第5話:田嶋好夫のプロポーズと結婚

文字数 1,816文字

 食後、いつものウインドジャマーで飲んで楽しんで帰った。やがて1983年となった。その後、2月19日木曜、大事な話があると田嶋好夫から絹恵に言われて夜7時に関内駅で待ち合わせ中華街の同発本館の個室に入り田嶋好夫が照れながら僕と結婚してくれませんかと言われた。あまりに突然だったので絹恵はちょっと時間を下さいと言うと、いつまでと聞くと2月25日迄には、お答えしますと言った。

 わかりましたと言い、運ばれてきた料理を緊張しながら食べた。この日はプロポーズもあって、話も弾まずに1時間足らずで別れた。この話を母の範子に話すと結婚申し込まれたの良かったわね、おめでとうと言うと、どうしたら良いかと聞くと、あなたの気持ちはどうなの聞き返され良い人だと思っていると答えた。
それなら、お受けしたらどうなのと言われた。

 でも、心配なのよと言うと、誰でも、そーよ。でも決めるのは、あなただからと言った。特に断る理由はあるのと聞かれないと答えると結婚しちゃいなさいと笑いながら母が言った。でも、と言うと明日の晩に家に連れてきなさいと言われ了解と答えた。そして翌日1983年2月25日、仕事を終えた夜7時に一緒に新横浜の自宅へ行くと、母の範子さんが夕飯の支度をして、まずは、夕飯を食べてからと言われた。

 夕食を終えた後、母が田嶋好夫さんにお住まいはと聞くと蒲田と答え、御両親の出身は聞かれ群馬県水上と答え、あなたはどこで生まれたのと聞かれ、水上でうまれ、6ヶ月で東京に出て来たと言い、東京オリンピックの建設のために父が上京したと答えた。今、何してらっしゃるの聞かれ建設会社に勤めていますと答え、ご自宅はと聞くと3DKのアパートに住んでますと言った。

 お母さんはと聞かれ近くの商店で働いていますと言った。それであなたを早稲田大学、お姉さんを上智大学を卒業させたの、随分、頑張ったのねと言うと、もう御存知なんですかと田嶋好夫が驚いた。娘から、あなたのことは聞いてますと言うと、初めて笑った。姉も私も奨学金を借りて両親が共働きで頑張ったお陰ですと言い、両親には感謝していますと言った。

 だから、この会社で、多くの給料をもらって、両親に楽させたいですと言うと、素晴らしい。そして、絹恵に、あなた、この人と結婚すべきですと言った。これには、絹恵も驚いてしまった。この話をじっと聞いていた、父の池添幸夫が、立派な御両親だと言い、私は君と同じ会社で東京支店で輸出部門の顧問役員をやっていると言うと、やっぱり池添幸夫・顧問だったのですねと言った。

 しかし義理の父になったと言っても仕事は別だからねとニヤリと笑った。そして最後に絹恵に、どうするんだと聞くと、結婚しますと顔を赤らめて言った。すると、こりゃめでたいと言い、奥さんに、あれ持って来いと言い、新潟銘酒「雪中梅」を持って来させ、封を開けて、祝いの杯だと言い、田嶋好夫に盃を渡し注いだ、その後、田嶋好夫が池添幸夫さんの盃に酒を注いで乾杯をした。

 すると母が笑顔で、おめとうございますと言った。結婚式場と日程がわかったら前もって知らせてくれと言った。そうして、1時間ほどして、田嶋好夫が帰って行った。絹恵が会社に出ると今週の土曜日に結婚式場を探しにいかないかと田嶋好夫が絹恵に言うと、ホテルニューグランドが良いわと答えた。じゃー結婚の日程を決めに行こうと言ったの2月28日にホテルニューグランドへ行く事にした。

 2月28日にホテルの婚礼係の担当者と会い、絹恵が6月の土日、空いてないかと聞くと、あいにく全部埋まってますといわれ、それでは、5月は聞くと16日土曜、30日土曜が空いてると教えてくれた。ドレスやお色直しの話しをし始めた時、電話が入り、6月20日土曜の午前11時からのコールがキャンセルになったと言われ、1983年6月20日にして欲しいと言い、予定表に書き込んでくれた。

 詳しいお値段は、参加人数が決定してから、ご相談いたしましょうと担当者が言った。その後、結婚式の案内状を作成してもらい、投函して3月10日に参加人数が60人と決まった。その後も、田嶋好夫は週に1-2回の国内出張をこなしていた。

 そうして1983年6月20日を迎えた、当日は梅雨の初期で、しとしと雨降りの日だった。それでも60人が参列していただき、11時から結婚式で、絹恵がバージンロードを最初に父と歩き、やがて田嶋好夫さんとかわり歩いた。
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