第28話 村の少年
文字数 1,453文字
畦道の脇に用水路がある。手を入れると、ひんやりしていて気持ちがいい。川から水を引いてきているのだろう。
用水路をたどって歩いていると、向かいから回し姿の少年が数人走ってきた。ひとりはよく肥えていて、本物の力士のようだった。河童を破った村だけあって、子どもの間でも相撲が盛んなのだろうか。
青頭巾を目深になるよう引っ張る。
しかし、少年たちは蜻蛉を追いかけるのに夢中で、おれには見向きもしなかった。そこから少し行ったところに鳥居と階段があり、のぼった先の境内には土俵がある。
川はその裏手を流れていた。急な斜面から見下ろした川面は遠く、とても降りられそうにはない。水浴びのできそうな場所を探して川沿いを歩いていたとき、ぬかるみで足を滑らせた。
「……!」
ざぶん、と水音がする。
川は足が着かないほど深かった。川底で頭を打ちはしなかったが、かなりの急流だ。人間なら水面から顔をだす前に溺れていただろう。
けれども、おれ ならこれくらいどうということはない。
さほど泳がずとも川から上がれる場所は見つかった。川底が浅くなって流れが緩やかになっている。岩ばかりで歩きにくいが贅沢はいえない。水から上がると、思わず溜め息がでた。
確かに水浴びはしたかったが、これじゃ……
汗は流せたが、水に落ちたせいで身に着けていた着物や旅の荷はずぶ濡れだった。
今は大きな岩の上に広げて乾かしているが、荷物の中には駄目になってしまったものもある。
どの道、着物と頭巾が乾かないと村に戻れない。岩場を伝っていくと竹林にでた。鬱蒼としていて奥が見えない。道らしきものもなく、これなら村の人間が通りかかることもないだろう。
そのときだ。ぱきっ、と枝を踏み折る音がした。
竹林の陰に子どもがひとり立っている。回し姿の小柄な少年だ。さっきまで相撲をとっていたのか膝や足には土が付いている。
ま、まずい、見られた……!
いつもなら皿と背中の甲羅は青頭巾と着物で隠している。だが今はそのどちらもない。
前に河童の木乃伊を見世物にしている小屋があった。人間が河童を見つけたらどうするのか、おれにはわかりきっていた。
早くなんとかしないと。焦るおれに、少年が言った。
「……りゅ、龍虎 」
それはかつて村にいた河童の名前だ。違う、と言いかけておれは言葉を呑む。
言い伝えによれば、龍虎という河童は人間との勝負に敗れて村を去った。
しかし、それはいつのことだったのか。畦道にあった石像はかなり古いものだった。もし村に龍虎の姿を見て知っている人間がいなかったら、村の子どもが河童を見て、龍虎だと思っても不思議ではない。
「お、おいっ」
少年は震えた声で言った。
「なんで村にいるんだ。また悪さしにきたのかっ」
やはり村の子どもは龍虎の顔や姿を知らないようだ。あるいは河童の区別なんて付かないのかもしれない。
「この村には河童がいたら駄目な掟でもあるのか」
「う、うるさい。おまえ、ぼ、ぼくと相撲でしょ、勝負しろ。ぼくが勝ったら、おとなしく村からでていけっ」
あの伝説と同じことを言っている。声にも態度にも覇気はないが。
…………。
濡れ衣を着せられていい気はしない。それに同じ河童として悪者にされっ放しなのも癪だ。
だから、おれは少年の勘違いに付き合ってやることにした。
「そ、そうか。なら、おれが勝ったら……えっと……こ、この村の田んぼは全部もらうぞ」
思い付きを口走ってしまった。らしく見えていただろうか。
「の、望むところだ……」
少年は小さな肩を震わせていた。
用水路をたどって歩いていると、向かいから回し姿の少年が数人走ってきた。ひとりはよく肥えていて、本物の力士のようだった。河童を破った村だけあって、子どもの間でも相撲が盛んなのだろうか。
青頭巾を目深になるよう引っ張る。
しかし、少年たちは蜻蛉を追いかけるのに夢中で、おれには見向きもしなかった。そこから少し行ったところに鳥居と階段があり、のぼった先の境内には土俵がある。
川はその裏手を流れていた。急な斜面から見下ろした川面は遠く、とても降りられそうにはない。水浴びのできそうな場所を探して川沿いを歩いていたとき、ぬかるみで足を滑らせた。
「……!」
ざぶん、と水音がする。
川は足が着かないほど深かった。川底で頭を打ちはしなかったが、かなりの急流だ。人間なら水面から顔をだす前に溺れていただろう。
けれども、
さほど泳がずとも川から上がれる場所は見つかった。川底が浅くなって流れが緩やかになっている。岩ばかりで歩きにくいが贅沢はいえない。水から上がると、思わず溜め息がでた。
確かに水浴びはしたかったが、これじゃ……
汗は流せたが、水に落ちたせいで身に着けていた着物や旅の荷はずぶ濡れだった。
今は大きな岩の上に広げて乾かしているが、荷物の中には駄目になってしまったものもある。
どの道、着物と頭巾が乾かないと村に戻れない。岩場を伝っていくと竹林にでた。鬱蒼としていて奥が見えない。道らしきものもなく、これなら村の人間が通りかかることもないだろう。
そのときだ。ぱきっ、と枝を踏み折る音がした。
竹林の陰に子どもがひとり立っている。回し姿の小柄な少年だ。さっきまで相撲をとっていたのか膝や足には土が付いている。
ま、まずい、見られた……!
いつもなら皿と背中の甲羅は青頭巾と着物で隠している。だが今はそのどちらもない。
前に河童の木乃伊を見世物にしている小屋があった。人間が河童を見つけたらどうするのか、おれにはわかりきっていた。
早くなんとかしないと。焦るおれに、少年が言った。
「……りゅ、
それはかつて村にいた河童の名前だ。違う、と言いかけておれは言葉を呑む。
言い伝えによれば、龍虎という河童は人間との勝負に敗れて村を去った。
しかし、それはいつのことだったのか。畦道にあった石像はかなり古いものだった。もし村に龍虎の姿を見て知っている人間がいなかったら、村の子どもが河童を見て、龍虎だと思っても不思議ではない。
「お、おいっ」
少年は震えた声で言った。
「なんで村にいるんだ。また悪さしにきたのかっ」
やはり村の子どもは龍虎の顔や姿を知らないようだ。あるいは河童の区別なんて付かないのかもしれない。
「この村には河童がいたら駄目な掟でもあるのか」
「う、うるさい。おまえ、ぼ、ぼくと相撲でしょ、勝負しろ。ぼくが勝ったら、おとなしく村からでていけっ」
あの伝説と同じことを言っている。声にも態度にも覇気はないが。
…………。
濡れ衣を着せられていい気はしない。それに同じ河童として悪者にされっ放しなのも癪だ。
だから、おれは少年の勘違いに付き合ってやることにした。
「そ、そうか。なら、おれが勝ったら……えっと……こ、この村の田んぼは全部もらうぞ」
思い付きを口走ってしまった。らしく見えていただろうか。
「の、望むところだ……」
少年は小さな肩を震わせていた。