第51話 疫病に襲われた後宮

文字数 4,105文字

 このころ、諸国では、何か月もの間、日照りが続いたことから、

溝や池の水がとぼしくなり、諸国の百姓たちは、

田畑を耕して種まきが出来ず農耕時期を逸す危機を迎えていた。

火武大王は、使者を風宮神殿や諸国の7か所にある

王家の神殿に赴かせて雨乞いを行わせたが、

いっこうに、雨が降る気配が見えず、

自ら、沐浴した後、庭に出て降雨を祈念なさった。

すると、天に思いが通じたのか、

その日の午後、空が暗くなり黒雲が集まり雨が降った。

臣下たちは、真心と徳を持った大王が自ら、

祈念したことに対して、天が感応したのだとして大喜びした。

ところが、雨は降り続くことなく、翌日には止んでしまった。

それから、再び、雨が降らない日々が続いたことから、

都の大寺院や諸国の寺社では連日のように、

降雨を祈念する誦経が行われた。

時より、風に乗って誦経が聞こえてくる度、主がため息をこぼす。

おおかた、浄のことでも考えているのだろうと思って見ていた。

ある夜のことだ。厠からの帰り。ふと、外を眺めた時、

近くの山の頂上へ向かって

炎を身にまとった龍が昇って行くのを見た。

しかも、その龍の背には、

鬼面をつけ青い油の笠を着た人間がまたがっていたのだ。

翌朝、おいらは、

炎を身にまとった龍やその龍の背にまたがる

不審者を目撃したことを主に話した。

「ウーが見た不審者って、もしかして、青笠の侍中の怨霊じゃない? 」

 主が青い顔で訊ねた。

 その昔、女王の権威を後ろ盾にして政を牛耳っていた

貴族の長が、王子率いる反勢力により亡き者とされた。

それから数年後。女王の目の前に、青い油の笠を着て龍に乗った姿で現れた。

その直後、王宮で不審火による火災が起きて、

大勢の人たちが、焼け死んだとの怨霊伝説がある。

「そんなまさか!? 」

 おいらは首を横にふった。

 突然、戸が開いて、誰かが入って来る気配がした。

後ろをふり返ると、サカ王女が、おいらを見下ろしていた。

「サカ王女、おいででしたか」

 おいらはとっさに、姿勢を正した。

「ウーが見たのは龍ではなくて、

雨ごいの儀式のため山を登る民が手に持っていた松明の明かりで、

不審者と思ったのは、松明の明かりに照らされた笠を着た民の姿ではないかのう」

 王女が、向かい側に腰を下ろすなり告げた。

「なるほど、そうでしたか」

 主が、感心したようにうなづいた。

「なんだ、そうだったのかい。怨霊でなくて良かった」

 おいらは胸をなでおろした。

「それにしたって、夜中に、山を登るのは危なくないのですか? 」

 主がよせばいいのに、よけいなことを訊ねた。

鶏麻呂(とりまろ)から聞いた話によれば、

この辺の地域は、夜に行う習わしなのだそうな」

 王女が答えた。

「鶏麻呂というのは? 」

 主が、身を乗り出して坂王女を問い詰めた。

「護王家の使用人で、時々、御膳所に食材を届けている。

先日、山に入った時、大量のどんぐりが落ちていたため、

どんぐり汁をこしらえて大王様のお食事にお出ししたそうな。

私も飲んでみたが美味じゃったぞ」

 王女が苦笑いしながら答えた。

「私も飲んでみたいです」

 主が言った。

 どうせ、護王のやつが、大王様のご機嫌取りに献上させたのだろう。

おいらは白けていたが、主は違うようだった。なぜか知らないが、

鶏麻呂に興味を持ったみたいだ。

 その日の午後、見知らぬ若者が主の部屋を訪れた。

「鶏麻呂と申します。浄香様へ、

どんぐり汁をとの王女様のお命を受けて参上した次第」

 その見知らぬ若者が、どんぐり汁を差し出した。

 鶏麻呂ではなく、どんぐり汁の方かい? 

美味と聞いて、何が何でも飲みたくなって王女に願い出たのだろう。

おいらはズッコケた。

「あなたは、もしかして、浄さんの弟さんではないですか? 

浄さんの故郷を訪ねた時にお会いしましたよね? いつから都に? 」

 主が上ずった声で言った。

 おいらは、鶏麻呂の顔を改めて、じっくりと見つめた。

言われてみれば、見たこと

がある。初めて会ったときは、色白でひ弱そうな青年だったが、

今、目の前に座っているのは、浅黒い肌をした背の高い健康そうな青年だ。

「1か月ほど前に来ました。あれから、兄には会えずじまいですが、

元気にしているのでしょうか? 」

 鶏麻呂が明るい声で言った。

「ごめんなさい。あれから、浄さんが、どうなさっているのか私も知らないの」

 主がとっさに、ウソをついた。

 浄が、からだを鬼神に乗っ取られたかもしれないとは、

いくら、相手が、弟だろうと言えない。浄の秘密を知ることにより、

鶏麻呂の身に、危険が及ぶかもしれないからだ。

「さようですか。便りがないのは、元気な証ということにしておきましょう」

 鶏麻呂が残念そうに言った。

「鶏麻呂さんも、お元気そうで良かったです」

 主がほほ笑んだ。

 鶏麻呂が部屋を出るなり、どういうわけか、主は畳の上に突っ伏した。

おいらは何事かと思い、主の元に駆け寄った。

「こんな奇跡ってある? 浄さんとの縁はまだ、途切れていなかったんだわ。

鶏麻呂さんは、天が、私の元に遣わした仲人に違いない! 」

 主が、ガバッと顔を上げると興奮気味に言った。

「大げさだなあ。たまたま、職にありついただけではないのか? 」

 おいらが言った。

「理由は、何だって良いわ。この縁を大事にしなくちゃね」

 主が小躍りして言った。

「たとえ、この先、弟と縁があったとしても、浄と再会できるとはかぎらないぜ」

 おいらは白けていた。

「護王様に頼んで、時々、鶏麻呂さんと、会えるようにしてもらおうっと」

 主には、おいらの苦言が聞こえていないようだ。

 その日の夜、檀宗の姿がどこにも見えなくなった。おいらはあわてふためいた。

なぜ、こう何度も行方不明になる? どれだけ、心配させれば気が済むんだい?

「ウー。どうかしたの? あんたがそんなに、取り乱すとは、タダことではなさそうね」

 主が、のんびりとした口調で言った。

「檀宗が、どこにもいないんだよ! 

ふつうのネズミと間違われて捕らえられたかもしれねえ」

 おいらは胸騒ぎがした。

「本当? どこに行ったのかしら? 何せ、小さくてすばしっこいから、

見つけにくいのよねえ。こないだなんか、後ろにいると気づかずに、

ふんづけそうになったしさ」

 主が苦笑いして言った。

 それから2日たったが、檀宗はいまだ、行方不明だった。

そんな中、主が、心配な情報をどこからか仕入れて来た。

「檀宗がいなくなった日の夜に、王宮の近くの道端で、

猪大の尻尾が2又に分かれている奇妙な猫が、

歩いているのを見かけたという人がいるのよ」

 主が不安そうに言った。

「檀宗が、その妖猫に食われたとでも言いたいのかい? 」

 おいらは思わず、カッときて声を荒げた。

「檀宗を捜しに行かない? 幸い、王女様は、

冬至の儀式の打ち合わせでおられないし、少しの間なら抜け出しても平気よ」

 主がとんでもない提案をした。

 宮殿を抜け出すのは良くないことだが、檀宗がいなくなったんだ。

緊急事態ならばと、サカ王女もお認めになるだろう。

おいらたちは、以前、主が、見つけたという秘密の抜け穴を通り外へ出た。

ふつうの女官であれば、宮殿を抜け出すことに罪悪感があるだろうが、

今の主は、罪悪感よりも、檀宗がいなくなった事実の方が勝っているみたいで、

何としてでも探し出すという強い意志を背中に感じた。

「こんな抜け穴。よく、見つけたな」

 おいらが言った。

「もしもの時のために見つけておいたの」

 主が言った。

 主が、昼間、妖猫は飼い猫になりすまして王宮のどこかにいて、

夜になると、外に出て散歩しているのではないかと推理した。

これで、王宮から檀宗が消えた説明がつくという。

抜け穴は、裏山の入り口付近に続いていた。ネズミが隠れるとしたら、

草藪や穴のある裏山だと目星をつけた。

裏山を捜索していると、見覚えのある後ろ姿を発見した。

主がいたずらして、背後にまわると背中を軽くたたいた。

「うわっ! 」

 護王猪麿が、驚きの声を上げてふり返った。

「そんなに驚くことはないと思いますが‥ 」

 主が苦笑いして言った。

「こんなところで、何をしておる? 」

 護王が決まり悪そうに言った。

「薬草摘みです」

 主が、背負っていた籠の中を見せると言った。

護王だけならともかく、お供の者が何人か一緒にいたことから、

さすがに、檀宗を捜しに来たといは言えない雰囲気だった。

万が一の時のために、あらかじめ、用意しておいた薬草が役に立った。

「さようか。おなごひとりでは危ないから宮殿まで送ろう」

 護王が、紳士的なふるまいをしたので驚いた。

「護王様は、ここで、何をされていたのですか? 」

 主が訊ねた。

「ハエの大群が、大発生しているとの通報を受けて、

ハエを追ってここまで来たというわけだ」

 護王が咳払いして答えた。

「へえ。ハエを追ってですか? 」
 
 主が感心したように言った。

「悪いか? 」

 護王が決まり悪そうに言った。

「いいえ。護王様らしいと思います」

 主がほほ笑んだ。

 自らの足で、自らの目で確かめなくては気が済まないという

護王の好奇心の強さと探求心は、どんなに、位が高くなろうが変わらないらしい。

「おかげで、根源をつきとめることができた。

これで、大手をふって帰れるというものだ」

 護王が言った。

「根源はどこでしたか? 」

 主もまた、好奇心の塊なのだ。

「この裏山に群生するヤツデの花だ。

ここにたどり着くためには、市中を通らねば

ならぬから、ハエの大群を目にして騒ぎになっても仕方がなかろう」

 護王が言った。

「おい、あれって、もしかして、妖猫ではないか? 」

 おいらは、護王たちの背後を横切った奇妙な猫を見つけてさけんだ。

先日、宮殿付近で目撃されたという妖猫の描写と同じだ。

「突然、大声出して、なんなの? 」

 主が小声で、おいらに訊ねた。

「妖猫がいたんだよ」

 おいらが妖猫がいた方を指さすと、

その指さした方向から、ボサボサの黒髪を肩まで垂らして

無精ひげを生やした原始人みたいな男が、

壺を胸に抱えながら歩いて来るのが見えた。

「良い香りがする。この香りは、桂の木だわ」

 周囲に桂木は生えていないにも関わらず、

なぜか、主が、桂木の香りがすると奇妙なことを言った。


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