第3章 マクルーハンの戦争

文字数 5,886文字

第3章 マクルーハンの戦争
 アルカイダのメンバーはもともと自国の政府に対する反体制的な活動をしていたが、アメリカという共通の敵を持つことによって、連帯している。アメリカは、むしろ、彼らにとって、仮想敵である。同時多発テロはテロリストにも敵がinvisibleであることが明らかになっている。パレスチナ人にとって、敵はvisibleである。それはイスラエルの軍隊であり、警察にほかならない。九月十一日のテロリストはウォール街とペンタゴン、ホワイトハウスを狙っていたと見られている。アルカイダは二十世紀に対してテロを仕掛けている。テロリズムとの戦いは目に見えない敵との戦いであると言われているが、テロリストにとっても同じであろう。現代社会において敵はinvisibleである。テロリストは敵をアメリカに象徴させ、さらにツイン・タワーやペンタゴン、ホワイトハウスにアメリカを象徴させている。オサマ・ビン・ラディンは、十一月十日付のパキスタンの英字新聞『ドーン』に、九月十一日の攻撃は女性や子供を標的にしたわけではなく、真の目標はアメリカの軍事的・経済的象徴であり、敵がイスラムの領土を占領し、一般市民を盾に使っている場合、市民を巻き添えにしても、敵への攻撃は許されると語っている。目に見える形で訴える必要に迫られて、テロも考えられている。

 九月十一日のテロは、同時多発であることにより、そのテレビ依存性を強調している。マーシャル・マクルーハンは、『メディアはマッサージである』において、テレビ画面の映像を二次元的なモザイクになぞらえている。モザイクは均一的、連続的、反復的な特徴を持っていないので、その視覚的構造は直線的なブレーク・スルーを目に許さないと言っている。テレビの「同時多発性(All-at-Onceness)」、すなわちイメージや情報をさまざまな場所・時間から送信する能力によって、世界の「地球村」への収縮が促進される。テロ・グループはそれをアイロニカルに実現している。しかも、「高層建築(High-Rise)」はマクルーハンの『メディアの法則(Laws of Media)』における重要なメタファーである。マクルーハンはメディアには「拡張(Extension)」・「衰退(Obsolescence)」・「回復(Retrieval)」・「反転(Reversal)」という四つの法則があると主張する。高層建築は「孤独や混雑」を拡張すると同時に、「コミュニティ」を衰退させ、「カタコンペ(地下埋葬所)」を回復し、「スラム」に反転する。テロリストは高層建築を破壊することによって、この四つの法則を顕在化させている。テロリズム自身も、そう考えると、同様に四つの法則が適用でき、メディアである。テロリズムは、しばしば、政治権力の獲得ではなく、政治的心情の主張を目的として行われる。それは現状への不満と将来への不安のはけ口であって、テロリストは将来の展望を立てているわけではない。暴力は「抑圧された人々の独創性の発揮とアイデンティティ探し」(マクルーハン)である。

 今のテロリズムは素朴かつ短絡的な二項対立の図式によって情勢を認識することから生じ、大きな物語と線的な歴史観の負債である。「冷戦下では、テロでもゲリラでも、構造がはっきりしていた。政治の風景になぞらえれば、対立軸がはっきりしていた。現在の謎というのは、何が何にたいして、というテロの構造が見えないことである。そして、冷戦の亡霊のように、アメリカ軍やロシア軍の残党の影がちらついていたりする。化学兵器に生物兵器と来ると、これはまるで、挫折した第三次世界大戦の夢を追っているようだ。架空の王国といった幻想とともに、宗教教団が登場する。一種のヴァーチャル・リアリティのテレビ・ゲームか劇画の世界。そのなかで現実に人が撃たれたり、死んだり」(森毅『宙づりの時代の宗教』)。

Ha nacido el Mesías en Nueva York
anda en auto blindado por precaución
el Papa le teme a algún despido en masa.

Viene rasurado y de Christian Dior
para estar a la altura de la situación
los judíos dicen que ése es el que esperaban.

Tiene un Penthouse en Manhattan
y un piso en París
un doctorado en Harvard
y un affair con una actriz.

Toma un trago en el Village con Bill Gates
oye un poco de jazz por distracción
revisa la bolsa y le invierte a la Iglesia.

Hace un poco de jogging en Central Park
aprende Kung Fu en China Town
prepara un golpe y nadie sabe la fecha.

Tiene una escolta armada
con tipos de Israel
y una Magnum 45 para él.

* Dicen que es el que vino y juró que iba a regresar
que se hizo cirugía en las manos para disimular
que es el enviado del cielo y que está en Manhattan
y esta vez su estrategia no es igual.

Tiene un socio en Japón, otro en Afganistán
habla a diario con dios por el internet
promueve un cambio y se ha ganado enemigos.

Ya compró CNN y está usando su espacio
con discursos que invitan a quitarnos el velo
y el caos impera y el planeta se espanta.

La Iglesia lo acusa de hereje
y el pentágono de terrorista
y en el filo de la navaja... la fe.

* Dicen que es el que vino...

Se ha suicidado un magnate en la Gran Manzana
se lee en la portada del New York Times
y una nube de dudas le hacen sombra al sol.
(Ricardo Arjona “Mesías”)

 二十世紀はアメリカの世紀である。それは一九〇一年ではなく、一九二〇年に始まったと考えるべきであろう。と言うのも、二十世紀は黄金の二〇年代と世界恐慌によって表象されるからである。アメリカの世紀はアメリカの生活様式や価値観がグローバル化したのではなく、アメリカへのアンビバレントな感情が世界中に蔓延したという意味で理解する必要がある。アメリカ文化に対する文化普遍主義と文化相対主義の葛藤がそこにはある。ただ、アメリカは、世界にとって、一つのアメーバ-運動体である。アメリカは、ドルと英語が体現している通り、世界の内部であるとも、外部であるとも言えない決定不能の状態にあって、アメリカが世界を支配しているわけではない。それは一つの現象であって、実体などない。アメリカを破壊すれば、世界が改善するというのは素朴な幻想である。アメリカは中心であるとも、中心でないとも言えない。アメリカの世紀は決定不能性の世紀である。「アメリカは偉大だが、それがすさまじく多くの人々の犠牲の上に成り立っていることを知らなきゃ。高級車を買ってテロリストに負けてないと見せつけてやれ、なんて言っているが、その代償に窓から自由を放り投げようとしている。高級車なんていらない。自由が大切だ」(リー・ストリンガー)。

 ジョージ・W・ブッシュ合衆国大統領がこの暴力を「戦争行為」と呼び、「報復」を誓ったとしても、相手は国家ではない。テロリストは、今言及した意味で、ドル同様、国家も、国旗も、領土も持っていない。「アメリカ人の愛国心ほど厄介なものはない」(アラン・トクヴィル)。ジョン・アーラ-キー米海軍大学院教授は、アルカイダについて、「超強力なのは組織形態だ。ビン・ラディン氏を中心に複数の組織が緩いネットワークを形成している。彼は『命令すれど支配はせず』。来春、大事件を起こせという一般的な命令を出すだけで、実際の計画作りと実行は下部の自由裁量に任される。縦の序列がない組織」であり、「軍事思想も実に優れている。実行部隊はできるだけ分散し、攻撃時にだけ合流すべきだという思想だ。十九人のテロリストがある時点で正確に集合し、五千人以上を殺害した。効率的な作戦と言わざるを得ない」と言っている。彼は、逆に、アメリカ政府に対して、「多くの点で不利だ。特に組織形態では問題だらけ。ラムズフェルド国防長官の国防総省改革は制服組の抵抗で挫折した。国防総省はFBIとろくに話もしない状態だ。各省庁を調整する国土安全保障局が発足したが、巨大官僚組織をもう一つ作って屋上屋を重ねたに等しい」と批判している。十九世紀の戦争は国家間戦争であり、二十世紀では、内戦であって、政治権力の正統性の争いである。テロリズムとの戦いは自らの政治権力の正統性を訴えるものでしかない。ドナルド・ラムズフェルド国防長官(Secretary of Defense Donald Rumsfeld)は「これに対しては各国間の変動連合で当たるべきである。それは戦いとともに変化し、進化するかもしれない。各国は異なった役割を持ち、異なったやり方で貢献することになるだろう。軍事力はテロをやめさせる道具の一つにすぎない。この戦闘は容疑者を見つけ出す税関職員とマネーロンダリング摘発で互いに協力する外交官によって戦われるだろう」と述べている。空爆は派手だが、士気の低下を除けば、効果は薄い。視覚的メディアに毒された狂信的な愛国者がカタルシスを得るだけである。テロリストはinvisibleであり、彼らを相手に効果を求めようとすれば、むしろ、invisibleな行動をとらざるをえない。テロ対策には、軍事だけでなく、外交、金融、入管、麻薬、経済開発、情報、環境などを横断する総合的な取り組みが必要とされる。テロ・グループの活動も資金がなければできない。支援者からの寄付、資金運用、麻薬売買・密輸・誘拐のマネー・ロンダリングを取り締まる方が効果的である。むしろ、ロバート・ゾーリック通商代表部代表(U.S. Trade Representative Robert B. Zoellick)の方がラムズフェルドよりも、テロ掃討作戦においては、本質的な立場にいるかもしれない。「悪人は死ぬかもしれないが、悪は決して死なない」(モリエール)。

 けれども、合衆国政府は、九月十一日のテロに関して、ハーグの国際裁判所に訴える気もないし、公判を維持できるだけの物的証拠も持ちえていないように思われる。合衆国政府は、オサマ・ビン・ラディンを捕らえた場合、国内の特別軍事法廷で裁くつもりでいる。スペイン政府は、同時多発テロの共犯として拘束している八人について、「欧州のどんな国も、軍事法廷にかけられる可能性がある限り、被拘束者を米国に移送することはできない」という方針を合衆国政府に言明している。一九九八年のローマでの外交懐疑で設置条約が採択された国際刑事裁判所(International Criminal Court)に対して、そもそもアメリカは反対している。これは、紛争下、人道に対する罪やジェノサイド、戦争法規違反個人の犯罪を裁くための常設の裁判所であるが、議会ならびに合衆国政府は海外駐留の米兵が訴追の対象になる可能性があり、アメリカの主権に傷がつくという理由でICCをつぶそうとさえしている。確かに、これまでの国際刑事法(International Criminal Law)の適用範囲や手法の再検討も必要だろう。ICLはテロリズムや武器の密輸など国際社会の法益を侵害する犯罪について、締約国の訴追、処罰の義務、刑事管轄権の設定、犯罪者引渡の義務などを定めている法であるが、従来、国際犯罪の規制に関しては、国内刑法が取り扱い、犯罪容疑者が管轄権のない他国に逃亡した場合は、国際司法協力によって引き渡しを求めていたけれども、犯罪者引渡は、引き渡される犯罪の国による相違、犯罪者引渡条約の不存、相互主義の制約などがあってスムーズに運ばず、国際犯罪の処罰は十分に実効が上がっていない。今日の国際犯罪は、複雑かつ多様になり、国際社会の法益に甚大な影響を与えるようになってきており、その対応のために、外交官を含む国際的に保護される者に対する犯罪の防止及び処罰に関する条約、人質をとる行為に関する国際条約、ハイジャック防止に関する条約、すなわち国際人権規約などによって、防止しようとしている。これらの条約は、一定の個人行為を、国内法上で犯罪とされるかどうかにかかわりなく、処罰すべき国際犯罪として、締約国の訴追、処罰の義務、刑事管轄権の設定、犯罪者引渡の義務を定めている。国家は個人の人権を国際的に保障する義務を負うとともに、国際刑事法を遵守し、国際犯罪を処罰する国際的義務を課されるようになっている。ICCはこうした背景の下、その常設が望まれているにもかかわらず、合衆国は独善的な外交姿勢から反対している。軍事行動は、明らかに、法律問題に属する。さまざまな法律や範例を照らし合わせて、軍事行動を実施しなければならないのである。
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