第9章 プロクルステスのベッド

文字数 3,817文字

第9章 プロクルステスのベッド
 テロリズムを生み出す歴史的背景は近代、すなわち国民国家と資本主義の発展であり、アメリカやイギリスの指導者がテロリズムを国際社会に対する脅威と把握しているが、これは、ある意味で、正しい。国際社会(international community)は国民国家がヨーロッパに登場し、その均質性を拡大したものだからだ。国民国家と産業資本を背景に、十九世紀ヨーロッパでは、西欧文化を文化の発展の頂点とし、地球上の他のあらゆる社会を発達の遅れた無知で野蛮な社会であるとする文化普遍主義が隆盛を迎える。国民国家と資本主義が世界中に輸出されたものの、実際に訪れたのは中心と周辺がある「世界システム」(イマニュエル・ウォーラーステイン)である。二十世紀を表象するアメリカ合衆国は国民国家ではなく、より正確には、ポスト国民国家、すなわち「コモンウェルス(Commonwealth)」と呼ぶべきであり、「世界システム」はコモンウェルス体制とグローバリゼーションとして理解できる。資本主義と国民国家体制は差別を再生産し、貧困を拡大する。安い原料と安い労働力を求めて、経済圏に組みこむが、政治的に、格差を規定しないと、拡大できない。テロリズムはこうした近代の均質化と矛盾が招いている。アルカイダは、NGOや多国籍企業同様、トランスナショナル(transnational)な組織であり、オサマ・ビン・ラディンは多国籍企業の経営者のようだ。彼らは、結果として、国際社会という概念の矛盾を批判している。テロを撲滅するには、「国際社会」という概念に代わるものを提示しなければならない。

 九月十一日のテロは、合衆国政府だけでなく、さまざまな解放・抵抗運動の団体にも影響を与えている。バスク祖国と自由(ETA)傘下の政党バタスナは、事件直後、犠牲者への哀悼の意を示し、「テロは、将来、平和的な交渉に発展するものでなければならない」と自説を展開している。ETA幹部の一人は、AFP通信に、「同時多発テロがあったからといって、休戦はしない。今後は死者が出ないように心がける」と話している。また、アイルランド共和国軍(IRA)の政治組織シン・フェイン党のジェリー・アダムス党首は、党大会で、「同時多発テロによって改革を目指すわれわれの戦いが汚された」と述べ、あのテロと明確な政治目的を持ったわれわれの戦いとの間とは明確に区別されるべきだと強調している。しかし、IRAは、十月二十三日、武器の廃棄を表明している。支援してきたアイルランド系アメリカ人から爆弾闘争路線の理解を得ることが難しくなったからである。他にも、反グローバリズム、あるいは環境保護を掲げる団体や組織も暴力に訴える手段から転換している。

 一方で、カシミールとパレスチナでは、今回の事件がなかったかのように、先鋭的なグループが爆弾テロを起こしている。南アジアのテロ・ネットワークはアフガニスタン=パキスタン=カシミールとつながり、さらに、これが世界中に広がっている。カシミールの先鋭的なグループの中にはパキスタンの支援を受けているものもある。また、十月十六日、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)の軍事部門アブ・アリ・ムスタファ・ブリゲードがイスラエルのレハバム・ゼエビ観光相を暗殺し、イスラエル政府は、報復として、ベツレヘムなどパレスチナ自治区に軍を進めている。このようにアフガンを支援するだけでは不十分であり、カシミールやパレスチナを視野に入れなければならない。

 テロリズムは政治的目的のために暴力を行使したり、それによって威嚇したりする手法である。だが、政治的動機から見た場合、テロリズムは国家テロリズムと反政府テロリズムに分類することができる。前者は、国家が体制の維持、強化のために反対勢力を封じこめ目的で用いられ、後者は、反政府勢力が権力の失墜や革命的状況の醸成、あるいは権力の奪取を狙ってとられる。テロリズムは特定の敵対者を倒すことが目的である場合もあれば、敵対者を含むより広範囲の人々への威嚇をねらう場合もある。広範囲を標的にする場合には、しばしば無差別な殺戮がなされる。歴史的に、テロリズムは個人的なテロリズムではなく、集団的テロリズムが先である。十八世紀末のフランス革命におけるジャコバン派の独裁は、そうした集団的テロリズムの最初の事例であり、彼らは革命の敵対者を組織的にギロチンに送っている。政治体制としての国家は必ずしも古くない。封建社会から絶対王政へ移行する際に、国王が自らの権力を主権として宣告する。国家は絶対王政において登場した政治体制である。国民国家はその王権を制限、もしくは廃止する。国民国家は神、すなわち権威なき政治体制であり、国家体制が強化されるほど、サディズムである以上、テロリズムが盛んになる。国家の登場によって、あらゆるものが政治的になり、さらに、フランス革命以降の国民国家体制では、権限を政治権力に集中させ、一切が政治から干渉を受ける。国家は自分自身の保身にすべてを費やし、それを阻むものには容赦なく暴力を加える。政治権力だけが殺人を合法化できるのであり、テロリズムは、その政治性のために、正義の暴力として正当化される。正義は公正さへの意志であり、公正さを求める時、最も暴力が公認される。二十世紀に入ると、集団的ないし組織された公正さのための暴力は国家機関を利用し、大規模化する。その典型がナチズムとスターリニズムである。

 この集団的テロリズムという観点から、アラブやイスラム諸国はイスラエルのパレスチナ人に対する暴力こそテロリズムであると主張している。テロの定義は政治的な問題である。国連におけるテロ問題協議の争点はパレスチナの反イスラエル闘争の位置づけである。イスラム諸国では、パレスチナ人の闘争はテロに含まれることはなく、イスラエル軍の戦闘行為こそテロという認識で一致している。リビアのドルダ国連大使は、二〇〇一年、国連総会のテロ撲滅討議の場で、「パレスチナ人は占領や財産の没収というテロ行為の犠牲者」であり、「占領がなくならない限り、テロの解決にはならない」と演説している。マレーシアやサウジアラビア、イランなども、安保理の「テロ包囲網強化決議」を履行する上で、テロと「外国の支配下にある人々による民族解放闘争」は違うと主張している。国連決議を無視して、ヨルダン川西岸やゴラン高原を占領し続けているイスラエルに支援し続けてきただけでなく、ジョージ・W・ブッシュ政権は中東和平に関して不関与政策を示す。エルサレムのアメリカ領事館前で、九月十二日、“TERROR IS OUR COMMON ENEMY”と書かれたプラカードを手に、パレスチナ人の子供たちが犠牲者を追悼している。しかも、パレスチナの子供は大人にこう尋ねている。「世界中どこでもみんなこんなふうに暮らしているの」。一九八二年、イスラエル軍に支援されたレバノンのキリスト教右派勢力は、ザブラーとジャティーラのパレスチナ難民キャンプで、約二千人を虐殺している。当時のイスラエル国防大臣はアリエル・シャロンである。また、その六年前の一九七六年、ベイルート郊外のタツル・ザアタルの難民キャンプを同じ右派勢力が半年間封鎖・包囲し、集中砲火を浴びせ、住民二万人のうち約四千人を殺している。イスラエルのパレスチナ自治区への姿勢は「プロクルステスのベッド(Procrustean Bed)」にほかならない。これは人が無理に従うように強制される制度を指すが、プロクルステス(Procrustes)はギリシアの伝説の中に出てくる追い剥ぎである。ギリシア神話のプロクルステスは、旅人をベッドの寸法に合わせ、それより背が高ければ足を切り、背が低ければ引き延ばしたと言われ、古来、プロクルステスのベッドは他人や物を不自然な枠に杓子定規に押し込むことをいう意味で使われている。

 二〇〇一年六月下旬にガザ自治区で「殉教作戦」を実行したイスマイ-ル・アルマサワビ-は、「同胞への遺書」において、次のように書いている。

同胞たちよ。私は不帰の旅に出ることを決めました。この虫の羽ほどの価値もなく、影のように消えてしまう楽しみの少ない世界に戻ることはないでしょう
偉大なるアッラーが私を受け入れ、預言者や信仰者、殉教者、善行者とともに真実の座を与えるようにお願いしています。
アッラー、私は魂と体を差し出すことに戸惑いはありません。アッラーがそれを受け入れることを祈念します。
私は武器をとって、殉教者の道を進み、ユダヤ人が私たちの息子たちを毎日殺しているように、彼らに破滅と破壊を味わわせるでしょう。

この痛々しい遺書は石川啄木が記した次のような心情を想起させる。

われは知る、テロリストの
悲しき心を──
言葉とおこなひとを分かちがたき
ただひとつの心を、
奪われたる言葉のかはりに
おこないをもて語らむとする心を
われとわがからだを敵に擲げつくる心を──
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり

果てしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて
そのうすにがき舌触りに
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を
(『ココアのさじ匙』)

やや遠きものに思ひし
テロリストの悲しき心も
──近づく日のあり
(『悲しき玩具』)
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