第13話 マニアック・チャレンジ
文字数 3,296文字
虫が死んだ、と少女は言った。
何の感情もないガラス玉のようなきれいな瞳で。
僕は思った。人形のようなこの子が笑ったら、それはどんなに愛らしいのだろうか、と。
N高校はテスト期間中だ。午前中で終わり。
だから、さみは日課のジョギングを午後にすることにしている。
もちろん家に帰って、ご飯を食べて勉強をしてから体をほぐす意味もかねてね。
僕はバット。さみのウェストポーチについている毛玉のマスコットさ。
さみが魔法少女ミラクルらぶりんとしての力を取り戻したから、僕はいつでも元の姿に戻れるんだけど、なんとなくこのまま。もう8年もこうだから慣れちゃった。
そうして過ごすこと、テスト期間最終日。
なぜ、お前はいつもいる、
なんか初日にたまたま会ってから、気がつけば5日目。
コースがかぶるから、ふたりは一緒に走っている。
身長差があるんだから
さみがシャワーを浴びている間に僕は元の姿に戻るとスマホを取り出して、マスクドオーブからの連絡がないかを確かめた。トォバァジャに新たな動きはないようだ。
思い返せば8年前。トォバァジャ率いるクッカドゥが暴れていた時、町のスーパーから牛乳を消す、とかやっていたランバルンやマナーの悪い花見客を桜の木に襲わせていたオーンなどと違いトォバァジャの作戦はまさに邪悪。
仮面ライダーで例えるならショッカーなみに人類に甚大な被害を与えるものだった。
もちろんこれは成功していたら、の話。
魔法少女ミラクルらぶりんが、みんなを守っていたんだ。
魔法少女はみんなの天使。だから僕は言わなくてはならない。
さみがバスルームから出てきた音がする。僕は魔法空間にスマホをしまった。
「バット! 元の姿に戻れたの!」
「君の魔法の力が強くなったおかげだね! ありがとう、さみ」
ルームウェアのゆるめの半袖に半ズボン姿のさみはにこりと微笑んだ。
やっぱり君は天使だ。
だから、僕は言わなくてはならない。
「さみ。
「え?! テストはもう終わって明日は土曜だから朝から走るし……」
夏休みもくるから、もう会えないかな、とはにかむ彼女はどこか寂しそうだ。
「さみ。
さみはびっくりして顔を赤くした。
ごめんね、さみ。
「『ラブカウント』は発動させた相手、つまり君に欲情した相手が君にふれると君は興奮、ドキドキしてしまう。だからね、さみ」
はっとしたさみに僕は続けた。
「君が
ひと息で言った僕は大きく深呼吸をして静かに優しく語りかける。
「君の気持ちは幻。錯覚なんだよ、さみ。本当の気持ちじゃない。さみ。前にも言ったけれど、恋はひとりでするものじゃない。君の本当の気持ちはどうなの?」
さみの見開いた瞳の端に涙がにじむ。
ごめん、と言い残して彼女は洗面所に向かった。
泣き顔を僕に見せたくないんだろう。
なんていじらしいんだろう。
……ん? 今、何かきこえたような。
僕は洗面所にパタパタと羽根を動かして向かった。
鏡の中に見えるのは泣きそうな顔の私。我慢していたが、ぽろりと涙がこぼれてしまう。これ以上、泣かないように慌てて顔を洗うと服を濡らしてしまった。自分の間抜けさに笑ってしまうと気持ちが軽くなる。
Tシャツを脱ぐと鏡の中に下着姿の自分がうつる。今まで色んな格好をさせられたなぁ……。短すぎる制服とか、紐みたいな水着とか。
〈カウント・スタート〉
え?
〈スリー〉
なになに!?
〈ツー〉
どういうこと?
〈ワン〉
ここにはーー
〈ゼロ〉
私しかいないのに!
僕がノックをすると洗面所の中から、さみの苦しそうな声がする。
これはーー。
「さみ!」
がらりと戸を開けると、さみは上は下着姿で床に座りこみ、紅潮した頰で切なげな息をもらしている。
「どうしたの!? どうして、ラブカウントが発動しているの?」
さみはわからない、というように首を小さく横に振ると、びくりと体を震わせた。
「あっあっあっ! やぁっ!」
さみは太ももを強く擦り合わせて浅くて熱をおびた吐息をもらす。
「さみ! 早くここから出るんだ!」
僕はさみをひっぱろうと彼女の手をつかんだ。これがいけなかった。
さみと相棒の僕は一心同体のようなもの。つまり、自分にふれられているも同然。さみは体をのけぞらせて大きな声をあげると、ぐったりと床に倒れた。
倒れてもなお切ない吐息をもらし時折、歯を食いしばって苦しげな声をもらす。僕は慌てて彼女の手を離した。
「さみ! 大丈夫かい? なんとか外に出るんだ」
さみは焦点の定まらない目で、はうようにして前に進もうとした。少し動くたびにびくん、と体を反らせてはぐったりとする。
「さみ! 頑張るんだっ!」
さみの指先が洗面所の外に出る。
「あと少しだ! 頑張って!」
「やぁだぁっ! もうだめぇっ! またっ……あっあっ!」
えぇいっ! こうなったら仕方がないっ!
「さみ、ごめんね!」
僕はさみの指をぐっとつかむと力一杯、彼女をひっぱった。
マンション中にきこえるんじゃないかという声をあげて、さみは廊下に出る。
〈カウント・エンド〉
よかった。
けれど、さみはまだ廊下に倒れたままビクビクと体を震わせている。
またシャワーを浴びなくてはいけないだろうな。ずいぶんと汗をかいたから。
リビング兼ダイニングのテーブルで紅茶を飲みながら僕は改めて思う。
ラブカウントは恐ろしい魔法だ。
さみはどうしてかはわからないが自分でラブカウントを発動させた。
そうすると敵はすなわち自分。
自分が刺激をあたえるたびに興奮してしまう。そう、それはたとえ衣服だったとしても。
シャワーを浴び終わったさみがやってくる。気まずそうな彼女に僕は何も言わずに紅茶を用意した。
さみはありがとう、と口をつける。
「さみ。あんまり自分で強い刺激をしてばかりだと、いざって時に困るかもしれないよ?」
さみが噴き出した紅茶を浴び、僕もシャワーを浴びることになった。熱い。
「木火土金水!」
祖父の言葉を復唱し彼は姿勢正しく頭を下げる。顔をあげた彼は首を傾げる。
「いっつも言うけれど、どんな意味があるの?」
「この世の力の流れだ。
相変わらずわからない答えが返ってきたが
「おこづかいが、もっと欲しいから金がいいなぁ」
「勉強を頑張りなさい。テストでいい点をとったらあげよう」
「ありがとう、おじいちゃん」
孫の笑顔を眩しく思いながら
自分はこの子をとめられるだろうか、と。
続く
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