第16話:賢人がヤフーに入社と東日本大震災

文字数 1,715文字

 2010年10月20日、午前9時過ぎに美紀さんから絹恵さんの携帯電話に電話が入り良品計画を2700円で1万株買おうと言われ、了解し、すぐ買い注文を入れ、2700万円で買えた。しばらくして2010年が終わり2011年となった。年が明けるとすぐに、長男の田嶋賢人へヤフーから採用内定の通知が届き、その晩、早速、お祝いをした。2011年は寒い日が多く、2、3月になっても寒かった。


 そんな2011年3月11日、東北の東部太平洋沖を震源とする巨大な日が日本大震災が発生し、東北太平洋岸は大津波で多くの家屋が流され、多数の人命が失われた。その後、福島第一原発の原子炉冷却装置が海水を浴び停止して冷却できなくなり加熱して爆発して大量の放射能が大気中に放出されて、その周辺を立ち入り禁止区域に指定して住民を移住させるという近年まれに見る大災害となった。

 東京でも帰宅困難者が出て、東京から徒歩で帰る人々の集団が国道をひた走る姿がテレビに映されて国民が意気消沈してしまった。新横浜の田嶋家と池添家でも口数が少なくなり呆然としていたが4月になると再び日常の生活を取り戻した。ところが、ヤフーでは東北支援のボランティアが動き出し、社内でもインターネット募金という形で東北への支援をサポートした。

 そのために美紀さんと絹恵さんがヤフーの東北大震災への募金100万円と震災孤児の教育のための募金に100万円ずつ、2人で合計400万円を募金した。そして田嶋賢人もボランティアとして仙台に入りボランティア活動をする様になった。この動きを見て美紀さんが絹恵にボランディ募金をしようと以前の株投資勉強会を開こうと提案してきた。

 もちろん絹恵さんも了解して、インターネットの株投資勉強会のホームページに募金のために株投資を再開しようと、以前のメンバーに訴えると、多くのメンバーが参加希望が出て来て応募順50人を新しいメンバーとして迎え入れた。5月も田嶋賢人は5月のゴールデンウイークも仙台に入りボランティアの活動をして親を亡くした事も達の進学のために募金を優先的に使おうと考えた。

 そのグループのメンバーとして活躍し、子供達に勉強を教える日も増えていった。やがて5月が過ぎると織絵がアメリカ留学をどうしたら良いか、迷っていると、兄の賢人が今しかないなら留学して、得てきた知識を世のために使えと言われ留学を決意して、6月1日、新横浜から高速バスで成田へ行き、ロサンゼルスへ飛び、3ヶ月間のロサンゼルスの大学のサマースクールに参加した。

 2011年9月26日月曜日午後にオリックス株が下げてるのを見て3000株ずつ5500円で買いをいれ、1650万円ずつ購入した。情報提供を希望する人には電話連絡を入れると2000株1100万株を購入したと情報が入った。その後10、11、12月が過ぎ、2011年が終わり2012年となった。その後、その後も被災地では復興住宅の建設が大急ぎで作らた。

 また、東北から関東、関西へ移動した住民も数多かったようだった。そうして暖かくなり4月の桜のシーズンになったが日本では東日本大震災の記憶が残り、経済も活気がなかった。2012年1月5日、美紀さんから絹恵さんへヒロセ電機を6650円で2千株買いを入れるよう指示があり買いを入れて、2千株ずつ1330万円で購入した。

2012年6月4日ヤフー株が下がったのを見て美紀さんと絹恵さんが21700円で千株ずつ2170万円ずつ買いを入れ、株教室の仲間にも連絡を入れた。2012年10月1日、朝、美紀さんから絹恵さんへ、日本触媒を740円で2万株買いの指示があり買いを入れ2人で2万株ずつ1480万円で買った。
やがて夏になり、また今年も夏休みを利用した学生ボランティアが東北各地の後片付けに出かけて行った。

その後、秋になり、田嶋好夫と絹恵さんと池添幸夫夫妻の4人が土日にかけて箱根芦ノ湖を観光して、箱根湯本の温泉ホテルに2泊3日で身体を休めに出かけた。そうして年末に2012年も美紀さんと絹恵さんが東日本大震災募金をヤフーを通じで200万円ずつ寄付した。やがて2012年が終わり2013年を迎えた。
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