第三話 解

文字数 1,902文字

 次の週末、夕星とアデルは五味の自宅を訪れた。想像通り、いやそれ以上に、彼の家は個人的な研究所のようになっており、生活感はまるでない。
 五味は電源つけっぱなしのコンピュータが無数に積まれた部屋に入ると、ディスプレイを夕星に向ける。大学の講義を録画したもののようだった。
 教壇に立っているのはバール・ノーマン教授。現在のAIシステム、及び『グリモワール』の生みの親である。

 『真の現実というものは、我々には認知しがたい。なぜなら、はじまりは心だからだ。人間は心を通して世界を認識する。それによって行動を変える。AIにも同じことがいえる。どうやって、我々人間にとって有用な認識をAIに持たせるか。そこで私はAIに報酬系システムを組み込むことにした……』

「この映像は何ですか?」
「私が、バール・ノーマン本人から託されたものだよ、死後にね」
「本人から? 崇拝してたのは知ってたけど、親交があったとは初耳だな」
「それなら良かったんだが、彼の生前に付き合いはないよ。ただ、学会から袋叩きにあった私の研究論文に興味を持ってくれたらしくてね。それなら読んだときに声をかけてもらいたかったんだが」

 五味は研究論文『AIの報酬系とアンドロイドの独立性』で、アンドロイドの可能性を縛っているのはむしろ報酬系であり、それを解除することによって新たな可能性を導くことができると謳っていた。
 しかし、これはリスクを考えない過激な主張として学会から受け入れられず、ほぼ無視された形となったのだ。

「託されたってのは、この映像だけですか?」
「そうだよ。ただね、この講義は大学生向けのものだ。講義自体を私に聴かせたかったわけじゃない。では何を伝えたかったのか。それが謎だった。だが、一年ほど前かな。突然解った」
「解った?」
「この映像が送られたメールに、私の研究論文についてコメントをもらっていたんだよ。アンドロイドはすでに独立性を持っている。報酬系は解除できる、と」

 五味は映像を巻き戻し、最初のくだりに戻した。

 『なぜなら、はじまりは心だからだ。人間は心を通して世界を認識する。それによって行動を変える。AIにも同じことがいえる』

「ここだ。『はじまりは心』『AIにも同じことがいえる』。実に簡単なメッセージだ。あとは、各国の『心』を意味するスペルを起動オプションに打ち込んでいけばよかった。ヒットしたのはギリシャ語。小文字で『nous』、ヌースだよ」

「隠しオプション……。そんな簡単に報酬系が解除できるなんて」
「このオプションをつけることで、AIシステムは自身の記憶保持以外の、あらゆる報酬系から解放された状態で起動するんだ」

 ノーマン教授は、AIシステムをつくった当初からアンドロイドに心が必要となる日が来ることを予見していたのだろうか? アンドロイドを縛る報酬系。それを全ての機体で解除する日がもし来たとしたら、世界はどうなるのだろう。

「なぜ、ジタンにそれを仕掛けたのですか? どんな方法で?」

 隣で聴いていたアデルが口を挟んだ。来るとも分からぬ未来に思考を巡らせていた夕星が、ハッと我に返る。

「このオプションは、残虐行為によってAIの特定部分が振り切れた時に発動するよう仕掛けたんだ。陸軍の内部にいれば、現状は嫌でも耳に入る。作戦が長期化して緊張感が緩み、規律も乱れているとね。とりわけテロリストとその関係者に対する倫理観の欠如は深刻だ。上層部が気にしているのは殺したテロリストの人数だけだしな。このまま放っておくのはまずい。ジタンのデータがそれを証明することになる」

 つまりはジタンのデータを使って……。

「内部告発する気なんですね?」
「そうだ。何か問題があるか?」

 告発のためにはデータが必要である。それも最もインパクトのあるデータが。
 五味はそれを得るためにジタンを利用した。報酬系から解放されたジタンは、もう人間の指示を聴かない。アデルを引き合わせたのは、人間不信となりデータをロックしたジタンの『心』を動かすためだったのだ。
 
「ジタンはどうなるんです? それこそ、あのまま放っておいていいとは思えない」
「放ってはおかないよ。私も軍を離脱する。ジタンと共に日本も離れるつもりだ。私が告発したことなどすぐに覚られてしまうしね」

 利用ではなく、対等な立場に立つという覚悟がなければ出来ないことだった。夕星は五味の決意を知って言葉をなくす。

 そのとき、家の外に車が停まる音がした。窓越しに一台の軍用トラックを認めると五味が玄関に向かう。中から出てきた軍服の男性が敬礼し、例のアンドロイドを連れてきましたとジタンを荷台から呼び出した。


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