第10章 ゲリラとキャンペーン

文字数 3,248文字

第10章 ゲリラとキャンペーン
 ゲリラとテロリストの区別は重要である。第二次世界大戦中のレジスタンスや戦後の民族自決を目指す解放闘争がゲリラ戦によって行われたことから、一九七七年の「一九四九年のジュネーブ諸条約の追加議定書」において、解放闘争が国際的武力紛争とされ、捕虜となったゲリラに対する人道的保護が国際法上でも、認められている。

 兵力および武器の質と量の劣るゲリラは敵軍との正面衝突を避け、森林や山地、ジャングルなど敵が容易に踏み込めない地域に拠点を設け、住民から要員、食料、居住設備および情報の提供を受けて活動する。ゲリラは自分の国の正規軍または友好国軍から火器や弾薬、医療品、軍事顧問などの支援が得られる場合もある。イギリスの軍人トマス・エドワード・ロレンスは、ゲリラ戦の理論をアラブ対トルコの砂漠での戦闘に応用し、『七本の知恵の柱』で、ゲリラ戦においては機動力と迅速性および奇襲攻撃を重視すべきであると述べている。また、毛沢東は、『持久戦論』を始めとする論文において、ゲリラは民衆と「水と魚」の関係を持続しながら、次第に敵の力を弱めていく持久戦であると説いている。ゲリラ戦の戦術は、敵が予想できない時期・場所で、あるいは弱点に対し不意に攻撃をかける奇襲と撹乱を主体とする。敵の補給施設や駐屯地の襲撃や破壊、巡察隊や車両縦隊の襲撃、交通路の遮断などにより武器や食料を奪い、敵軍を振り回して疲弊させる。迅速に動き回り、小人数に分散して住民の中にまぎれこんだゲリラを捕捉するのは極めて難しい。

 ゲリラ戦という概念はまだなかったが、十二世紀にウェールズ人がノルマンの侵略に対し長弓を使って戦い、国境を死守した頃から、ヨーロッパ史にそれらしき戦術が登場する。数世紀に渡り、為政者に対する農民の反乱には、ゲリラ戦の戦法が頻繁に用いられている。一七九三年から三年間続いたフランス西部、バンデ地方でおこったカトリック教会の支持を受けた農民の革命政権に対する反乱はゲリラ戦である。一八七〇年から翌年にかけて起きた普仏戦争時、ドイツ進攻軍に対して行われたフランス軍狙撃隊の攻撃、一八九九年から三年間続いたボーア戦争におけるトランスバールとオレンジ自由国のイギリス軍に対するボーア人コマンドの襲撃、第二次世界大戦におけるドイツ軍占領下のフランスの対独レジスタンス地下組織「マキ」の活動がゲリラ戦の著名な例である。

 民族自決の動きはゲリラ戦をより戦闘の主役にさせている。一八二一年から二九年までのギリシア独立戦争、一八三〇年代から五〇年代のジュゼッペ・マッツィーニやジュゼッペ・ガリバルディの率いるイタリア統一運動でも、ゲリラ戦が大きな役割を果たしている。十七世紀のブラジルにおけるポルトガル人やオランダ人に対する奴隷の反乱、十九世紀のラテン・アメリカ独立運動指導者シモン・ボリーバルやメキシコ独立の父とされるミゲール・イダルゴが指導したゲリラ戦は、スペインの圧政をはらいのける役割をはたしている。他にも、ヨシフ・ブロス・チトー、ホー・チ・ミン、フィデル・カストロ、エルネスト・チェ・ゲバラなどあげれば数限りない、アフリカの西欧の植民地と少数派の白人支配の国での解放闘争、ニカラグアの反サンディニスタ勢力もまたゲリラ戦の戦術に訴えている。アフガンのムジャヒディンも、むろん、その一つである。

 十九世紀支配的だったのは「戦争(war)」であり、これは各国民国家の常備軍が対峙する。マルクスはそれに対して「闘争(struggle)」を唱えている。しかし、テロとの対峙は国家間の「戦争(war)」ではないし、一対一の「格闘(fight)」でもない。強さと強さではなく、弱さと弱さの対決である。メディアを通じて、お互いに弱さを競い合う。テロリズムをめぐる対峙は「戦闘(battle)」でも、「決闘(combat)」でもない。現代では、すべては「運動(movement)」ではなく、包括的な「キャンペーン(campaign)」である。二十世紀の紛争の主流は「紛争(conflict)」であり、これには必ずしも常備軍ではなく、政治権力の奪取を目標とするゲリラやパルチザンが対峙し、コモンウェルス・ポストモダンにおける戦いの形態である。J・F・リオタールはポストモダンを「大きな物語」の解体と呼んでいるが、それは大きな戦争の解体であり、終わりの無効を意味する。大きな物語の終わりの下では、MDは時代遅れの計画である。むしろ、低強度紛争(Low Intensity Conflict)が主流になっている。これはは内乱、反乱、国際テロなどの破壊活動から軍事力の行使まで範囲が広く、政治、軍事、経済のあらゆる要素をもって実施される武力行動である。LICは第三世界における政治的不安定さが冷戦体制の崩壊を機に頻発している。付け加えると、「FY99米国防報告」では、それを小規模な緊急事態(Smaller-Scale Contingency)の概念の中に組み込んでいる。同時多発テロはinvisibleなLICやSSCこそが現代の危機、conflictであることを示している。テロリズムがこうした国際的な広がりをもって登場した原因の一つに、技術の発達があげられる。武器は小型化し、破壊力を増している。しかも、交通の発達は迅速な攻撃を、通信の発達は敏速な情報交換をそれぞれ可能にしている。その結果、よりいっそう組織の規模が小さくなり、マクロな戦いからミクロな戦いへと移り変わっている。

 さらに、近年の各種のセンサー技術、通信技術およびコンピュータ技術の革新的進歩とこれら3者のシステム化により情報化技術(収集・記録・評価・判定・使用)が飛躍的に進歩している。情報戦(Information Warfare)はこれらの情報活動に関わる戦いを意味し、インフォメーション・テロリズムに対抗するだけでなく、敵に先行して正確な情報を入手するとともに相手に対してはこの情報活動を封じる活動の総称である。広義には、社会全体の情報技術への依存度の高まりを踏まえ、軍事的な分野のみならず、一般国民に対する情報操作や金融、交通システムなどの通信技術に立脚した社会インフラを無力化することも含んでいる。アメリカの国防大学においては、情報と情報化技術が国家安全保障、特に戦争では、その重要性を増し、将来は情報システム主用の戦いになるとの予想に基づいて情報戦争に関する概念を構築しており、情報戦を「情報の支配と制御に関わる戦い」と規定して、本質的に、一つの新しい戦いの分野として捉えようとしている。これは軍事革命(Revolution in Military Affairs)の一環であり、情報戦争の形態として次の七つに区分している。(一)「敵指揮機関の指揮統制力を無力化する戦いである指揮統制戦(C2W: command-and-control warfare)」、(二)「自身の情報活動に必要な情報システムの構築・防護と敵の情報センサー等の使用妨害を図る戦いである情報基盤戦(IBW: intelligence-based warfare)」、(三)「敵の電磁波利用の阻止・妨害を図る戦いである電子戦(EW: electronic warfare)」、(四)「人間の心に情報を注入する戦いの心理戦(psychological warfare)」、(五)「コンピュータ・システムに対するプログラムの破壊、データ盗用を図る等の戦い、および対ハッカー戦を指すハッカー戦(hacker warfare)」、(六)「情報戦争と経済戦争が結合し、経済上の相対優位を獲得するための情報活動上の戦いを意味する経済情報戦(economic information warfare)」、(七)「情報システムを利用しての個人攻撃であるサイバー戦(cyber warfare)」。
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