第11話:女性の株教室と子供貧困

文字数 1,833文字

 すると中高年の女性のお茶飲み会が盛んに行われるようになった。気を利かしてお茶菓子、お土産品、お茶、紅茶、珈琲も寄付してくれた。その後、中高年のお茶飲み会での賃料収益が意外に多いのが予想外だった。絹恵も用事がないときには、この事務所に来て午後5時に家に帰る生活となり美紀さんに投資の勉強を教えてもらう日々が続いた。そして1年が経つと、250万円の収入が入った。

 賃料は無料で、光熱費他実費を差し引いても200万円以上の純利益が発生し有限会社として届けていたので予想以上の利益となった。やがて2001年が終わり2002年を迎えた。2年目になると地元の中高年女性の話題になり平日に2会議室使う回数が増え土日にも空いてる会議室の利用も増えた。会合は旅行の話合い、持ち込みでの誕生会、催し物、中古着物販売会、バザーにも利用されるようになった。

 そして土日祭日は1つの会議室が予約で埋まる日が増えた。2003年も事務所は盛況であり女性だけという気軽さなのか頻繁に人の出入りがあり賑やかだった。また一番ありがたかったのは中高年の女性達の差し入れてくれる、お菓子、お饅頭、進物でもらった、お茶、紅茶、珈琲、で、たまに、料理好きな女性が、手作りのおはぎ、ぼた餅をたくさん持って来てくれることだった。

 そうして200年も終了し2004年を迎えた。2004年に会議室で新年会をしたいと言う要望が出て美紀さんと絹恵さんが酒なしであればOKという事にすると8組の新年会が催され美紀さんと絹恵さんが呼ばれて参加して、たくさんのご馳走にありついた。その後、2003年3月にヤフー株が上昇して来たので、情報提供の契約者にも連絡した。

 2001年9月に購入したヤフー株は2002年3月26日、9月25日、2003年3月26日、9月25日、2004年3月26日の5回、2分割したので株数が32倍となった。美紀さんと絹恵さんが4株ずつ買ったの128株ずつになった。そして52万円で売りを出し、2004年4月5日に全株が売れて13312万円となり税引き後純利益が9438万円となった。

 情報提供者から5人から250万円ずついただき美紀さんと絹恵さんの純利益が9438万円で1人あたり10063万円となった。まさに夢のようだった。絹恵さんには残金1515万円あり、合計11578万円となった。この夢から覚めないうちに中華街の聘珍樓でお世話になった家族全員で祝賀会を盛大に開いた。2004年、絹恵の長男、田嶋達人が中学を卒業し高校入試の年となった。

 成績はクラス3位で学年で10位であり翠嵐高校を希望していたが合格の確立が75%と微妙なところだった。それでも2月に滑り止めに法政二校を受験し合格し翠嵐高校に挑戦し3月8日の合格発表の日、受験番号を見つけ合格した。その後、余程、緊張したのか一瞬、放心状態になった。合格のお祝いにパソコンが欲しいと言うので、両親と秋葉原へ行って、NECのパソコンとプリンタ一式を買ってもらった。

 その後、学生服を買って橫浜市営地下鉄で15分の翠嵐高校に通い出した。父の田嶋好夫が将来構想を達とに聞くと、橫浜国大か東工大に入ってソフトウェア技術者をめざし、理想は、アメリカのシリコンバレーで働きたいと話した。2004年6月28日、会議室での話合いの時に橫浜市にある昔の大型団地で、貧困世帯の子供の問題の話合いがあり、興味深いので絹恵さんが参加させてもらい話を聞いた。

 訳あって離婚したりしたりシングルマザーの貧困問題が一番深刻だと報告された。こんな飽食の時代に満足に食事を取れずに困っている家庭の子供のための炊き出し計画の打ち合わせだった。その話では港南台団地、左近山団地、市沢団地、千丸台団地、ひかりが丘団地で巡回して団地の集会場で炊き出しする話が出て費用はNPOのカンパで賄い、そのために企業に寄付のお願いもしていると言う現状を聞かされた。

 その話を聞いて絹恵は、協力してあげたいと考え、そのNPOに参加することを決め入会した。そうして、その晩、家に帰り、家族にその話をするとハイエースを使って手伝ってあげたらと言われ、夫の田嶋好夫も土日なら手伝うよと言ってくれた。義理の父の池添幸夫も寄付金を検討してみると言った。その話しを美紀さんに言うと募金してあげようと言ってくれた。その後、NPOに池添幸夫さんが100万円、美紀さんと絹恵さんの有限会社から100万円の寄付金を渡した。
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