第10話:絹恵と美紀の女性投資教室

文字数 1,856文字

 やがて4月に近所の子達と一緒に集団登校を始めた。達人は最初から、くずる事もなく、淡々と毎日、近くの子供達と学校に通っていた。その頃から絵本や子供向けの本を買って与えた。そうして夏になり今年は家族でサマーランドに出かけると大きなプールに驚いていた。

しかし慣れてくると、ずーっと、プールで泳いだり、回りを散策したりするようになり毎週のように出かけた。やがて涼しくなり9,10,11月が過ぎで12月を迎えた。1995年6月15日、ソニー株下げてるから買いと言われ買い値3800円と言われ、直感で年末に株価が上げるのを知っていたので、世紀末も上げると踏んで800株304万円の買いを入れた。すると数日後買えたと連絡が入った。

 残金が696万円となり銀行口座の300万円と合計して持ち金が996万円となった。その話を義理の姉の美紀さんに電話連絡すると、あんた、すごい度胸だねと感心してくれた。翌週の土曜日、橫浜であって食事しながら、美紀さんが証券会社の人間は株の売買が出来ないのよと言い、あなたをみてると、株の売買がしたくなったと言った。

 2000年迄に5千万円を貯めたら、N証券をやめて、個人で株式売買して、株の売買教室でも開きたいわと言うと、もしそうなったら、あなたも一緒にやらないと誘われた。絹恵が会社を退職したから今年から株式投資をしたいと打ち明けると、是非、やろうよと美紀さんと2人で盛り上がった。その後、夕方、オシャレなバーには入り、カクテルを飲みながら、自分達の理想を話した。

 投資で儲けて、女性達だけの株売買教室をやって体力をつけるためジムに通って格好いい先生に教えてもらい、いっぱい旅行をして、人生を楽しみたいねと、夢を語り合って、夜7時に帰って行った。家に帰ると、田嶋悦子さんが、珍しいわね、こんなに遅いなんてと言った。すみません、義理の姉の美紀さんと女の夢の話しをしたらつい長くなってすみませんと言うと、たまには息抜きも必要よと笑って言ってくれた。

 そして、5月が過ぎて夏が来て、今年も毎週のようにサマーランドに出かけて、子供達は大はしゃぎだった。9月になり涼しくなると、駆け足で時が過ぎて12月へ、クリマスパーティーには、今年も義理の姉の美紀さんも呼んで丸焼きチキンとスパークリングワインを飲んで、楽しい一時を過ごした。1995年6月15日、ソニー株下げてるから買いと言われ買い値3800円と言われた。

 直感で年末に株価が上げるのを知っていたので世紀末も上げると踏んで800株304万円の買いを入れた。すると数日後買えたと連絡が入った。残金が15万円となり85万円を追加し証券口座残金100万円とした。2000年1月初旬、田嶋美紀さんから電話でソニー株、売り時が来たと言い売値はと聞くと33000円と言われ翌日昼休みにN証券に全株33000万円で売りと指示。数日後、全株800株が売れたと連絡があり4500万円で売れて税引き後利益が1867万円でとなり残金が2271万円となった。

 その後、2001年6月に絹恵さんが父の池添幸夫さんの持っている新横浜のビルに事務所、2会議室と応接セットのある事務所屋を借りて郵船ブロードネットのインターネット回線を入れてマネックス証券と契約してインターネット回線を使った格安株取引を開始した。そして美紀さんが土曜、日曜に女性限定で株投資教室を開催して、月千円か年間1万円の費用で募集すると東京、橫浜から184人の応募があった。

 1回定員20人で土曜、9時30分~10時30分、10時45分~11時45分、12時45分~13時45分、14時~15時、15時15分~16時15分、日曜も同じ時間で土日、5回ずつ、合計10回の開催を予定した。勉強会を開催すると、若い女性と中高年の女性は、半々で子育てに忙しい30~40歳代の女性は少なかった。

 その中に5名の若いOLさんから売買の情報を下さいと言われ手取り利益の10%を相談料として支払うと言われ了解した。その頃、下がり続けたヤフー株に注目していた田嶋美紀さんが2001年9月4日にヤフー株を189万円で美紀さんと絹恵さんが4株・756万円でインターネットで買い指値注文を出して、購入となった。残金1515となった。

 もちろん5人の女性にも電話連絡を入れ買えたようだ。その後、平日、会議室が空いてるのを知った人が部屋を貸してくれないかと言うので、平日の午前9時~12時、午後1時~4時、1室3千円で貸し出すことにした。
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