第36話 百鬼夜行

文字数 1,169文字

 しばらく待っていると、奇山先生が帰ってきた。
 見覚えのない柄の羽織を着て、手には水飴を刺した棒を二本持っている。

「どこをほっつき歩いてたんですか」

 帰ってくるなり、おれは言った。

「少し露店を見ていた。土産だ。きみも食べるか」

 露店? と首を傾げるおれに、奇山先生は水飴を手渡す。ちょうどそのとき、子連れがそばを通りかかった。母親に連れられた幼い子どもが、嬉しそうに水飴を舐めている。

「昔を思い出す」

 奇山先生は水飴を舐めながら言った。

「好きだったんですか、水飴」
「今でも好きだ。縁日ではよく食べていたし、この柄も小さかった頃に着ていたものだ」

 奇山先生は袖を持ち上げてみせる。
 今夜は祭りだそうだ。訊けば、その羽織も呉服問屋が古くなった着物を屋台で売っていて懐かしさから買ったんだとか。

「どうかしたか」
「その、ちょっと意外だと思って」

 奇山先生の旅に同行したのはまだ片手で数えるほどしかないが、行き先はどこも妖怪伝説のある土地だった。
 しかも先生は興味だけで旅先を決めているらしい。何日も歩き詰めることになっても、奇山先生は涼しい顔をして妖怪にまつわる蘊蓄を語ってきた。

 それほどまでに妖怪が好きなのだろう。
 こういうとき、人間は『無類の』と頭に付ける。正直、この人は妖怪以外には興味も頓着もないと思っていた。

 だから、こうして他の好みを知ると、どこか不思議な気がする。

「その見立てはあながち間違ってはいない。ほら、現れたぞ」

 奇山先生が水飴の刺さった棒を大通りに向ける。

 ちょうど行列がこちらに歩いてくるところだった。
 道端からどよめき声が湧く。なにをそう驚いているのか。不思議に思っていると、行列の先頭が見えてきて、おれにもその訳がわかった。
 そいつは異様な格好をしていた。頭が琵琶で皮衣を着ている。(ばち)で顔の弦を弾くと、べべん、べべん、と音が鳴った。

「あれは……」
「百鬼夜行だよ」

 初めて聞く言葉だった。

「百鬼とはあらゆる魑魅魍魎の類を表し、夜行とはそれらが夜半に練り歩くことをいう。今まさに私ときみが見物している大行列だよ」

 といっても本当の化け物が行列を成している訳ではない。先頭を歩く琵琶頭には覗き穴があり、楽器を被った人間が化けていた。

「あれは琵琶の付喪神だ」

 訊くより早く奇山先生が言った。

「つくもがみ、ですか」
「物や道具が化けた妖怪を総じて呼ぶ名前だよ。猫や狐が長生きして化けるように、物も百年を経るとああして化けるようになる。一方で『つくも』とは『百に一足りぬ』とも言われ、妖怪に変じる前に古い道具を一斉に処分する風習もある。例えば——」

 また始まった。
 荷物持ちをしていると、旅の道中こうして妖怪や化生(けしょう)についてあれこれ聞かせられる。いつもなら適当に相槌を返すところだが、おれから訊いた手前、今日は大人しく耳を傾けた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み