第1話 カウント・スタート

文字数 2,218文字

 季節は春。桜の花びらが舞い散る道。
校門までの桜並木はN高校の名物だ。
ブレザーの制服を身につけた生徒たちは春の陽光の中をはじけるような笑い声をあげて校舎へと向かう。
その中を三つ編みおさげに黒ぶちメガネをかけた女生徒、さみはうつむきながら歩いていた。
さみの転校回数は123回。彼女の通える高校は、もはや数えるほどしかない。
地味に目立たず慎ましく。
今日も訓戒を胸に、さみは校門をくぐった。


 ひっそりと、目立たないように今日も1日を過ごす。放課後になると、ほっとする。
今日は日直だったから、あとは日誌を書いて終わり。ホワイトボードの隅に書かれた私の名前を見ても誰も何の関心もよせない。
指定カバンについた、ややおおぶりなぬいぐるみのキーホルダー。これ以外は本当に何もない。誰の何の興味もひかない、ごくごく平凡な女子高生。そう、それが私。
そうでなくてはいけないのが私。
カバンのもこもこの毛のかたまりのような、ぬいぐるみには、つぶらな赤い目がふたつ。その下には動物らしい口の形。
ぱっと見はかわいいかもしれない。ぱっと見、いや、見るだけなら。

ぱかりと、ぬいぐるみの口が開いて話しだす。

「ねえ、さみ。さみしくないの?」

私はあたりを見回して小声でぬいぐるみにこたえた。

「それってダジャレ?」
「違うよ。僕はいつもひとりぼっちの君を心配しているんだ。なんていったって君はー」

誰もいない静かな教室にぬいぐるみのかわいらしい声がよく響く。

「『魔法少女ミラクルらぶりん』なんだから」
「やめてぇぇぇっ! その脳がとろけそうな名前!」

私は耳をふさいで、ぶんぶんと頭をふった。
よみがえる記憶。刻まれている黒歴史(ブラックヒストリー)
そう、私は魔法少女だったのだ。
このぬいぐるみは相棒のバット。
当時の私はふっわふわの広がったスカートにきらびやかな衣装を身につけて、そしてステッキを手に持っていた。
今でも少女の私はもっと幼い少女だった頃、魔法を使って悪の組織クッカドゥと戦ったのだ。そしてクッカドゥを無事に倒すことはできたが、それと引き換えに私は魔法の力を失った。はずだった。
だけどー。

がらり、と教室のドアが開く。突然のことに驚いて振り返ると同じクラスの笹賀内(ささがない)太郎丸(たろうまる)君がいた。
少し染めているのか茶色い髪に涼しげな目元。笑うとはにかんだような笑顔がクラスの女子を夢中にさせている。
……私だってもちろん、そのひとり。
猿みたいなほかの男の子たちと違って、地味子(じみこ)の私にもいつも優しくて紳士なのだから。
太郎丸君は私にさわやかな笑顔を向ける。

時野(ときの)さん、どうしたの?」
「きょ、今日! 日直だから!」

話しかけれらて思わず声が裏返ってしまう。ああ、地味子(じみこ)の上にきもい。

「そうなんだ。俺も帰るところなんだけど、一緒に行く? 職員室」
「う、うん!」

太郎丸君と一緒に歩けるなんて! さみ感激!
私は日誌を手に持つと顔がにやけないように気をつけながら彼について教室を出た。


 廊下を歩きながら太郎丸君が話しかけてくれる。廊下には誰もいない。バットをのぞけば、ふたりきり!
たわいもない今日の授業のことなんだけど彼の低い声にどきどきがとまらない。もうすぐ職員室についてしまうのが、うらめしい。もっと彼と話したい。
でも残酷なことに私は日誌を出しに別れなければいけない。あーあ。
じゃあ、と太郎丸君に別れを告げて、ひとり寂しく職員室のドアをノックしようとした。

「あっ!」

舞い上がっていたせいか日誌を落としてしまった。拾おうとかがんだ、その瞬間。
悪魔のような、あの声がきこえてきた。

〈カウント・スタート〉

私は頭が真っ白になった。
これは後遺魔法、クッカドゥの首領トォバァジャが最後に私にかけた魔法。
「ラブカウント」。
誰かが私に対して欲情すると発動する。
そしてー。

〈スリー〉

ちょっとまって。発動したってことは……。


〈ツー〉

誰かが私に欲情したってことで……。

〈ワン〉

その誰かって……。

〈ゼロ〉

私はまばゆい光につつまれる。
光がおさまると私は悲鳴をあげた。
スカートが短くなっている、というかほとんどパンツの丈!
ブレザーのはずの制服はセーラー服に!
それも胸元が開きすぎて谷間が見えている!
指定の黒の靴下は白のハイソックス!
顔を隠しているメガネはないし結んでいた髪はほどけていた。
私は前かがみにポーズを決めて上目使いに太郎丸君を見る。

「ま、魔法少女ミラクルらぶりん……」

ここまでがトォバァジャにかけられた魔法なので私の条件反射、パブロフの犬ではない。決して私がパブロフってるわけではないのだ。
太郎丸君は口をあんぐりと開けて私を見ている。そりゃそうだ、地味子(じみこ)がいきなり痴女子(ちじょし)になったら驚くよね。ばいばい、私の初恋。あなたも猿だったのね。
さっきから私の胸の谷間に目が釘づけだし。
私は握りこぶしをつくってかまえた。

「ミラクルぱ〜んち!!!」

太郎丸君にクリーンヒットしたミラクルぱんちは彼の意識を奪った。
これは別に魔法じゃないんだけど魔法の力を失った私が身につけた物理魔法だ。
さて、どうしよう。
私はバットと顔を見合わせた。



続く
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