第59話 湯たんぽ

文字数 2,183文字

 その夜、報せが入った。
 金衛門が野盗に襲われて怪我をしたと。

 取り立てに行った帰り道、金子(きんす)をたんまり持っている所を襲われた。野盗はよその町から流れ着いた連中らしく、役人の話では町から町へ移り、身なりのいい人間を見つけては金品を奪っていたという。

 困ったのは金衛門である。取り立てた金子は盗られてしまった。金子を貸しつけていた大店は利子を含めた額をきっちり耳を揃えて返してきた。金の切れ目が縁の切れ目という。もうその大店から取り立てることはできない。

 帰ってきた金衛門は右腕に包帯を巻いていた。しかし、態度は今までと変わらない。それどころか近頃は玉鏡の気を惹こうと派手に散財をしている。

 その日もお露は茶と一緒に、高そうな羊羮を出すよう言われた。入れ物の箱には老舗菓子屋の印が()してあり、蓋を開けると小豆色に金箔がまぶされていた。

「『夜の月』という。お前の言っていたものに一番近しいものを取り寄せた」

 皿に取り分けた栗羊羮を、金衛門はすっと玉鏡の前に寄せる。玉鏡は昔食べた栗羊羹と同じものを探しているらしく、金衛門が下男に命じて探させたのだ。

「お高かったのでは」
「気にするな。飽きるまで食わせてやると言っただろ」
「そうですか。しかし、泊めていただいているうえ、これだけのものをいただいたのです。何か恩返ししなくては」

 下がるとき、閉めた襖の向こうからそんな会話が聞こえてきた。金衛門も一度は断ったが、玉鏡が二度目を押したことで台所事情を語った。
 金衛門の財布は底を突きかけていた。
 無論、貸した金子を取り立てればいいのだが、残った証文はどれも閑古鳥の鳴く店や個人のものばかり。ちまちまと死ぬまで取り立てるのには良いが、金子を得るための手立てにはならない。あくまで相応の物を取るだけだ。

「なにか、妙案があればいいのだが」

 お露は息を殺して襖ごしに耳を澄ませた。
 玉鏡は金子のいる店や人間に貸し付けるのを提案したが、そういった相手にはすでに同じ金貸し屋が付いているらしい。

「そうですか。それは困りましたね。私は門外漢ですので、確かなことは言えませんが……」
 玉鏡がなにかを囁く。盗み聞きしていたお露には詳細が聞こえなかった。
 
          ◯
 
 夕餉のあと片づけを終え、そろそろ床に就こうした頃になって下男のひとりに呼び止められた。滅多に喋らない男である。ここへ来て話したのも金衛門からの言伝をもってきたときぐらいだ。

「玉鏡様がお呼びだ。部屋に行け」

 お露は聞き違いを疑った。用件を訊いたが下男はひと言も口を開かない。その背中を尻目に、お露は畳の間へ向かった。

「お呼びでしょうか」

 玉鏡は寝巻き姿で布団に入る直前だった。金衛門はすでに寝静まって屋敷はしんとしている。隙間風が入ると言われ、お露は襖を閉めて手招きされるまま布団のそばに膝を着いた。

「今晩は随分と冷えますね」

 まるでひとり言のように玉鏡は言った。なにか至らぬ点があったのだろうか。

「けちを付けるわけではありません。ただ、少しばかり布団が冷たかったものですから」

 ちらりと玉鏡は横目を向ける。
 布団を温める方法などお露は知らなかったが、ひとつだけ思い付いたものがある。お露は頭を振った。脳裡に浮かんだ不埒な考えを必死に追い払う。

「で、でしたら、湯たんぽなどはいかかでしょうか」

 少し時間がかかるが、湯を沸かしてそれを鉄の器に入れて抱いて寝る。そうすれば夜の寒さも少しは和らぐだろう。台所でそれらしいものは見た覚えがあった。

「なるほど、湯たんぽですか」

 しかし、なにを思ったのか玉鏡は意味ありげに微笑む。
 相変わらず、この人の考えは読めない。

「金衛門様は」
「先ににお休みになられました」

 下男のふたりもすでに寝静まっている頃だろう。屋敷で起きているのはお露と玉鏡だけだろう。なにか用向きがあれば、自分が動かなければならい
 答えながらもお露は不思議だった。なぜそんなことを訊くのだろうか。
 そうですか、と玉鏡はつぶやく。求められれば起こしにいく気でいたお露はますます不思議な気になる。

 半身で布団に入った玉鏡が手招きをする。耳を貸しなさい、ということか。お露は布団のそばに座り、褒められたことではないが手をついて身を乗り出した。両の肩に手を乗せられたのはそのときだった。そのまま抱き寄せるように布団に寝転がされる。とくん、と鼓動が跳ねあがった。

「え、あっ、な、なにを……!」

 いったいなにが起きたのか分からず、お露はひとり狼狽する。

「うるさい湯たんぽですね。これから眠るのですから静かになさい」

 温かな吐息がうなじに触れる。それでお露は悟った。
 先の申し出を玉鏡はお露が自らを湯たんぽ代わりにするよう申し出たと勘違いしたのだ。布団の中でお露は赤面した。しかし訂正しようとして、言いかけた言葉が喉につっかえる。

「どうかしましたか」
「……いえ。なんでもありません」

 お露は抗うのをやめた。幼子にかえって母に抱かれているようだった。もう十三なのに、と思いつつ目を閉じる。

 玉鏡の胸に抱かれると薄っすらと野に吹く春風の香りがした。薄い寝巻き越しに温もりが伝わってくる。胸の鼓動が聞こえないか心配だった。
 叶うことなら、この人が旅立つとき、一緒にここを発ちたい。
 南無阿弥陀、南無阿弥陀……。三度唱えて、お露は眠った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み