第11章 戦争ジャーナリズム

文字数 3,807文字

第11章 戦争ジャーナリズム
 戦いでは情報が重要である通り、近代ジャーナリズムは戦争と共に発展する。メディアは戦争によって視聴率や販売部数が伸びる。米西戦争のイエロー・ジャーナリズムだけでなく、『朝日新聞』は、日清・日露戦争を通じて、販売部数を伸ばしている。ジャーナリズムは、読者や聴視者、視聴者に受け入れるため、センセーショナルにナショナリズムを扇動する。その際、物事を二項対立の図式によって把握する。日本のあるニュース番組で、自衛隊の艦船に護衛されてキティホークが横須賀湾から出航する際に、リヒャルト・ワーグナーの『ワルキュレー』をBGMとして流している。ジャーナリズムは近代に発達したのであり、このように国民国家やテロリズムと同じ基盤を持っている。

 二〇〇一年十月二三日付『朝日新聞』の本田雅和の署名記事によると、アフガン内で、取材の実態。タリバンが支配するカブールには外国人記者は入れないため、避難してくる人たちから聞くほかない。難民の中には高額の謝礼を要求するものもいる。あるイギリス人記者は札束を示し、「カブールの様子を話してくれ」と頼んでいる。北部同盟の外務省高官の月給が七ドル程度である。空爆以後、車両の借り上げが一日で八十から百ドル以上、通訳は一日三十ドル以上、空爆以前の三倍以上にも高騰している。入国ビザは三ヶ月三十ドルが百ドルに跳ね上がっている。特に、十月に入ってから、値上がりが激しい。国境からジャブルサラジまでの車両代金は通常の二倍を超える千二百ドル以上に上がり、運転手はそのうち二百ドルを北部同盟に上納している。通行料を要求する兵士も少なくない。

 カブールの北三十キロ付近にあるバグラム空港の前線では、指揮官が「対空高射砲を撃つのを見たいか」と尋ねると、何人かのカメラマンが「イエス」と声を合わせると、高射砲から数発実弾を発射させている。しかも、シャッター・チャンスを逃したあるカメラマンが「もう一回」と指揮官に求めている。指揮官がジャーナリストに「戦闘を見たくはないか」と尋ねることも珍しくない。また、あるアメリカ人カメラマンは「戦闘場面を撮りに来たんだ。平和な農村風景の絵葉書写真はいらない」と同僚を怒鳴っているし、パキスタンに派遣された日本のテレビ・クルーも日本から「もっと過激な場面、もっと民衆が怒っている場面を撮れ。絵になるものを送れ」と要求されている。それどころか、日本のある民放のディレクターはテロと空爆のおかげで、担当番組の視聴率が上がっていると喜んでいる。

 本田雅和はこのような状況を紹介した後、記事を次のように閉めている。

 こうした記者の集団としての存在は、人身を荒廃させ、経済を破壊し、ときには戦闘をあおることにさえなっていないだろうか。が、同時に、現場にいなければ見えないものは多い。私たちは暗闇の中で手探り状態だ。

 本田雅和の感想はジャーナリズムの扇動性の秘密を逆説的に示している。それはジャーナリストたちがinvisibleな現実をvisibleにせずにはいられないという点である。その転倒性がジャーナリズムを視覚的テロリズムへ走らせる。彼らは「暗闇の中」ではなく、光の中で、明かりを探さなければならない状況に置かれていることを見逃している。「ジャーナリズムの役わりを、世論をリードするとか、時代の流れを読むとかいうのは、今の時代にそぐわない。そうした一つの方向へしぼりこむのではなくて、世間の見方をひろげ、時代のまだ不確かなものを感じさせることのほうが、ジャーナリズムには望ましい。しぼりこむことよりも、ひろげること」(森毅『政治とジャーナリズム』)。

 少なくとも、日本のジャーナリストはオウム真理教による地下鉄サリン事件に直面した際、そのことに気がつくことができたはずである。ところが、彼らは、六年経っても、村上春樹的認識に安住してしまっている。村上春樹の『アンダーグラウンド』は、地下鉄サリン事件に遭遇した被害者と遺族、医師、精神科医、弁護士などからのインタビューを集めている。村上春樹は、『アンダーグラウンド』でも、地下鉄サリン事件に関する最大の疑問を「一九九五年三月二十日の朝、東京の地下では何が起こったのか?」だと述べている。「『こちら側』=一般市民の論理とシステムと『あちら側』=オウム真理教の論理とシステムとは、一種合わせ鏡的な像を共有していたのではないか」、すなわち「われわれが直面することを避け、意識的に、あるいは無意識的に現実というフェイズから排除し続けている、自分自身の影の部分(アンダーグラウンド)ではないか」。日本社会では、三十八度線のように、諸問題がvisibleではなく、invisibleである。光と対比される闇といった明確なinvisibleさではなく、明かりの中の光のごとく曖昧なinvisibleさである。「長さのあるのは、三十八度線のように、人為的に作った一次元の線だけ。自然はフラクタルを好む」(森毅『「米君基地」「海外シフト」「フラクタル」』)。オウム真理教は、隠れるように、地下で活動していたわけではない。東京都に認可された宗教法人であり、国政選挙にも立候補者を立てた通り、彼らは闇の集団ではない。実際、オウムのテロリストは、奥行きを照らし出さない白い輝きの蛍光灯の光の下で、サリンをまいている。東京オリンピックまで、確かに、闇はあったが、以降、闇は消失している。闇は蒸気機関の時代において存在し得る。夏目漱石の『坑夫』が物語る通り、炭鉱に象徴される闇は光から排除された者が辿り着く場所である。しかし、石炭から石油へと生産手段・生産様式が転換していった高度経済成長は風景を次々に作り変えていき、闇も消されていく。『アンダーグラウンド』の中で、「地下の世界は私にとって、一貫して重要な小説のモチーフであり、舞台であった。たとえば井戸や地下道、洞穴、地底の川、暗渠、地下鉄といったものは、いつも(小説家としての、あるいは個人としての)私の心を強くひきつけた」と告げている。テロはメディアに訴えてその目的を達成するが、地下鉄サリン事件はテロの意図が不明確であり、ただ陰湿さだけが強調されているだけである。陰湿さという日本社会の特性が生み出したテロであって、それを地下の世界と結びつけて理解しようとすることは極めて反動的かつ自分勝手な認識でしかない。現代の不可解な事件や出来事を考える場合、闇という視点から離れなければならない。「『心の時代』などと言われると、どうも時代とずれているような気がしてしまう。魔法の杖みたいな心という物体があって、それで万事解決するというのは幻想ではないかと思う。かつて『革命バブル』の時代があって、革命で社会が変わると思われたが、それは浅間山荘事件で幕を閉じた。『心バブル』の時代はオウム事件で幕を閉じたと思っている。今は、ポスト・オウムの時代の心を考えねばなるまい。心は万能薬ではない。心を前提にするのではなく、心の風景への感受性が問題ではないだろうか」(森毅『心の場の気配』)。

 そもそも地下の世界がなくなったからこそ、川口浩が登場ている。一九七七年七月二十日、「そして、われわれはついにその瞬間を見たのであった!」のナレーションで知られる河口浩隊長率いる探検隊『水曜スペシャル』が始まっている。第一回「死の山八甲田山の謎!!映画も明かさなせなかったその真相─地獄の雪中行軍隊199人は何を見たか!?」と翌年一月十八日放映の第二回「地上最大の毒蛇デビルファングを追え!タイの秘境驚異のキングコブラ狩り─幻の大蛇実体VTR完全取材に成功」においては、川口浩は、会場で司会を担当していた。一九七八年の三月十五日放映の第三回「20世紀の奇跡を見た!!ミンダナオ島─人跡未踏の密林に石器民族は1000年前の姿そのままに実在した!」より、登場する。好評のうちに、一九八六年五月七日放送最終回「流水が落日に燃えた─川口浩がんを乗り越え新たな出発」まで続く。水曜スペシャル以外のテレビ朝日の番組に川口隊長と隊員数名が招かれ、司会者から、原人を発見したことに関して、「どうして、その貴重な成果を発表しないのですか」と尋ねられ、川口隊長は「彼らには彼らの生活がある。われわれがそれを乱すことはできないと思ったのです」と回答し、司会者も納得している。当初、川口探検隊の探検行と並行して女性レポーターによる観光レポートが行われ、ヘビ料理などいわゆるゲテモノ料理を食べさせられてキャ-キャー騒ぐというお約束の番組構成をとっている。もっとも、いかなる場合でも、ハプニングはつきものである。嘉門達夫が『行け行け!川口浩!』を一九八四年に発表するために、当人に承諾に行った際、本当に噛まれたという理由で、歌詞の一部を修正して、発売となっている。「川口浩がピラニアに噛まれる 噛まれた手はいったい誰のなんだろ」が「川口浩がピラニアに噛まれる 噛まれた手が突然画面に大アップになる」と変更されている。隊員は全員、青色のジャケットを着用し、その背中には「水曜スペシャル」と白抜きで記され、数々の苦難を乗り越えて、人跡未踏の地に辿り着いた川口隊であるが、帰る時はヘリが飛んできて、ヘリに手を振る川口隊の空撮で番組が終わる。
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