第16話 闇に向かって立ち向かえ2

文字数 6,533文字

 神楽殿の近くまで来ると、白狐のお面をつけた犬が、

主の背中を思いきり後ろ脚で蹴り上げて、

地面に飛び降りると、神楽殿の中へ逃げた。

おいらたちは、白狐のお面をつけた犬のあとを追う形で、神楽殿へ足を踏み入れた。

「やはり、おまえのことだったか‥‥ 」

 乙津獅恩が、白狐のお面をつけた犬を抱き上げると言った。

「なぜ、この犬のことを知っているのか説明してくだされ」

 主が、乙津に近づくと言った。

「こいつの名は星丸。私に仕える式神犬だ。

君の話を聞いて、こいつのことだと、すぐにわかった」

 乙津が、星丸の頭をなでると答えた。

「犬が式神なんですか? 」

 主が驚いた顔で、乙津に訊ねた。

 式神というのは、ふつう、呪力を持つ鬼神とされている。

犬を仕えさせる陰陽師など聞いた試しがない。

「鬼神はどうも嫌いでな。こいつの前世は人間。高貴な身分でありながら、

どういうわけか、獣として生まれ変わったかわいそうなやつなんだ。

こいつの望み通り、お面に術をかけて、妖術を使えるようにしてやったというわけだ」

 乙津が穏やかに答えた。

「もしかして、私がこの犬を見ることが出来たのは、

幻獣ではなかったからですか? 」

 主もようやく、気づいたみたいだ。

 おいらも途中で、変だなと思ったんだ。おいらやおいらと同じ幻兎が見えても、

他の種の幻獣やあやかしの姿は見えない主に、この犬が見えるはずがないと思った。

ところが、なぜか、主にも、この犬の姿が見えただけでなく、

話す言葉も理解できた。あくまでも、推測ではあるけれど、

きっと、この犬は、前世のうらみを晴らすために式神犬になったんだ。

「白狐のお面の妖力は、スゴイだろう? 」

 乙津がどや顔した。

「するってぇと、何かい、この犬は、事件を調べるため、

あんたの命令通りに動いていただけというわけかい? 」

 おいらが思わず、口をすべらせた。

「おまえ、雄だったのか? 口を利かねば気づかなかった。おまえの言う通り、

星丸に命令して、風宮の内情を調べさせた。言っておくが、こいつにも名前がある。

次からは、星丸と呼んでやって欲しい。ウー、

おまえも、兎と呼ばれたくはないだろう? 」

 乙津が、おいらをいたずらっぽい目でみると言い聞かせるように言った。

まるで、生徒を叱る教師みたいな口ぶりだぜ。おいらは、うなづいてみせた。

「何か匂うの? 」

 突然、主が、星丸に訊ねた。

「五十鈴の匂いがする。五十鈴が近くにいる」

 星丸が答えた。

「もしかして、私のあとをつけて来たのかしら? 」

 主がソワソワしだした。

 それにしては、乗り込んで来ない。おいらは、神楽殿の出入り口の方を見た。

見た感じ、人影は見えないし何の気配もしない。

 星丸は、おいらを一瞥すると「ついて来い」と言わんばかりに

神楽殿の外へ飛び出した。おいらたちは、星丸のあとを追いかけた。
 
星丸は、まるで、水を得た魚のように軽快に、夜道を駆けて行く。

一方、主はどこからともなく、聞こえて来る狼の遠吠えに

何度も驚きながら、こわごわと夜道を進んだ。

おいらは、空の上から星丸を追いかけることにした。

星丸は、月宮神殿の前まで来ると止まった。

月宮神殿には、風の神の姉にあたる月の神が祀られている。

風宮神殿と違って、人通りの少ない奥まった場所にあるため、気づかない人が多いらしい。

「どうやら、この中にいるらしい」

 乙津が中へ入ろうとした時、何か見えない強い力にはね返された。

「どうかしましたか? 」

 主も、中に入ろうと試みたが、乙津と同じくはね返された。

「どうやら、この一帯に、結界が張り巡らされているようだ。

これでは中に入ることが出来ない」

 乙津が冷静に言った。

「どうしますか? 」

 主が訊ねると、乙津が、何やら呪文を唱えると九字を切った。

すると、目の前に立ちはだかっていた霧が晴れて結界の一部に空洞が出来た。

中に入ろうとした際、主が、おじけづいて中に入れないと言い出した。

「どうしてもだめ、私は無理」

 主が全身で拒んだ。

「おなごをひとりにするわけにはいかぬ。こうなったら、

ウーを女官のからだに憑依させるしかない」

 乙津が独り言を言った後、主に何か術をかけた。

すると、主は、人形のように、その場で固まり動かなくなった。

主の顔の前で、両手をひらひらさせて注意を引いてみたが、

主の目は、死人のような目になっていた。

「早くするんだ! 結界が閉じれば、術が解けて元通りになるから心配するな」

 乙津が、おいらをせかした。

 おいらは、一か八か、主に体当たりした。

次の瞬間、視界が変わった。両手で顔をさわると、

毛深いフカフカとは違う、主が時々、

おいらの顔に頬ずりしてくる時と同じ若い娘の肌ざわりだった。

どうやら、おいらは主に憑依したみたいだ。

「おまえは誰だ? 」

 乙津が上目遣いで訊ねた。

「幻兎のウーだ」

 おいらが答えた。

「よし!ついて来い!」

 乙津は、星丸を従えて結界の一部にできた空洞へ入った。

「おい、待ってくれよ!」

 おいらもあわてて、結界の一部にできた空洞に飛び込んだ。

「ワンワン」

 星丸が、倒れている女官がいると報せた。駆けつけると、

上級女官が、うつぶせの状態で地面に倒れていた。

乙津が、その上級女官のからだを抱え起こすとその顔を確認した。

「五十鈴ではないか? 」

 乙津が言った。

「なぜ、五十鈴が、こんな場所で倒れているんだ。しかも、血だらけじゃないか」

 おいらが、五十鈴を見下ろすと言った。

五十鈴の額や手足から血が吹き出していた。

「まだ、息がある」

 乙津が、五十鈴の口に顔を近づけると言った。

「ワンワン」

 星丸がまたもや吠えた。星丸に駆け寄ると、

姿見サイズの鏡が2体、向かい合わせに置かれていた。

 真夜中、五十鈴は、月宮神殿へ大きな鏡を運び込んで

いったい、何をしていたんだろう? 

女ひとりの力で、ここまで大きな鏡を運ぶのは無理がある。

他に誰かいないか、見渡したが誰もいなかった。

「1人分の足跡が、地面に残っている。

現状から判断して、五十鈴の足跡に違いない」

 乙津が冷静に告げた。

「いったい、ひとりで何をしていたのだろう? 」

 おいらは考え込んだ。

「月宮神殿に祀られているのは、夜を司る月の神。満月は魂を表す。

すなわち、死者を蘇らせる力があるといわれている」

 乙津がうんちくを言った。

「鏡を向かい合わせにするのは、何か意味があるのかい? 」

 おいらが、乙津に訊ねた。

「真夜中に、合わせ鏡の間に座り、

鏡をのぞくと死に顔が見えるとの言い伝えがある。

それは、合わせ鏡の間に、霊道ができるためだといわれている」

 乙津が冷静に答えた。

「五十鈴は、死に顔をみるために、

わざわざ、ひとりでここまで、姿見を運んで来たというわけかい? 」

 おいらが言った。

そんなに、死に顔がみたいのだったら、自室でこっそりみれば良い話なのに、

わざわざ、重たいめをして姿見をここに運び込むなど、

ふつうの神経の持ち主だとは考えにくい。どこか、変だと思う。

「それは違う。おそらく、五十鈴は、会いたいと願う

死者を呼び出そうとしたのだろう」

 乙津が神妙な面持ちで告げた。

「会いたい死者ということは、すでに、この世の人ではないってことだよな? 」

 おいらが、乙津に訊ねると、なぜか、星丸が「わおおおん! 」と遠吠えした。

「おまえもそうだったな? 」

 乙津が、星丸に言った。

「同じにしてくれるな。事情はまるで違う」

 星丸が小声で言った。

「とにかく、五十鈴を外へ運び出そう。念のため、医者に診せた方が良い」

 乙津が言った。

五十鈴を外へ運び出そうとしたその時だった。

生ぬるい風が辺りに漂ったかと思うと、次の瞬間、饐えた匂いが鼻をかすめた。

おいらは思わず、五十鈴の右足を地面に落としてしまった。

「何をしている? 」

 乙津のするどい声が耳に入って、おいらはあわてて、右足を両手でつかんだ。

「あれを見よ!」

 星丸が声を上げた。星丸の視線の先をたどると、邪悪な黒い影が、合わせ鏡の間に

できた霊道から浮かび上がって来ていた。

 乙津は、五十鈴のからだを静かに地面の上に置くと、

その弱な黒い影に向かって呪文を唱えて九字を切った。

ところが、その邪悪な黒い影は、消えるどころか霧状と化して、辺り一面に覆い隠した。
 
その時、突然、おいらは金縛りに遭った。意識はあるが、からだが全く

動かない。星丸の方を見ると、星丸も、恐怖に満ちた表情のまま固まっていた。

「ついに、正体を現したか! 」

 乙津がさけんだ。

「き~さ~ま~は~だ~れ~だ? 」

 どこからともなく、不気味な声が聞こえて来た。

「私は、陰陽師の乙津獅恩と申す。おとなしく、地底へ帰るが良い!

さもなくば、ここで、息の根を止めるまでだ! 」

 乙津がさけんだ。

「ふざけるな!貴様ごときに、私が倒せるとでも思ったか? 」

 思わず、耳をふさぎたくなるような金切り声が響いた。

 おいらは何とかして、金縛りを解こうとふんばった。

乙津ひとりの力では、目の前にいる魔物を倒すことは不可能だ。

おいらの動物的勘が、危険を知らせた。

「どこへ行く? ここから、出すわけにはゆかぬ」

 乙津が、ひと固まりと化した魔物の目の前に立ちはだかった。

「どけ!どかねば、貴様の命を奪うまでだ!」

 魔物は目に見ぬ速さで、乙津のからだに1撃を与えた。

「うわっ。ぐわっ!」

 乙津が、海老ぞりになってうめいた。

「乙津!」

 おいらは、からだが動けるようになると、乙津の元に駆け寄ろうとした。

「来てはならぬ!私が注意を引いている隙に、ここから抜け出すんだ!」

 おいらの頭の中に、乙津の声が聞こえて来た。乙津をみると、

乙津の右腕からはまるで、鋭利な刃物で斬りつけられたように大量出血していた。

このまま、見殺しにしたら、出血多量で命を失う恐れがある。

「あんたを見殺しには出来ない!」

 おいらがさけんだ。

「私は大丈夫だから、早く、行け!」

 乙津が訴えた。その時、2体の鏡が、

ドスンと、大きな音を立ててその場に倒れた。

おいらは、魔物が倒れた鏡に気を取られている隙をみて、

元に戻った星丸と力を合わせて、五十鈴のからだを出口まで運んだ。

「待てえ!」

 結界の外に出ようとした時、背中越しに、魔物の声が聞こえた。

おいらはふり返らず、ジャンプして外に飛び出した。

その瞬間、結界が閉じて2度と、中に戻れなくなった。

中の様子をうかがったが、何も聞こえて来なかった。

「主。あとを頼む」

 おいらはそう言うと、主のからだから離脱した。

意識を取り戻した主が、地面に横たわる五十鈴と星丸に気づいて

助けを呼びに行くのを見届けた後、おいらは、満月兎を呼び出すために、

月がよく見える場所へ向かった。


 満月の美しい夜だ。おいらは、月見橋の真ん中に立つと大きく息を吸い込んだ。

それから、満月兎を呼び出すための儀式を行う準備に取り掛かった。

満月と同じ黄色の着物に着替えて、

満月と同じ形のうちわを両手に持ちスタンバイ完了。

【まんまる まんまる お月さま まんまる まんまる お月さま 

月の光が万人を照らす うれしや ありがたや 】

 おいらは、満月の歌を口ずさみながら舞い踊った。

 し~ん!

 しばらく待ったが、満月兎は姿を現さなかった。踊りがまずかったのか、

それとも、おいらに応えることができない状況なのか? 

おいらは、今回は、

自力でやれとのメッセージかもしれないと思い直して、風宮へ戻った。

今ごろ、主は、助けを呼んで五十鈴を部屋へ運んでもらったはずだ。

おいらはまっすぐ、五十鈴の部屋へ向かった。入り口の前まで来ると、

ちょうど、中から、主が薬袋を手に出て来た。

「五十鈴の具合はどうだい? 」

 おいらが訊ねた。

「良くないわ。だけど、応急処置が良かったから一命は取り留めた」

 主が疲れた顔で答えた。

「中に入れるか? 」

「中には誰もいないから大丈夫よ。眠っているから静かにしていてね」

 おいらは、主と入れ替わりに五十鈴の部屋の中に入った。どうせ、五十鈴には

おいらの姿は見えないからと気を抜いていたら、突然、五十鈴が、むくっと

起き上がった。五十鈴のからだは、包帯で全身ぐるぐる巻きにされていて、

目・鼻・口しか見えない状態だった。

「ウー。そこにおるのか? 」

 五十鈴の方から、満月兎の声にそっくりな声が聞こえた。辺りを見回したが、

どこにも、満月兎の姿はない。

「聞こえているのなら、返事をせぬか!」

 また、五十鈴の方から、満月兎の声が聞こえた。おいらはおそるおそる、

五十鈴の顔をのぞき込んだ。五十鈴は、目を固く閉じて

口を大きく開けた状態で動かない。まるで、人形みたいだと思った。

「もしかして、おいらが見えるのかい? 」

 おいらは慎重に、五十鈴に質問した。ところが、五十鈴は反応しない。

さすがに、変だぞと思っていたら、五十鈴の口の中から、兎の手がにょきっと出てきた。

まるで、丸飲みした兎の手だけが、口からはみ出てしまっているみたいだ。

兎の手は、五十鈴の口を無理矢理こじ開けようとしている。

おいらは、驚きのあまりのけぞった。もし、主がこの場にいたら、

卒倒していただろうなと思ったら、

そばで、ガシャンと器が畳に落ちる音がして、

赤茶色の液体が、こちらへ流れてきた。

「大丈夫かい? 」

 おいらはふり返りざまに訊ねた。予想通り、

ちょうどタイミング悪く、薬を運んで

来た主が、口の中から、白いふさふさの毛深い手が

飛び出したところを目撃してしまい白目をむいて入口付近で倒れていた。

おいらは、器を五十鈴の枕元に置くと、倒れた主を五十鈴の隣に横にならせた。

「驚かせてすまぬ」

 五十鈴の口の中から、小声が聞こえた。

「そこで、何をなさっておいでですか? 」

 おいらは、五十鈴の口の中に向かって訊ねた。

「とっさに、五十鈴のからだに憑依したまでは良かったのじゃが、

途中で、五十鈴が、息を吹き返したため閉じ込められてしまったんだ」

 五十鈴の口の中から、悲痛なさけびが聞こえた。

「人間の口の中から、白くて毛深い手が飛び出しているのを見たら誰でも驚きますよ」

 おいらが、主を介抱しながら言った。

「そんなことより、今は、五十鈴の命が大切じゃ。

私が、中にいるかぎり仮死状態でも生き続けられるが、

私が出たら、今度は命尽きる時じゃ」

 満月兎が静かに告げた。

 つまり、満月兎が、五十鈴にとって命の綱ということになる。

もし、それがなくなったら、本当に、死んでしまうというのだ。

「それだけはなりません。満月兎、しんどいとは思いますが、

しばし、そのままでいていただけませんか? 」

 意識を取り戻した主が、その場に土下座して満月兎に願い出た。

「あなたは、それで良いのですか? 五十鈴の失敗のせいで、

あなたがたは命が危うくなったというのに、

それでも、五十鈴を救いたいのですか? 」

 満月兎が、主に訊ねた。

「おいらの主を見くびらないでいただきたい。

主は、誰かを見殺しにするような愚かな人間とは違います」

 おいらが話に割り込んだ。

「物心ついた頃から、医療に従事する祖母の姿を見て育ちました。

だから、人命の尊さはわかっているつもりです。

魔物を召喚してしまったことは罪深いとはいえ、

この手で、他人の一生を終わらせることは決して出来ません」

 主がきっぱりと言った。

「ウーがあなたを信頼している理由が、

ようやく、わかった気がする。実に、たのもしいではないか」

 満月兎が、主を賞賛した。

「それほどでもないですけどね。ただ、こわがりなだけです。えへへ」

 主が照れ笑いした。

「五十鈴を他に移すしかないかな。ここでは人の目がある」

 おいらが言った。

 満月兎も五十鈴も両方、助かる道はないものか? 

「淡路様に、私が、五十鈴様の看病をするお許しをいただいて、

他の誰の目にもふれさせないようにするしかないわね。

私が時間稼ぎするから、あんたは方法を考えて」

 主が、おいらに言った。

「それなら、ひとつ試してみたいことがある。

それには、神原にいる妹の助けがいる。ウーよ。神原へ行き、日陽兎を連れて参れ」

 満月兎が告げた。

 その後、主は、医術の心得があるという理由でいすずの看病にあたる許しを得た。

おいらは、日陽兎を連れて帰るため輿の国の神原村へ向かった。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み