第42話 洪水を起こす鬼神 穢水鬼が村を襲う!?

文字数 6,072文字

川に落ちた人間が目撃された場所に駆けつけると、黒山の人だかりができていた。

おいらたちは、人波をかきわけるようにして前に出た。

すると、濁流の中に、小さな手が、出たり引っ込んだりするのが見えた。

「川辺で遊んでいたこどもが誤って、川の中に落ちたそうだ」

 近くにいた村人が言った。

「近づきたいのだが、流れが急過ぎて危険だ」

 先に駆けつけていた浄の弟が言った。

「どうしますか? 」

 主が、浄に訊ねた。

「そこの木に、これを縛りつけてくれるか? 」

 浄が、縄を自分の胴体に巻きつけるとあまった縄を、主に手渡した。

「もしかして、飛び込むつもりですか? 」

 主が、あまった縄を近くの木に巻きつけ縛りながら言った。

「四の五の言わず、命綱を持っておいてくんないか? 」

 浄が、主に言った。

「わかりました。くれぐれも、気をつけて」

 主が渋々、応じた。

 浄が、川の中に飛び込むと溺れているこどもに近づこうと泳ぎはじめた。

ところが、流れが速すぎる上に、こどもが溺れている場所の流れが

逆方向なので思うように近づくことが出来ないばかりか、

何度も、高い波が浄を飲み込んで浄の姿が

見えなくなることがあり、危険な状況に陥った。

「浄さん。あがって来てくだされ! 」

 主が必死で、縄をつかみながらさけんだ。

「縄の長さが足りない。これでは、私たちまで、川に引き込まれてしまいます! 」

 主と共に、縄をつかんでいた村人たちのひとりが、

縄に引きずられるようにしてさけんだ。

「もう、こどもは、助からないのではないか? 」

 さっきまで、手や頭が見えていたこどもが、姿を見せなくなったため、

見守っていた村人たちの間に、あきらめムードが漂った。

「みなさん、縄を思いきり引いてくだされ! 」

 主が、手ごたいを感じたらしくさけんだ。

 主の掛け声を受けて、縄をつかんでいた村人たちが、

渾身の力を込めて勢い良く縄を引くと、こどもを抱いた浄の姿が現れた。

浄とこどもが、岸に引き上げられたのを見届けると、主は、浄の元に駆け寄った。

「良かった。本当に、ご無事で良かった」

 主が、ずぶ濡れの浄を抱きしめると、人目もはばからず大泣きした。

「娘を助けていただいて、本当に、ありがとうございました」

 溺れたこどもの両親がやって来て、何度も、お礼を述べた。

「お子さんの命が助かって良かった。すぐに、寝かせてやってください」

 浄が穏やかに告げた。

「これは、きもちを落ち着ける薬草です。細かくすりつぶした後、

白湯と共に飲ませてあげてくだされ」

 主が、携帯していた薬草を溺れたこどもの母親に差し出した。

「ありがとうございます」

 溺れたこどもの母親が、涙ながらにお礼をを言った。

 溺れたこどもは一命を取り留めて、両親と共に帰宅した。

気がつくと、黒山の人だかりは消えておいらたちだけになっていた。

さっきから、ぽつぽつ降っていた雨が激しさを増して、本降りになった。

あわてて、木の下に避難した。

「この分だと、しばらく、止まなさそうですね」

 主が、黒い雨雲を見つめながらつぶやいた。

「最後に人助けが出来た。礼を申す」

 なぜか、浄が、主に頭を下げた。

「最後などと言わないでくだされ。まだ、まだ、浄さんには、たくさんの人たちを

救っていただかなければなりません」

 主が言った。

「いまさらながら、神馬卿を殺めたことを後悔している。

矢を放ち命を奪った瞬間までは、それが、正しいことだと信じていたが、

死を前に、ひとつの命を救えたことで人間に戻れた気がいたす。

最後は、人間の姿で死にたい」

 浄が、涙をこぼすと心情を打ち明けた。

「死なないでくだされ」

 主が訴えた。

「そうだよ。大王様の恩赦を無下にするつもりか? 」

 おいらも訴えた。

「すまない」

 浄がそう言うと、勢いつけて川の中に身を投げた。

 止める間もなく、浄は、水面の渦に姿を消した。

「浄さん! 」

 主がさけんだ。

「浄! 」

 おいらは、浄の姿を必死に捜した。

「ウー。もう一度、縄を木に縛りつけて! 」

「おい、何をする気だ? 」

 主が、胴体に巻きつけた縄の先端をおいらに差し出した。

主は、今度は、自分が、浄を命がけで助ける気だとすぐにわかった。

そうさせるわけにはいかない。主は、浄ほど泳ぎが得意ではないし、

大の男を抱きかかえて戻るには、馬力が足りない。

とっさに、無理だと判断したおいらは、主の口の中に例の薬玉を放り込んだ。

主はほどなくして気を失って、その場にくずれるようにして倒れた。

おいらは素早く、主のからだに憑依した。

縄を近くの木に縛りつけているところへ、聞き覚えのある犬の鳴き声が聞こえた。

足音に気づいてふり向くと、乙津と星丸がいた。

「あんたたち、どうしたんだい? 」

 おいらが訊ねた。

「おまえたちこそ、何をするつもりだ? 」

 乙津が訊き返した。

「誰か、溺れたのですか? 」

 星丸が、おいらに訊ねた。

「浄が身投げした。主が、無茶しそうだったため、

眠らせて憑依したというわけさ」

 おいらが答えた。

「それは、大変だ。助太刀いたす」

 乙津が言った。

「ありがとう。縄をつかんで離さないでおいてくんないか? 」

 おいらが言った。

「その必要はない。術をかければ、魚みたいに泳げるようになる」

 乙津がそう言うと、呪文を唱えて九字をきった。

すると、たちまち、主のからだに変化が起こった。

手足が、ムズムズしてきたので見ると、水かきがついていた。

乙津を見ると、乙津の姿も、半魚人に変わっていた。

「術の効き目はおよそ3時間。効き目がなくなる前に戻らなければ、我らの命も

ない。念のため、星丸には岸で待機させる。これをからだにかけるんだ。

もしかしたら、九鬼に出くわすかもしれぬ。身を守る粉だ。まんべんなくかけろ」

 乙津が、白い粉をおいらに手渡すと言った。

おいらはわけもわからず、白い粉をまんべんなくからだ中に降りかけた。

「時間がない。私のあとをついて来るが良い」

 乙津が、迷うことなく川の中に勢い良く飛び込んだ。

「ウー。しっかり! 」

 川の中に入る際、星丸が、おいらに言った。

おいらはおそるおそる、川の中に身を沈めた。

すぐ先に、魚みたいにスイスイと泳ぐ乙津の姿が見えた。

川の中は、濁っていて視界が悪かった。

「おそいぞ! 」

 乙津の声が聞こえて、おいらはあわてて、

泳ぎはじめた。川を泳ぐのは初めてだが、

思いの他、スムーズにからだが動く。

術のおかげとはいえ、魚になった気分だ。

悠々と泳いでいると、川底から、無数の手が伸びて来た。

「ぎゃああ! 」

 おいらは必死に、手の大群から逃げまわった。

「おそれてはならぬ。よく、見ろ。それは、手ではない藻だ! 」

 近くで、乙津の声が聞こえた。

「あっ、そっか」

 おいらは、乙津の声で落ち着きを取り戻した。

よく見ると、手に見えたのは、水中をゆらゆらしている藻の群生だった。

ふいに、誰かに腕を強くつかまれて抵抗出来ないまま、川底へ引きずり込まれた。

乙津かと思い、目を凝らして見ると、上半身が人間の女性で、

下半身が魚の半魚人が泳いでいた。

「あんた、何者だい? 」

 おいらは驚きのあまり、声を上げた。

「あれはミサキだ。どうやら、浄の居る場所まで案内してくれるらしい」

 気がつくと、乙津が向かい側で泳いでいた。

「なんだか、人間みたいだなあ」

 おいらが、先頭を泳ぐミサキたちを眺めながら言った。

「あたりまえだ。ミサキは元々、人間だからさ。

人身御供って知っているか? ミサキは、人身御供になった娘たちなんだ」

 乙津が横で泳ぎながら説明した。

「なぜ、ミサキが、おいらたちを手助けするんだい? 

おいらたちを敵とは思っていないというわけかい? 」

 おいらが矢継ぎ早に質問した。

人身御供ということは、水の神への生贄として、

生きたまま川へ落されたかわいそうな娘ということではないか? 

突然、外部からやって来たおいらたちに警戒するどころか、

親切にも、浄の元へ案内までしてくれるとは、上手く行きすぎていないか?

「本心はどうあれ、助かるに越したことはない。

ここは、素直に親切を受け入れた方が無難だ」

 乙津が言った。

ミサキたちは、川底に突如としてできた穴の前まで、

おいらたちを案内するとその足でどこかへ泳ぎ去った。

おいらたちは、逸る思いを押さえながら穴の中をのぞき込んだ。

「ぶあっ! 」

 おいらは、穴の中から飛び込んで来た異臭にむせた。

「息を止めろというのを忘れていた」

 乙津が笑った。

「なんなんだこれは? 何かの巣穴かい? 」

 おいらは、鼻を両手で覆いながら訊ねた。

「どうやら、この川の主が、出て行った跡みたいだ。

ミサキは、侵入者を見つけたら穴の前まで連れて来るよう、

主にでも命じられたんだろう」

 乙津が冷静に答えた。

「川の主って、なんなんだい? 九鬼に出くわすかもしれないと言っていたが、

もしかして、この巣穴にいたのは、九鬼かい? 」

 おいらが言った。

「そうとも限らぬ。川底に住むといわれる神聖な存在かもしれないし、

姿をこの目で見なければわからない」

 乙津が神妙な面持ちで言った。

「それで、浄はここにいるのかい? 」

 おいらが鼻を動かしながら言った。

「浄が、藻にからだを取られて川底へ沈んだことは間違えない。

今のままでは、水が濁っていて、周囲の様子がわからない。

1.2.3で同時に、全身を震わせるぞ。1.2.3」

 乙津が声を上げた。

おいらは、乙津の動きにあわせて全身を震わせた。

その時、からだにまとわりついていた白い粉が、辺りにまき散った。

すると、驚いたことに、濁っていた水が、透明になり視界がひらけた。

「うあっ! すげえ」

 おいらが思わず声を上げた。

「これで、川の中が多少は、浄化されたと思う」

 乙津が言った。

「白い粉はなんなんだい? 一瞬で、川の水がきれいになるとは驚いたぜ」

「あれは石灰だよ。石灰には、濁水を浄化する力があるんだ」

「へえ、そうなのかい」

「穴の周りにも振りまいてみよう。がまん出来ずに、何かが出て来るかもしれぬ」

 乙津が調子づいて、穴の周りに白い粉を振りまいた。

「おまえたちは何者じゃ? 」

 穴の底から、しゃがれ声が聞こえた。

「陰陽師の乙津獅恩。そして、幻兎のウー参上仕った」

 乙津が声を返した。

 ゴボゴボと音を立てながら、穴の底から、大きな鯰が抜け出て来た。

おいらは驚きのあまり、一回転した。

「わしは、この川の主、水の神じゃ。

ところで、どのくらい、わしは、眠っていたのじゃろう? 」

 大きな鯰が、寝ぼけ眼で言った。

「さあ、どのくらいかわかりませんが、

あなたが眠っている間に、大変なことになっていますよ」

 乙津が言った。

「それは本当か? 」

 大きな鯰が声を上げた。

「あの。この辺で、坊主頭の人間の男を見かけませんでしたか? 」

 おいらが、大きな鯰に訊ねた。

穴の中で眠っていたのならば、

さっき、川へ身を投げた浄の姿を見ていない可能性が高いが、

どこか、とぼけた感じの風貌が何かを期待させた。

「その人間だったら、あいつらが、川の外へ運び去ったよ」

 大きな鯰が答えた。

「やっぱり、そうか。あんた、寝たふりして、様子をうかがっていただろう? 」

 おいらが、大きな鯰に言った。

「バレては仕方あるまい。その通りじゃ。

わしは、穢水鬼(えすいき)が、坊主頭の人間を襲うところを見た」

 大きな鯰が平然と言った。

(穢水鬼というのが、この川に住みついている鬼神というわけか? )

「見殺しにしたとは、卑怯なやつめ」

 おいらが舌打ちした。

「水の神のくせに、鬼神に怖気づくとは、名ばかりか」

 乙津がめずらしく、皮肉を言った。

「違う! 全然、違う! 」

 大きな鯰が声を荒げた。

「そろそろ、行かないと。急がないと、浄が危ない」

 おいらが言った。

「その前に、そこの親切な人間と幻兎に頼みがあります。

穢水鬼をこの川から追い払って、元の川に戻してくれませんか? 」

 急に、大きな鯰が低姿勢で頼んで来た。

「わかりました。お引き受けしましょう」

 乙津が、物分かりの良い風に告げた。

「頼まれなくても、その穢水鬼を倒すさ。

だって、浄が、そいつらに捕らわれているんだからな」

 おいらがそう言うと、勢いつけて上昇した。

水圧をからだに受けながらも、一気に、上昇すると、

太陽の光りが頭上に差し込んで来るのが見えた。

水面に飛び出した時だった。遠く近くで、異様な物音が聞こえた。

時々、その異様な物音に、逃げまとう人間の悲鳴が混じって聞こえた。

「相当、派手に、暴れまくったみたいだ」

 後から追いついた乙津が冷静に言った。

おいらたちが、川底にいる間に、川の外は、大変な状況になっていた。

水面に飛び出した時、耳に飛び込んで来た異様な物音は、

大きな石が流れて転がる際の音や水が溢れだした音だった。

ものすごい勢いで、川の中から溢れ出て来た

鉄砲水が堤防に襲いかかって、瞬く間に、堤防が決壊する様子が見えた。

山の上から、大水を報せる鐘の音が鳴り響く中、

半裸姿の村人たちが、迫りくる濁流から逃げまとう様子は、

まるで、地獄絵図みたいだった。

「わんわん」

 岸の方から、星丸の悲鳴が聞こえた。

「星丸。そこにいては危ない。とりあえず、山の上へ避難しろ! 」

 乙津がさけんだ。

 星丸は何度も、後ろを振り返りながら山の方へ走って行った。

おいらたちは、穢水鬼の姿を捜した。

濁流は、砂や岩石と共に岸辺へ流れ込むと、

次から次へと、橋・舟・人家を飲み込んで勢いを増して、

しまいには、逃げおくれた人間や家畜に容赦なく、襲いかかって消失させて行った。

浸水した人家の屋根の上では、ぼろきれ1枚身にまとった

村人たちが助けを求めて手を振っていた。

おいらたちは、流れて来る漂流物をよけながら、穢水鬼を捜しまわった。

絶対、どこかにいるはずだ。ぬかるみに足を取られて思うように前へ進めない。

おいらはふと、飛べることに気づいたが、乙津の方を見てあきらめた。

乙津をひとり置いて、自分だけ楽をするわけにはいかない。

それに、今は、主の姿になっている。

飛んでいる主を誰かが見ていたら気味悪がるにちがいない。

「わんわん」

 流木が近づいて来た。乗っていたのは、逃げたはずの星丸だった。

「どうした? なぜ、山の上に避難しなかったんだい? 

もしかして、逃げおくれたのかい? 」

 おいらが言った。

「おまえたちを見捨ててまで、己だけ助かろうとは思いません。

さあ、お上がりなさい」

 星丸が言った。

 おいらと乙津は一斉に、流木の上に乗った。

「星丸。見直したぜ」

 おいらが、星丸を褒めると、星丸が尻尾を振った。

「星丸。何か匂うか? 」

 乙津が、星丸に訊ねた。

「異臭がします。これは、九鬼が近くにいる証です」

 星丸が答えた。

「どこにいるのかわかるかい? 」

 おいらが、星丸に訊ねた。

「たぶん、あちらです」

 星丸が片足で、穢水鬼がいる方向を指し示した。

「あそこだな」

 乙津がそう言うと、全速力で手漕ぎだした。

「わんわん」

 星丸が、穢水鬼がいることを報せるため吠えた。

「あれが、穢水鬼か?! 」

 おいらは、穢水鬼の異様さに目を見張った。


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