第63話 尾扇と玉鏡

文字数 3,909文字

〝寝返り松永〟という大名がいる。
 尾張の寺焼きに仕えていながら二度謀反を起こした故の名だ。しかも此度は三度目である。二度許されたことも驚きであるが、此度は追っ手を警戒して隠れ屋敷に籠っている。
 ぐにゃりと曲がった松のような男を想像していたが、顔立ちは平凡であった。好んで誑かそうとも思わない。

「……なぜここがわかった」
「さて、なぜでしょうか」

 大名は城をもつものである。がしかし天守閣など戦さ場では鐘を鳴らして己の居場所を敵に知らせるにも等しい。

 裏松邸は深い森の中、地に伏すように建っている。
 初めて見たときなど、大蜘蛛の亡き骸を屋敷にしたのか思ったほどである。あるいは屋敷自体が平身低頭して許しを乞うているようにも。
 地図になく、道も隠されていては、確かに鼻の利かない人間には見つけられないだろう。しかし玉鏡からすれば子どもの隠れ鬼も同然だった。

 茶室を借りたいと申し出ると、しばし考えてから男は良いと言った。案内された廊下は森に向けて竹格子入りの小窓があり、突き当たりが茶室になっている。まるで庵に通されたようであるが、ここは隠れ屋敷の一角である。

 座して待っていると、足音がして戸が開いた。

「久しいのう、玉鏡」

 三本髭が似合う娘。それが尾扇(びせん)である。
 がしかし、今は艶やかに着飾っている。馬子にも衣装という言葉があるように、緋色に金糸をあしらった着物はいずこの息女だと訊きたくなるほどである。前に顔を合わせたときは背中まで髪を流していたが、今はかんざしで結い上げている。

「随分とまた、めかし込んでいますね。嫁入りでもする気ですか」
「なんじゃ、おぬしともあろう者が知らぬのか。これは巷で評判の緋金錦じゃよ」

 ほれ、と尾扇は緋色の袖口を振る。

「ええ、知っていますよ。古着問屋に山ほどありましたから。確かあれは百年ほど前でしたか」

 むすっと尾扇が顔をしかめる。立っているのに疲れたのか、部屋の中央にある茶釜を避け、玉鏡の向かいに座った。

「冗談はさておき、実際なんと言って目通りしてきたのです」
「見てわからぬか」

 尾扇は不貞腐れていた。まったく面倒な狸娘だ。

「はて、花魁ですか。それとも京都の小町娘、ああ、源平三美人の静御前にも見えますね」
「……ふふ、聞きたいか」
「ええ、是非とも」

 豚もおだてれば木に登る。尾扇の場合は手の内を明かす。

「美濃の狸の娘じゃよ。茶の湯をたしなみ、茶器に目のない才女ということにしてある。こちらの要求を飲めば尾張の寺焼きから匿ってやると言い含めておいてやったわい」

 美濃にいるのは〝(まむし)〟だ。開口一番、化けの皮が剥がれかかっている。

 しかし、狸の娘というのは嘘ではない。
 四国は久万山の大岩屋に巣くい、八百八の狸を統べる古狸。名を隠神刑部狸(いぬがみぎょうぶだぬき)という。その娘が尾扇である。父親もかつて人間の謀反に助力した口である。匿ってくれるかはさておき、要求を呑めば化け狸の一匹や二匹は護衛に貸してくれるやもしれぬ。

「ああ、しゃべっとたら喉が渇いてきたのう。せっかくじゃし茶の一杯でも飲みたいのう?」
「のたまうと思って、湯は沸かしておきました」

 玉鏡は茶釜を開ける。もわりと湯気が昇った。柄杓(ひしゃく)一杯の湯を茶碗にすくい、ゆっくりと茶筅(ちゃせん)を湯にくぐらせる。

「おおい、まだ茶が入っとらんぞ」
「これは茶筅通しですよ。もしかして、知りませんでしたか」
「抜かせ。わっちとて毎日やっとるわ」

 やはり知らないようだ。口は災いの元である、この阿呆め。

「それで、此度の化かし合いですが」

 湯を捨てながら玉鏡は問うた。

「先に〝平蜘蛛(ひらぐも)〟を取った方の勝ち、でいいのですね」

 平蜘蛛——蜘蛛が伏したような姿であることからそう名付けられた茶釜である。ゆらりと波打った紋様がまこと美しいと、もっぱらの噂だ。

「案ずるな。狸に二言はない」

 どの口が言う。化かし合いで負けるや否や三本勝負と言い出した者の弁は思えない。だがこれで言質は取った。
 茶入れから茶を二杯すくう。味は濃い方がよいか。玉鏡は三杯目をすくって入れた。茶筅を振り、茶を()てる。ダマを残すような下手な点て方はしない。水面(みなも)に細かな泡がたったのを見て、茶碗を尾扇の手前に置く。

「ところでおぬし、いつの間に出家したのじゃ。仏から一番縁遠かろう」

 ずずっ、と尾扇は茶を飲み干す。

 玉鏡が身に付けているのは袈裟である。尾扇の緋金錦に比べれば実に質素な、それこそ僧籍のある者と遜色ない出立ちだ。

「尼に化けては関所は潜れても大名は落とせまい。あの男になんと言ったのじゃ」
「なぜ答える必要があるのですか。少しは知恵をはたらかせたらどうです」
「ああ、なんじゃ。手の内のひとつも明かせぬのか。ああ、そうかそうか。ちっとでもしゃべると化けの皮が剥がれてしまうからのう」

 この古狸、言わせておけば勝手なことを。
 茶釜の湯をひっかけてやろうかと思った気をなだめる。

「尾張の寺焼きに遣わされた密使ですよ」
「……んん?」

 尾扇が眉根を寄せた。

「腕が落ちたのう。下手な嘘は笑い草にもならんぞ」
「いたって真面目ですよ。考えてもごらんなさい」
「んん?」
「あの寺焼き大名、神仏衆生の仇を名乗っているそうですよ。築城した暁には仏像の上に寝床を設けるとのたまっているとか」
「知っとるわい。それがどう関わってくるのじゃ」
「だからですよ。——そんな人間が仏門の徒を懐に入れると思いますか。ましてや密使に」

 玉鏡は悪女のような笑みを浮かべる。

「……なるほどな、狐らしいやり口じゃ。しかし、やつの呼び名は好かんのう。なんといったか、もうひとつの……」
「第六天魔王ですか」
 それじゃ、それ、と尾扇は頷く。

 確かに人間風情が名乗るには度がすぎた名である。玉鏡も初めて耳にしたときは傲岸不遜の言葉が頭をよぎったほどだ。

 しかし——玉鏡もその戦さぶりは見た。
 人の子かと疑いたくなるほど苛烈だった。そのうえ将としての才もある。今ではその名を聞けば周辺大名が身震いするほどだ。関所には触れが出回り、尾張からよそへ行くものひと苦労である。

 ただし、関所をくぐるためだけに虚無僧になったわけではない。
 玉鏡が尾張の寺焼きの密使に化けたのは、件の寺焼き大名がある品を欲していたからだ。再三寄越せと言っても寝返り松永は首を縦に振らなかったようだが。

 さて、今回はどうでしょうね。

 尾張の寺焼き大名からの——という体で渡した文の書面を思い出す。
 
  かの〝平蜘蛛(ひらぐも)〟を我が密使に譲渡せよ。
  さすれば汝の謀反、此処に許される。
 
 種は蒔いた。あとは芽吹くのを待つばかりだが――。

「——うぐっ!」

 尾扇が腹を押さえてうずくまる。こちらを見上げる顔は青ざめ、脂汗で額に髪が貼り付いている。

「お、おぬし……なにをした」
「なにを、とは?」

 玉鏡は尾扇の言った通り茶をたてただけである。

「とぼけるな、ぐっ、うう……茶になにか仕込んだろう」

 まあ考え得るものはそれしかない。しかし、ここまで容易く引っ掛かるとは。肩透かしもいいところである。

「なんじゃ、なにを盛った、おぬし」
「安心なさい。ただの下剤です」
「げっ、げざっ……おぐぅ」

 尾扇がまたしても青ざめた。いつぞや人間に捉えられ狸汁にされかけたときでさえ、こうも青い顔はしなかった。見ていてすこぶる滑稽である。玉鏡は口元を隠して笑った。

「謀ったな、おぬし……よくも」
「あら、化かし合いとは騙し合い。あなたの言ではありませんか」
「まだ覚えて……おっ、おぐぅ」
「ふふ、下痢腹(げりばら)狸はそこで大人しくしていなさい。平蜘蛛は私がいただいてき——ふぐぅ!?」

 玉鏡は腹を押さえてうずくまった。急に痛みが襲ってきたからである。

 な、なぜですか。

 下剤を盛った茶には口を付けていないし、怪しげなものを拾い食いした覚えもない。だというのに……。

 ——きりきりきり。

「うっ、ううぅ……!」

 考えている暇はない。兎にも角にも今は(かわや)である。こういうとき茶室の狭い出入口は厄介だ。刀を持って入れないようにする造りであるそうだ。考えた人間を蹴飛ばしてやりたかったが、と戸に手を掛けたとき、別の手がそれを阻んだ。

「どこへ行くのじゃ」

 尾扇である。

「んん? なにやら顔色が悪いのう?」
「……なんともありませんよ、このくらい」
「おお、そうか、そうか」

 と尾扇がしたり顔になる。

「ならちょうどいい。実はさっきから腹の具合が悪くてのう。おぬし、なんともないなら、そこ譲ってはくれんかのう?」

 尾扇がやらしく笑った。
 やはり、この狸の仕業か。だが、いったいいつ——。

「おぬし、峠の茶屋で羊羹を食したろう」

 確かに食べた。しかしあれは……

「あれは四国名物、百日羊羹よ」
「なっ!」

 食して腹をくださぬ者はいない、といわれる奇食珍味である。小間使いが一匹であると誰が言った、けけけ、と尾扇が笑う。ではあの茶屋自体が尾扇の、とそこまで考えが至り、玉鏡は歯噛みした。

 やはりこの古狸とは一生相入れぬ。

 思っていると、また腹が痛くなってきた。ぎゅるぎゅる。まるで腹に鯰でもいるような音がする。それも暴れ鯰だ。

「下痢腹はおぬしも同じよ、けけけ。代わってやりたいのは山々じゃが、こればかりはのう」

 心にもないことを。

此度(こたび)の化かし合い、まだまだわから——うぐっ、おっ」

 勝ち誇った顔をしているが、腹にいちもつを抱えているのはあちらも同じ。かがみ込んだ玉鏡の横で尾扇も腹を庇ってうずくまる。

 もはや出入口の広い狭いの問題ではない。

 ぐっ、ぐうぅ、波が来よった、と呻く尾扇。玉鏡は思った。もはや平蜘蛛を奪い合っている場合ではなかった。

 今は一刻も早く(かわや)へ行かねばならない。
 
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