第二話 孤

文字数 1,224文字

 夕星とアデルが向かったのは、終末期ケアを行う療養所(サナトリウム)。その施設に収容されている不治の感染症患者に対してのヒーリングが目的である。
 感染率は非常に低い。都民全てが面会したとしても一人以下の確率である。ただ、羅患(りかん)したら確実に死に至る。
 患者は余命幾ばくもない元陸軍兵士の老人だという。治療ではない。死出の旅に向かう前の最後の癒しだった。

 今回の面談にはもちろん夕星は付き添えない。アデルの視覚を端末に無線リンクさせ、別棟で映像を見ながらの待機である。広い敷地の最も外れに老人は収容されていた。場所を確認してスッと歩を進めるアデルの背中を見送り、夕星は療養所の応接室に腰を据える。

 アンドロイドである。当然のことながら感染などしない。戻ってきたら施設のエアシャワーで洗浄し、念を入れるのであれば会社でクリーンアップをすればいいだけの話だ。今後、ヒーラー型のアンドロイドは、こういう施設でこそ需要があるのでは? という会社の思惑もあった。

 老人は別棟で隔離され孤独に過ごしていた。人間の介護者が訪室するのは必要最小限であり、しかもガスマスクや手袋を装着してのケアである。非情な話だった。だが感染が死に直結する病の前で、人間に出来ることは限られていた。
 スキンシップが得られないかわりに、老人はベッドにテディ・ベアを置いている。かつての恋人の名前で呼び、心が苦しいときは顔を埋め、ときに叫ぶのだ。

 老人の名は吉澤兼人(よしざわ かねと)。いま彼は電動ベッドで隔離棟の温室に出ると、満開を迎えた藤棚の下でうたた寝をしている。
 見事な藤棚であった。濃く薄く高貴な紫のグラデーション。長い花房がゆらゆらと揺れ、漏れさす光が彼とすっかり古びてしまったクマの縫いぐるみを照らしていた。

 ◇

「こんにちは」

 かけられた声に目を覚ました吉澤は、瞬きをするとフッと笑みを浮かべた。安堵と落胆の入り混じった笑み。生きることへの執着と、まだ来ぬ安らぎへの憧憬。
 彼の視界には逆光に透ける藤の花と、それを背にした美しい少年の姿があった。

「驚いたな。お迎えが来たのかと思ったよ。だが君には羽根がない。どうやら天使ではないようだな」
「僕はアデル。四ツ門エレクトロニクス社のヒーラー型アンドロイドです。お話をうかがいに来ました」

 マスクもなくベッド脇に椅子を引き寄せて座る相手。それを見て吉澤の驚きは納得に変わる。そうかアンドロイドだからな。しかし、こんな柔らかな印象のアンドロイドは見たことがない。

「触れてもいいですか?」

 求めて止まなかった望みが差し出された。戸惑いながらも首肯した相手の手を取ると、水底を思わせる瞳が細められる。

 触れた先からアデルは相手の体調を読み解く。バイタルサインは安定している。死に至るウイルスは吉澤の肺に巣くっているが、会話は十分に出来る。むしろ相手は会話を望んでいるようだ。

「素敵な藤棚ですね」

 暖かな午後。人間という神が創造した天使が、過ぎ行く春の陽をうけて微笑んでいた。


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