第7章 ブロー・バックとESS

文字数 2,697文字

第7章 ブロー・バックとESS
 最近までに実行されているテロの方法は、すでに国民国家が行っている。同時多発テロは無差別であり、民間人と軍人を区別していないが、第二次世界大戦中に国家の正規軍が行った戦法である。テロリズムは近代が育ててきた政治思想であり、その時代が続く限り、消えない。ジョージ・W・ブッシュ大統領はテロとの戦いを宣言したが、それはテロリズムと近代との消耗戦を意味している。国民国家は、自らが生み出したもののブロー・バックに苦しめられているにすぎない。

 エドワード・サイードやノーム・チョムスキー、スーザン・ソンダークは、テロの真の原因は合衆国の政策であり、アメリカは自己批判しなければならないと言っている。サイードは、『オブザーバー』に、反米主義は経済制裁によって苦しんでいるイラクの民衆やイスラエルのパレスチナ占領に対する支持といった具体的な介入の蓄積した結果であると書いている。また、ソンダークは、この事件は文明や自由世界に対する攻撃ではなく、アメリカの過去の行動の結果であり、「自称超大国」に対する復讐であると『ニューヨーカー』に寄せている。

 イラクのサダム・フセイン大統領はイラン革命の伝播を食いとめるため、事実上、サウジアラビアの要請を受けて、イランとの戦争を始め、アメリカが経済的・軍事的支援をしている。一九八三年十二月二十日、当時製薬会社社長だったラムズフェルドも、レーガン大統領の特使としてバグダッドに赴き、フセイン大統領と握手している。アメリカ政府がCIAを通じて軍事的・経済的支援を与えた結果、サダム・フセイン大統領は政治的基盤を強固にしている。生物・化学兵器の製造方法も、この時、アメリカからイラクに伝えられたと見られている。

 一九七九年、スンナ派で、バース党の党員だったサダム・フセイン将軍が、辞任したアフマド・ハサン・アル・バクルの後を継いで、イラク大統領に就任する。イラン・イラク戦争は分離独立を掲げるクルド人問題とシャッタルアラブ川領域の国境問題の二つが絡み合っている。そうした背景を無視して、イランのイスラム革命が輸出されることに危機を覚えたアメリカがイラクを支援し始める。イラクを支援したのはアメリカだけではない。中東への足がかりの欲しかったソ連は、イラクに、七〇億ドルの武器を売却しているし、ヨーロッパ諸国も幅広い援助をつぎこんでいる。フランスの核抑止論の推進者であり、イラク支援にもかかわっていたピエール・ガロワは、フランスは、当時、世界第二位の埋蔵量を誇るだけでなく、非常に質のよい石油を持ちながらも、進められていた原子力発電所の開発に、真の目的を知りつつ、手を貸していたと証言している。彼によると、ドイツは、アメリカと共に、後にクルド人の虐殺に使ったとして問題になる化学兵器用の物質を売り渡している。その後、サダム・フセインはクウェートに軍隊を進め、湾岸戦争に至ったものの、彼が政治権力から離れることはない。しかも、ジョージ・ブッシュ大統領は、戦争中から、イラクの体制崩壊から混乱が生じ、さらにその影響が中東全体に波及することを恐れ、サダム・フセイン政権の打倒を望んでいなかい。この姿勢は次ぎのビル・クリントン政権でも基本的には同じである。なのに、合衆国政府はサダム・フセイン政権を打倒しようと画策しているが、すべて失敗に終わっている。

 結局、アメリカの場当たり外交が、ブロー・バックとして、混乱や戦争をもたらしている。「外交というものは、できるだけいろんな情報を知ることが必要だが、秘密の情報を持っていることを威張りたがる人のところへは、良質の情報は入ってこない。秘密をきめこむより、楽しい情報はなるべくふりまき、人をおとしいれる情報はとめてしまうのが、外交のコツである」(森毅『ボクの京大物語』)。

Branch Rickey: You must have guts enough not to fight back.
Jackie Robinson: I’ve got two cheeks, Mr. Rickey. Is that what you want to hear?

 孤立主義を鮮明にしていく合衆国の外交政策はESSから見ても、自滅的になっている。「進化的に安定な戦略(Evolutionarily Stable Strategy: ESS)」は、一つの個体群において、ある行動様式がよく見られ、その他のいかなる戦略もこれに対抗できない場合を指す。この「戦略」は特定の状況下でいかに行動すべきかが、あらかじめその生物にプログラムされている行動様式である。一九七三年、イギリスの生物学者メイナード・スミスは、ゲーム理論を用いて、動物が闘いを抑制する理由をESSとして説明している。スミスは「タカ戦略(Hawk Strategy)」と「ハト戦略(Dove Strategy)」という二つの戦略を提起する。このタカとハトは、同種の個体がとる行動上の戦略を指す比喩であって、「タカ戦略」は全力で戦うこと、「ハト戦略」は手加減して戦うことをそれぞれ意味する。ハト戦略もタカ戦略も進化的に安定となることはなく、個体群は自然選択によってタカとハトが一定の率で混在した「混合ESS」となる。それはタカ戦略とハト戦略の利益が等しくなり、個体数の割合がタカが五八%、ハトが四二%という配分の平衡状態に達する。平衡状態となった個体群ではタカが一〇〇%ではないため、ある程度の闘争の抑制が見られることになる。ESS理論が最もうまく該当するのは、ある戦略のもたらす利益が個体群におけるその戦略の頻度に左右される場合、すなわち個体群において一般的な戦略が不利となり、稀な戦略が有利となる場合である。大部分の個体がどの戦略を採用しているかによって最適戦略が決定する場合にESSは有効となる。東西冷戦崩壊後、ESSを適用しやすい状況になっているのに、ジョージ・W・ブッシュの合衆国は「タカ戦略」しかない。

 ビル・クリントン政権で国防次官補を務めたジョセフ・ナイは、二〇〇二年から始まったイラクに対する国際社会の動向について、「タカ派でもハト派でもない、フクロウ派の必要性を私は唱えている。知恵の象徴といわれるフクロウは、タカのように『多国間の外交など時間がかかって煩わしい』とは言わないし。ハトのように武力行使を頭から否定しない」と述べている。タカ戦略でも、ハト戦略でもなく、「フクロウ戦略(Owl Strategy)」こそが真にESSを実現するのである。
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