第六話 与

文字数 2,307文字

「それで?」

 居間の縁側から望める桜の大木を眺めながら、夕星は煙草を吸っていた。姉が(うるさ)いのでもちろん電子タバコである。それでも葉月の片方の眉は上がるのだが。

 隣に座るアデルは葉月のパジャマを着せられている。白無地ではあるが襟にも裾にも愛らしいフリルがついていた。似合っているところが、これまた何とも言えない。

 縁側に座った葉月の膝に、アデルが頬を持たせてころんと横になった。甘えていい相手だという認識らしい。すっかり乾いた髪を撫でながら、まるで子猫みたいだと葉月は思う。

「今日さ、五味先輩のいる横浜の研究所に行ったんだ。アデルと」
「ふうん。五味さんかぁ。軍人だったわよね」
「人の言うことを聴かなくなったアンドロイドがいてさ。あ。他人に言うなよ」
「はいはい。それで?」

「AIシステムで管理者の指示に反抗するってこと自体が、前代未聞なんだ。そんなことになったら、人間なんてひとたまりもないし」
「まあ、そうよね」

「でさぁ、そのアンドロイドとの面談役にアデルが引っ張り出されたんだ。近寄れないようにしてたのに、アデルは接触を重視して拘束を解いたんだよ。そしたら、そいつがアデルを襲いやがった!」

 苛立ちの再燃した夕星に、顔を振り向けた葉月の声が裏返る。

「襲ったぁ?」
「キスしたんだよっ! キスっ!」

 アンドロイドどうしのキスシーンと、それに憤慨する弟という構図。葉月の脳内回路が一瞬スパークする。

「はああ?」
「アデルは逆らわないさ。相手の癒しを最優先するからね。だからって、こんなの想定外だっ!」

 やれやれ。自分の組んだプログラムに翻弄される技術者とは。
 葉月は膝の上のブロンドを撫でながら、夕星に覚られないようにこっそり溜息をついた。
 確かにアデルは可愛い。こんな小さなフリルより、コテコテのゴスロリの方が似合いそうだ。

「まあ。キスしたくなる気持ちは、分からないでもないけどね」
「はあ?」
「なんでもなーい」

 理想の恋人を横取りされて怒髪天(どはつてん)というわけか。これは重症だな。そう思い、葉月は苦笑いを浮かべた。それと共に、ずっと弟に聴きたかったことが頭をもたげる。

「ねぇ夕星。聴いていいかな?」
「ん?」

「アデルって名前。あんたがつけたんでしょ? どういう意味なの?」
「マ……いや、アザーからの造語だよ。他人って意味だ」
「ふうん。母親(マザー)ね」

 即座に返された姉の鋭さに、夕星は言葉を無くした。

朝陽(あさひ)は寂しさを外に出せる子だったけど、あんたは内にこもるものねぇ。何度も言うようだけど、あの事故はあんたのせいじゃないわ」
「ごめん……姉ちゃん」

「ったく。朝陽みたいにサクッと結婚して出て行っちゃうような子はいいけど。わたし、あんたがずっとぼっちで仕事ばかりしてるのが怖かったのよ」
「怖い?」

「心ってものは、長いこと凍らせてたら解凍するのが大変なの。あんたがアンドロイドみたいになったらどうしようって、思ってたってことよ」
「……」
「まあ。この庭を眺められるくらいになったんなら、それでいいわ」
「……うん。ごめん」

 まだ肌寒い夜だが、縁側での贅沢な花見である。桜の枝越しには、細い三日月が華を添えていた。

「いい月夜ね。あんたの星……金星はもう見えないっか」

 葉月の言葉に、膝の上のアデルが顔を上げると問いを向けてきた。

「金星? 夕星は金星なの?」
「夕方や明け方になると見える星だからよ」

 澄んだアクアマリンの瞳に葉月が微笑みながら答えると、アデルの愛らしい唇からサラサラと知識の欠片が漏れ出てきた。

「ああ。内惑星だものね。明けの明星とか宵の明星って言われてるね。光をもたらすものとか、ルシフェルとか。そっか。『ゆふづつ』って枕草子に出てくる言葉だね」

 瞬きをした葉月が夕星に顔を向けた。

「夕星。アデルのデータ量って、どれくらいなの?」
「512エクサバイト」
「えくさ? 解るように説明しなさいよ」
「んー。人類が20世紀末までに30万年かけて溜め込んだ情報量が、だいたい12エクサバイトと言われているから、その43倍弱といったところだな」

 話が壮大すぎて説明されてもさっぱり分からない。これだから研究者という職種は……。葉月は思考を投げ出し、膝の上のアデルを再び撫でた。

「まあ、ものすごい量だってことは解ったわ。こんな幼い顔してるのに。新しく覚えることなんて、なにもないんじゃない?」
「いや、問題はそれをどう吟味して出し入れできるかの方だ。アデルに学習させたいのは、心の機微(きび)だよ。人の気持ちを察して、相手の求めるものをどれだけ与えられるかだ」

「ねぇ、夕星。僕は他人なの?」

 管理者が自分の課題を言い終わると同時に、アデルがまた問いを向けてきた。先ほどの二人の会話を聴きながら、疑問を覚えていたらしい。

「ほらみなさい、夕星。アデルが拗ねちゃってるわ」
「えっ? まさか。ただの疑問だろ?」

「ねぇ~アデル。自分を造った人に、他人なんて言われたくないわよね?」
「うん。夕星は他人じゃないよ。僕、夕星が隣で眠ってるの見るの好き」

 心の機微。気持ちを察して相手の求めるものを与える。アデルの学習は、まだまだその域には程遠いようである。

「ち。ちょっとお! どーいうこと? ゲストルームじゃなくて、部屋に連れ込んでるのお?」
「い。いや。ほら、アデルは触れることでヒーリングするわけで。あの……」
「きゃあああああ! もおお!」


 ──20XX年。桜舞い散る3月。

 『other』と『mother』。そして『adieu』。
 アデュー。フランス語で、さよならを意味する言葉。別れの春。旅立ちの春。そして、再生の春を夕星は迎えていた。


  ──第一章 incident 了──

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み