第62話 化かし合い

文字数 798文字

 今より二百年ほど前のことである——。
 そこかしこで戦さがあった。兜に角を生やした人間たちが国盗りに明け暮れていた。(まつりごと)をする幕府の力が落ち、各地の大名を御せなくなったからである。敗戦を期した大名の領地は酷いものであったが、ここはまだのようだ。焼き討ちにもあっていない。

 玉鏡は峠の茶屋で休んでいた。
 その同じ軒下に露骨に妖気を垂れ流す女がいる。山道の茶屋であるのに旅支度もしていない。あれで化けているつもりなのかと言いたくなるほどだった。
 しかし、見抜けなかったとあとから罵られるのも癪である。

「私になにか用ですか」

 玉鏡は顔を向けずに訊いた。ちょうど茶屋の娘が茶請けの羊羮を持ってきたところである。

尾扇(びせん)様から文を預かっております」

 あの古狸の好みそうなやり口である。

「読み上げなさい」

 茶をすすりながら言う。小間使(こまづか)いに化けた小狸がべろべろと折り畳んだ紙を広げた。垂れ下がった紙の端が地に着いている。

「春待ち遠しき頃、或いは剣戟うるさき頃、いかがお過ごしか。当方は——」
「能書きは結構です。用件は」

 小間使いがするすると紙を折り畳む。垂れていた紙は半分ほどになった。

「——玉鏡よ、久しく顔を会わせていないが、化けの皮は剥がれてはいないか」

 剥がれているのはそちらであろう。紙の裏から髭面が透けて見える。玉鏡は顎をしゃくった。続けよ、という意味である。

「化かす相手がいなければ腕も鈍るというもの。せっかくである。化粧直しも兼ねて、また化かし合いをせぬか」

 玉鏡は茶を飲む手を止めた。
 尾扇とは腐れ縁である。今よりさらに百年ほど前、玉鏡の狙っていた人間を横取りしようとしてきたのが尾扇だった。それを返り討ちにして以来、なにかに付けて化かし合いを挑んでくるのだ。

「いいでしょう」

 玉鏡は出された羊羹をひと口に頬張る。

「尾扇に急ぎ伝えなさい。また吠え面をかかせてあげます。首を洗って待っていなさいと」

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