? 」
鏡花と別れた後、主が、興奮気味に言った
「あれじゃないか? 前に、蔵の中で、
コンコン様のお告げを聞く集いがあっただろ?
あの時、天地が、ひっくり返るような出来事が起こると
お告げがあったじゃないか? 」
おいらは、鏡花女も、秘密の会合に参加していたに違いないと思った。
「あんなデマ信じているんだ。何か、がっかりだわ」
主がため息交じりに言った。主が幻滅したのが、おいらなのか、それとも、
鏡花なのか、どっちか、わからない。
だけど、案外、主が、現実的なことに少し驚いた。
「一時、危うくなったものの、今は、持ち直したとは言っているが、
この先、どうなるのかは、神のみぞ知ることだぜ」
おいらがそう言うと、主が、おいらの頭をぐりぐりした。
「女王様は不死身なの。崩御なさるはずないじゃん」
主が強く言った。
それから、数日後。意外な人物が、主の元へ訪ねて来た。
白髪という名の王子の遣いで来たと言う上級女官だ。
「おまえが見たという摩訶不思議な白い光りの話をこれで、売ってくれないか? 」
会って早々、上級女官が、金色の巾着袋を差し出すと言った。
「なぜ、その話をご存じなのですか? 」
主が訊ねた。
あの夜の出来事は、百合にしか話していないはずだ。
百合と白髪王子の間には、何だかのつながりがあるというわけか??
「ある者から話を聞いて、王子が、ぜひにとの仰せじゃ」
上級女官がすました顔で答えた。
「わかりました。ただし、お金はいりません」
なぜか、主が快諾した。
(夢を売り買いすることなど、出来るのかよ?
夢は、実体のないモノなのに、その価値をどうやって決めるんだい? )
「本当にそれで良いのか? 」
上級女官が身を乗り出すと訊ねた。
「はい。私が持っていても、どうせ、宝の持ち腐れでしょう」
主が答えた。
「お金がいらぬのなら、何か、他に望むものはあるか? 」
上級女官が訊ねた。
「しいて言えば、昇進ですかね」
主がそう言うと、上級女官が眉間にしわを寄せた。
「おまえ。若いわりに、なかなかの野心家と見受けた」
上級女官が冷ややかに言った。
「野心家でもなんでもかまいません。それもこれも、親孝行なんです」
主が訴えた。
(そうか、出世は、主の望みではなく、父親の望みということかい? )
おいらは、主の言葉を聞いて、主の言葉の意味を理解した。
「王子にお訊ねしてみよう」
上級女官が告げた。
「ありがとうございます」
主が深々と頭を下げた。
「気長に待つが良い。この話は、くれぐれも他言せぬように」
「心得ました」
おいらは思うところあって、上級女官が帰った後、主に訊ねた。
「本気に、それで良いのかい? 」
「形のないものを売り買いしようなど、ばかげた話だけれど、
私はあえて、話を合わせたわけ。どこで、運が開けるのかわからないしね」
主がウインクすると言った。
1人で仕事を任されるまでになった主とひきかえ、
おいらはいまだ、手柄はゼロ。幻狐にも逃げられっぱなしだ。
憎たらしいことに、幻狐のやつは、痕跡は残すが決して、姿は見せない。
本当に、幻狐は、後宮にいるのだろうか?
と疑問に思い出した矢先のことだった。
その夜、主は夜勤だった。またもや、カギが紛失する事件が起きた。
今度は、三種の秘宝のひとつ、秘鏡が安置されている
鏡の部屋だというからやっかいだ。
まったく、そんな大事な部屋のカギをどこのどいつが失くしやがった?
「どうしましょう!どうしましょう! このままだと殺されちゃう!」
3時間前から、御門司の事務室の畳の上で、
女官装束姿の幻兎がのたうち回っている。その名をコッシ―という。
うるさいったらありゃしない!
おいらは、耳を折りたたんで少しでも聞こえないよう防御していた。
「これが終わったら、一緒に探しに行きましょう」
主が、日誌を書きながら言った。
「生きるか死ぬかの瀬戸際な時に、
よくもまあ、落ち着いて、日誌など書けるてぇば」
コッシ―が上体を起こすと、主を責めた。
「お待たせしました。では、参りましょう」
主が、日誌を閉じてすくっと立ち上ると、コッシ―の首根っこをつかんだ。
「何をするんけ? 」
コッシ―が、手足をバタバタさせながらもがいた。
「本当に、あなたも幻兎なの? その恰好はなんなの? まるで、女官そっくりじゃん」
主が笑った。
「おいらの仲間の中には、人間から転生したやつもいるらしい。こいつが、それみてぇだ」
おいらが言った。
「死ぬ前は、姉さとおんなじ女官だったんだて」
コッシ―が言った。
「私以外の人間には、あなたの姿が見えないのだから、
命を取られるわけないじゃん。-て言うか、幻獣に死は訪れるわけ? 」
主が、コッシ―の顔をのぞき込むと訊ねた。
「秘鏡を守るのが、おらの使命なんさ。
カギを失くしちまったってことは、死に値する重罪なんだて」
コッシ―が泣きながら訴えた。
「さっきから、気になっていたんだけど、その訛り何とかならないの? 」
主がうんざりした顔で言った。
「わかったわや。次から、訛らねえようにするっけ、助けてくんなせ」
コッシ―が深々と頭を下げると言った。
「いつ、どこで、失くしたのか思い出してみなよ」
主が、コッシ―に言った。
「気がついたら、女官が倒れていたんです。
カギがなくなったことに気づいたのはその後です」
コッシ―が覚えていることを話した。
「ウーはどう思う? 」
主が、おいらに訊ねた。
「カギは、その倒れていたという女官が持っているのではないのか? 」
おいらは思ったまま答えた。
「それはないですよ。上級女官が、
その女官のからだを調べたけど、何にも出て来なかったんですからねえ」
コッシ―が暗い顔で言った。
「ところで、カギがなくなったぐらいで、死ぬに値する重罪というのは、
ちょっと、大げさ過ぎない? 何かわけがありそうねえ」
主が、コッシ―に訊ねた。
「お頭に、命がけで任務にあたるよう言われました。
命がけということは、つまり、失敗したら、腹を切れと言うことですよね? 」
コッシ―が上目遣いで言った。
「おい、何をぬかしやがる?
てめー! 満月兎が、腹切りを命じられるわけがねぇだろ?
満月兎は、そんな冷酷なお方じゃねぇぜ」
おいらは思わず、ムカッと来て声を荒げた。
(なんなんだい、こいつ? 満月兎を血も涙もない極悪兎扱いするなど、
幻兎の風上にもおけねえやつだぜ)
「まあまあ。落ち着きなよ」
主が、おいらの頭をなでると言った。
「やめてくれ。気色悪い」
おいらは一応、抵抗してみせたが、内心、心地よかった。
「所詮は、飼いならされた兎ですねえ」
コッシ―が冷めた口調で言った。
「あんたにだけには言われたくねえ! 」
おいらは、コッシ―に詰め寄った。
コッシ―の案内で、鏡の部屋の前まで来た。コッシーの話によると、
カギがないため、今は部屋の中に入れないという。
念のため、主が、ドアノブをひいてみた。
すると、驚いたことに、ドアが開いた。
「あれ? 開いているじゃん」
主が言った。
「あれ? おかしいねえ。さっきまで、閉まっていたんだけど‥‥ 」
コッシ―が気まずそうに言った。
「あれ、見て! キレイ!」
主が、部屋の奥に安置されている秘鏡を見つけると歓声を上げた。
雲の合間から顔を出した月の光りに照らされて、秘鏡が、キラキラと輝いてみえた。
「あれ? なんか、おかしくない?
たしか、秘鏡って、布か何かに覆われているはずじゃない?
あんなむきだしの状態で安置されていたら、何かの拍子に、傷がついちゃいそう」
主がハッとしたように言った。
次の瞬間、強い白い光りに包まれたおいらと主は、その場に気を失って倒れた。
どれぐらいの間、眠っていたのだろう。
目を覚ますと、御門司の事務所に戻っていた。
「あれ? コッシ―はどこ? 秘鏡は? 」
隣に大の字になって寝ていた主が、飛び起きた。
「何言ってんの? 夢でも見たんじゃない? 」
大柄な女官見習いが、主の顔をのぞき込むと言った。
「鏡の部屋のカギはどうなった? 」
主が、大柄な女官見習いに訊ねた。
「ちゃんと、あるわよ」
大柄な女官見習いが、きょんとした顔で答えた。
「本当だ! 」
主が、壁にかかっているカギを見ると言った。
「ところで、大丈夫? 」
大柄な女官見習いが、主に訊ねた。
「うん」
主が答えた。
申し送りをした後、主はぼんやりとした顔で、御門司の事務所を出た。
まっすぐ、部屋に戻ると思いきや、なぜか、主は、鏡の部屋へ向かった。
「いったい、何をするつもりだい? 」
おいらはあわてて、主の前に立ちはだかると訊ねた。
「確かめるに決まってるじゃん。あれは、絶対に夢じゃない。
昨夜、幻兎のコッシ―に泣きつかれて、鏡の部屋へ入った後、
白い光りに包まれて気を失ったんだ。
夢にしては、やけに、記憶がはっきりし過ぎてるもん」
主がそう言うと、おいらの腕をつかんだ。
「おいらの目には、大量の形代が、襲いかかってきたように見えたけどね」
おいらが言った。
「じゃあ、コッシ―は? あのこも、形代だったってこと? 」
主が歩きながら訊ねた。
「幻兎にしては、どっか、おかしかった。体臭が違った気がする」
「あんたが言うんだから、その可能性もありそうね」
「そうだろ? おいらたちの体臭は、花の香りになんだ。
だけど、あいつのからだからは、何も香ってこなかった」
「人間から転生したせいかもよ」
「極めつけは、満月兎を極悪兎扱いしたことだ。
幻兎ならば、満月兎をリスペクトしてあたりまえだぜ。
だいたい、死刑など幻兎族の間にはありえねえんだ」
おいらがそう言った直後、主が足を止めた。
「ここが、昨夜、初めて入った鏡の部屋だけど‥‥
なんか、雰囲気が違う気がする」
主が言った。
昨夜と違って、近寄りがたい雰囲気を漂わせている。
「おまえが、そこで、何をしておる? 」
「百合様」
声をかけられた上級女官を見るなり、主があわてて、ドアの前から離れた。
「ここは、後宮の聖域。許された者しか、立ち入れぬ所じゃ」
百合が低い声で告げた。
このお方は、女王の側近中の側近で、主たちにとっては、雲の上の存在なんだ。
ふだん、めったに、お目にかかることはないし、
お言葉を交わせるのは、ごく限られた上級女官だけだという。
「申し訳ございません。実は、昨夜、鏡の部屋のカギが紛失したとの連絡を受けて
確認しに参ったのですが、閉まっているはずの鏡の部屋が開いており、
中を確かめようとした矢先、白い光りに包まれて気を失った次第」
主が早口で、事情を説明した。
「もしかして、夢か否か、確かめに、参ったのか? 」
百合が冷静に訊ねた。
「目を覚ましたら、カギはちゃんと、元の場所に戻っていました。
同期からは、夢を見たのではないかと言われたのですが、
夢にしては、記憶がはっきりし過ぎる気がしまして、はい」
主が上目遣いで答えた。まるで、蛇ににらまれた蛙みたいに、身を縮めている。
「カギはあったのだな? 」
「はい」
「ならば、良いではないか? 」
百合がそっけなく言った。
「昨夜、ここへ参った時、あろうことか、
秘鏡が、むきだしの状態で安置されていました。
防犯上、よろしくないのではないかと思います」
主が、言わなくても良いことを口走った。
「それは本当か? 本当のことならば、捨て置けぬ」
百合が眉をひそめた。
「百合様」
そこへ、美しい女官がやって来た。
この女官は、鏡の部屋の管理責任者である上級女官の補佐をしている。
その名を鏡花という。この女官が、
コッシ―が、倒れているところを発見したと言った女官に間違えない。
「なんだ、元気そうじゃないか」
おいらは思わず、口走った。
「おまえは、たしか、御門司の女官見習いではないか? 」
鏡花が、主を見ると言った。
「鏡花。秘鏡が、むきだしの状態で安置されていたとこの者が申しておるが、
まことか? 」
百合が、鏡花に訊ねた。
「さようなことは、絶対、ありえません」
鏡花がきっぱりと否定した。
「やはり、夢のようだ」
百合が、主にそう言うとその場を立ち去った。
「本当に、カギを失くされませんでしたか? 」
主が訊ねた。
「ああ」
一瞬、鏡花の目が泳いだ気がする。ウソをついているサインだ!
「信じてもらえないとは思いますが、カギの紛失を知らせて来たものがおります。
そのものは、人間ではなく、幻獣なんです」
何を思ったのか、主が、コッシーの存在をほのめかした。
(まずいだろ? ふつうの人間には、おいらたち、幻兎の姿が見えないことを忘れた
のかい? 頭がおかしいと思われるだろうが! )
「おまえが見えたのは、おそらく、秘鏡を守っているという幻獣だろう。
昔、上役から聞いたことがある」
驚いたことに、鏡花が、幻獣を認める発言をした。
(もしかして、この女官も、幻獣が見えるのかい? )
「信じてくださるのですか? 」
主の表情が明るくなった。幻獣の存在を認める人間が、自分の他に現れたのだ。
うれしくてたまらないはずだ。
「実は、私も、幼いころは見えたの。
だけど、後宮にあがってからは、見えなくなった。
きっと、おまえの心は、清らかなのだろう」
鏡花が穏やかに告げた。
「そうなんですか? あの、また、お話しさせてもらえませんか? 」
主が言った。
「ごめんなさい。それは無理なの。私、近じか、後宮を出ることになりそうなの」
「そうなのですか、残念」
「私も残念だわ」
「よければ、後宮を出る理由を教えていただけませんか?
基本的に、女官は、一生奉公でしたよね? 」
別れ際、主が訊ねた。
「代替わりの時に、宿下がりを許される女官がいるそうなの。
まもなく、代替わりするとお告げがあったらしいから、
もうじき、ここから出ることが出来ると思う。
ここを出たら、故郷へ帰り結婚するつもりよ」
鏡花が幸せそうに答えた。
「そうですか。お幸せに」
主が言った。
「ねえ、今の聞いた? 代替わりってことは、
つまり、女王様が譲位なさるってことよね? 」
鏡花と別れた後、主が、興奮気味に言った
「あれじゃないか? 前に、蔵の中で、
コンコン様のお告げを聞く集いがあっただろ?
あの時、天地が、ひっくり返るような出来事が起こると
お告げがあったじゃないか? 」
おいらは、鏡花女も、秘密の会合に参加していたに違いないと思った。
「あんなデマ信じているんだ。何か、がっかりだわ」
主がため息交じりに言った。主が幻滅したのが、おいらなのか、それとも、
鏡花なのか、どっちか、わからない。
だけど、案外、主が、現実的なことに少し驚いた。
「一時、危うくなったものの、今は、持ち直したとは言っているが、
この先、どうなるのかは、神のみぞ知ることだぜ」
おいらがそう言うと、主が、おいらの頭をぐりぐりした。
「女王様は不死身なの。崩御なさるはずないじゃん」
主が強く言った。
それから、数日後。意外な人物が、主の元へ訪ねて来た。
白髪という名の王子の遣いで来たと言う上級女官だ。
「おまえが見たという摩訶不思議な白い光りの話をこれで、売ってくれないか? 」
会って早々、上級女官が、金色の巾着袋を差し出すと言った。
「なぜ、その話をご存じなのですか? 」
主が訊ねた。
あの夜の出来事は、百合にしか話していないはずだ。
百合と白髪王子の間には、何だかのつながりがあるというわけか??
「ある者から話を聞いて、王子が、ぜひにとの仰せじゃ」
上級女官がすました顔で答えた。
「わかりました。ただし、お金はいりません」
なぜか、主が快諾した。
(夢を売り買いすることなど、出来るのかよ?
夢は、実体のないモノなのに、その価値をどうやって決めるんだい? )
「本当にそれで良いのか? 」
上級女官が身を乗り出すと訊ねた。
「はい。私が持っていても、どうせ、宝の持ち腐れでしょう」
主が答えた。
「お金がいらぬのなら、何か、他に望むものはあるか? 」
上級女官が訊ねた。
「しいて言えば、昇進ですかね」
主がそう言うと、上級女官が眉間にしわを寄せた。
「おまえ。若いわりに、なかなかの野心家と見受けた」
上級女官が冷ややかに言った。
「野心家でもなんでもかまいません。それもこれも、親孝行なんです」
主が訴えた。
(そうか、出世は、主の望みではなく、父親の望みということかい? )
おいらは、主の言葉を聞いて、主の言葉の意味を理解した。
「王子にお訊ねしてみよう」
上級女官が告げた。
「ありがとうございます」
主が深々と頭を下げた。
「気長に待つが良い。この話は、くれぐれも他言せぬように」
「心得ました」
おいらは思うところあって、上級女官が帰った後、主に訊ねた。
「本気に、それで良いのかい? 」
「形のないものを売り買いしようなど、ばかげた話だけれど、
私はあえて、話を合わせたわけ。どこで、運が開けるのかわからないしね」
主がウインクすると言った。