第8章 海図を持たない船乗り

文字数 2,678文字

第8章 海図を持たない船乗り
 イラクに限らず、合衆国政府は、紛争・衝突があると、つねに一方を経済的・軍事的に支援し、対立を煽っている。アメリカの外交方針は孤立主義とイデオロギー外交である。アメリカは「国益」目的で他国へ干渉しないが、「自由」と「民主主義」という公益のためには、そうすることもやむをえないというわけだ。この公益という文化普遍主義が世界を混乱に陥れている。ジョージ・W・ブッシュ政権のイラク攻撃に向けた動きもこの延長にある。一七七六年、封建制を経験しないまま、アメリカ合衆国はイギリスから独立して以来、中世の影に対し、この公益を振りかざす。アメリカ合衆国は中世を憎むと同時に、その欠落感から、ケネディー・ファミリーを「ケネディー王朝」と見なしているように、自らの中に「中世の秋」を作り出し、やりすごそうとしている。対テロ戦争がいつの間にか対イラク戦争へとすり替わり、一方で、新生アフガニスタンはハリド・カルザイを暫定行政機構議長として二〇〇一年十二月二二日に発足し、二〇〇二年六月二十日に正式にカルザイが大統領に就任したものの、カルザイ大統領に対する暗殺計画は後を絶たず、アメリカ軍が彼をガードしなければならない状態に陥っている。ジョージ・W・ブッシュ大統領は、父親の忠告も聞き入れず、イラクをイラン・北朝鮮と並ぶ「悪の枢軸(Axis of Evil)」であると非難し、「盲動主義(Reckless Adventurism)」と「英雄主義(Heroism)」に走っている。国際情勢の変化に応じて、その勢力に対する支持を打ち切り、場合によっては、敵とさえ見なしている。「京都の古い人に、家の前に水を撒く心得を聞いたことがある。隣まで撒いてしまうのは、お節介でいやみである。自分の前だけを撒いて責任を果たすというだけでは、冷たいし自己本位に思われる。さりげなく、つい撒いてしまう程のよさがいるのだそうだ。しかも、そのボーダーは、隣との関係で決まり、ときに揺らぐらしい」(森毅『会社も家庭もボーダーレス』)。ボブ・グリーンはジョージ・W・ブッシュ大統領を「海図を持たない船乗り」と呼んでいるが、アメリカの外交はつねにそうである。戦後、米軍による解放の神話をつくるために、アメリカは、第二次世界大戦中でも、フィリピンにおける抗日人民軍フクハラバップのゲリラ戦を妨害している。また、一九五六年、「米軍基地という魔物(マジモノ)退治」が口癖の瀬長亀次郎が那覇市長に当選すると、米軍は市の資産を凍結し、彼を追放している。テロリズムはある政治権力が思惑により育てた勢力が、逆に、その権力を脅かすことになる状態、ブロー・バックである。オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしているが、彼らは過去の日本政府の政策が育ててきた存在である。アフガンでアメリカが戦っている相手は敵ではなく、過去の自分たちの政策である。

 ちなみに、「十三日の金曜日」がキリスト教世界では不吉と見なされているが、それは一三〇七年のテンプル騎士団の悲劇に由来する。十字軍として、フランスはテンプル騎士団に資金を提供していたが、その隆盛に脅威を覚えたフランスのフィリップ四世はテンプル騎士団を粛清する。その日以来、そういう言葉が生まれている。ブロー・バックが、ある意味で、政治の常であるとしても、テロリズムはそこに国民国家が絡んでいる。

 ところが、懲りずに、アメリカは、九月十一日のテロでも、大きく外交姿勢を切り替えている。チェチェンやチベットに対する人権抑圧を非難していたロシアや中国にアフガンへの軍事行動を容認させている。また、アメリカはテロリスト支援国家を「ならず者国家(rogue states)」と呼んでいるが、そのならず者国家のイラン、スーダン、シリア、キューバに協力を要請し、パレスチナ問題でも、停戦継続合意をイスラエルとパレスチナの双方に約束させている。さらに、滞納し続けていた国連の分担金の内、二〇〇一年度分の五億八千万ドル支払い、核実験を強行したためにインドとパキスタンに科していた経済制裁を解除し、事実上、核保有を追認している。

 すべてを合衆国の失策のせいにするとしたら、それこそ短絡的であろう。国際社会は、時として、アメリカを孤立へ追いやってきたことも事実である。国際連盟を提唱しておきながら、結局、加盟せず、失敗に追いやり、イラク危機のために、国際連合を事実上の破綻に追いやろうとしているとしても、アメリカのみに罪を負わせるのは自己弁護にすぎない。アメリカだけでなく、多くの国家が、目先の利益や思惑にとらわれて、テロリズムに対する十分な方策を打ち出すことを怠ってきたからだ。

 しかしながら、アメリカには他国と違う重責を担っている。それは軍事力による世界の警察官を果たすことではない。国際的な基軸通貨であるドルを発行しているという責任である。テロリズムを生み出す温床に貧困があることは確かである。複雑で詳細なその責任を果たすことをアメリカは気がすすまないように見える。

 二〇〇二年四月に「外交政策って何だかいらつくなあ(This foreign policy stuff is a little frustrating)」とジョージ・W・ブッシュ大統領は言ったらしいけれども、合衆国政府は交渉というものを誤解している。彼らは交渉に際して五分五分では敗北と考えているが、彼らの交渉に対するそういう姿勢が世界を不安定にさせている。

 森毅は、『ボクの京大物語』において、一九七〇年代の当局と全共闘の団体交渉を例に、交渉について次のように述べている。

 団交は、当局と学生が五分五分になると、当局の勝ち過ぎになる。メンツは別の問題として、五分五分だと、なんといっても制度を持っているのは当局だから、勝ち過ぎてしまう。四分六分でも当局に有利な展開。三分七分だと全共闘に有利。全共闘が八分になると、今度は全共闘が勝ち過ぎて、あとの処理が彼らの手に余ってしまう。だから、当局は四分六分を狙い、全共闘は七分三分を狙い、そのあたりでやり取りをする。四分六分で当局が負けるというのが当局に有利だと思う。

 合衆国は世界最大の軍事力を持ち、ドルを発行し、英語によるメディアも握っている。その合衆国が交渉に際して、「五分五分」の結果では「勝ち過ぎ」である。「四分六分」の結果でも、事実上、まだ勝っている。合衆国は交渉において勝つのではなく、負けることで世界が安定に向かうことを認識しなければならない。
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