第3話 過去編・最初の出逢い

文字数 3,939文字

「君さあ、教会に来ないかい?」
 行く当てのない『彼女』に当時の自分は問いかけた。今思えば不純な動機もあったが。
『彼女』の家はいわゆる育児放棄で、それを見かねた留学生エカチェリーナ・カレーニアが教会に連れて来たのだ。
 何で正教会なのに新教会に連れて来たんだ、と問うとエカチェリーナは「あんた、世話見が良いでしょ。だから、連れて来た」という困った回答を抜かすから困ったものだ。エキュメニカル運動の一端で知り合ったがエカチェリーナは喰えない性格だった。豪胆というか強い。彼氏のアレクセイも一苦労だろうな。
「君、名前は?」
 そう問うと『彼女』は唇を動かした。何と美しい唇だろうな、とも思った。
「月詠」
「古風な名前だ」
「おかしい?」
「いや、良い名前だよ」
「エカチェリーナが連れて来てくれたのだけど、私はどうすれば良いの?」
「君さあ、教会に来ないかい? いや、もちろん住んでも良いんだけどさ。通っても良いし。ここならご飯もある。教育の冊子もある。世界最古の学問は宗教なんだ。だから神学もここで学べるよ」
「神学?」
「ああ、神様のことを研究する分野だよ」
「神様?」
「この世界をお創りになった方だよ」
「ああ、創るってこういうこと?」
『彼女』は掌から蝶々を生み出した。何もないところからである。
「判ったでしょ? 私が親から見捨てられた理由」
「素晴らしい!」
 自分は思わず『彼女』の両手を握りしめてしまった。しかし、興奮は冷め止まない。
 古代の聖者達の起こした奇跡そのものを模倣した業。明らかに奇跡だ。
「奇跡だ! 神の奇跡だ!」
「じゃあ、私は『奇跡使い』ってことになるのかな?」
「良いねえ! その呼称は使いたい! ねえ、月詠さん、その業は他にも使える人がいるの?」
「あなたも使えるよ」
「え?」
「私はこの能力をクオリアと呼んでいるわ」
 『彼女』は手を自分の頭に置いた。按手礼みたいだ。その瞬間、身体に電流がほとばしった様に様々な記憶が流入してきた。歴史上の記憶。
「全ての人がそうじゃないの。あなたは特別だっただけ」
『彼女』はそう宣言した。
「私も奇跡が使えるのか……凄い! 月詠さん、もっと奇跡使いは増やすことは出来るのか?」
「出来るよ」
「なら創ろう!」
「何を?」
「決まっているさ。奇跡使いの集団だよ! これがあれば世界にはびこる飢えや貧困問題も解決する。教会が主導し、世界を新しい秩序に塗りかえられる!」
「そう簡単に上手く行くとは思えないけど」
 月詠は白けた表情をしているが自分は本気だ。パクス・アメリカーナが終わり、パクス・シニカに移り変わった。世界はどんどん悪くなるばかりだ。権力者が腐敗し、貧しい者が虐げられる。こんなことがあってはならない。教会はかつて人権を創った。ならば、今度は平和を生もう。
 それから二人で短い旅に出た。志を同じく出来る信徒を見つけ、奇跡使いとして覚醒させる。   
 『彼女』のクオリアという能力は凄まじく、同胞は一万にも達した。
 彼らは各地で奇跡を行使し、灌漑農業を起こし、水路を敷き、自然を回復させていった。地球上の砂漠は減少し、温暖化も止まり、寒冷化も相まって丁度良い気候になった。奇跡使いは人々から賞賛された。
 だが、問題が出てきた。
「中華とロシアが大々的に弾圧してくるなんて」
「人間なんてそんなものよ」
 交戦すれば勝てる。それも圧倒的に。しかし、その場合、奇跡使いは人々に畏怖の眼で視られることになるだろう。それも避けられない事態だった。既に自衛の為に軍を単騎で退けた例も幾つかあった。人々は戸惑っている。
「単なる集団では駄目なんだ。より組織として透明性のある連帯が必要なんだ」
「何か考えていそうね?」
「まずは位付けする。君を『始祖』とし、その補助としてグランドプロフェッサーを創設する。その下の序列としてプロフェッサー、ドクター、マスターを創設する」
「その名称の根拠は何?」
「知的な名称を付けておけば野蛮な集団とはみなさなくなる。現に奇跡使いは皆穏健派だ。一部を除いて」
「なら、グランドプロフェッサーは私が指名するわ。クラック、あなたがやりなさい」
「私が? しかし、他にも適任はいるぞ」
「私のことをよく知っているのはあなたでしょう?」
「まあ、それなりの付き合いだからな」
 組織体制はあっと言う間に構築された。世界各国に大使館の設立。見返りとして奉仕が義務付けられた。但し、共産圏からは圧倒的に不支持が多い上にイスラム社会との確執もあった。皮肉にも西側の防波堤として機能している訳だ。
 『彼女』は奇跡使いを増やす合間に世界各国の学問を身につけていた。
 しかし、目的もなく学問を修めて意味はあるのだろうか?
「意味はないかも知れないし、あるかも知れない。それは私が決めること。あなたも政治学とか財政学とか色々なものを学んでいるでしょう?」
「組織の運営の為に必要だからな」 
 西側から援助を受けて災害援助やら哨戒を行うこともあり、奇跡使い達は毎日休む暇なく働いていた。アレクセイやエカチェリーナの様に祖国を追放された奇跡使いもいる。彼らの生活を支える為に政治部とは関係を深めなければならない。我々も無償で働く訳ではない。生活が懸かっているのだ。幸いなことにアレクセイもエカチェリーナも奇跡使いとしてはグランドプロフェッサーと遜色ない存在だった。兄、テンペスト・クロームは欧州との繋がりを利用して奇跡使いの研究機関を立ち上げた程だ。奇跡の原理を知れば、より世界に貢献出来る。ただ、それを神がお望みなのかは判らないが。
「君はよく無表情の時が多いな」
 月詠に対して漏らす。
「人間なんて信用出来ないもの」
「それは私もかい」
「さあ? どうかしらね?」
 今までの付き合いで判ったことがある。月詠は人間関係に対してのみ無気力なのだ。学問は極めて熱心に学ぶが、個人への畏敬は別だった。会話をするのも自分を含め、極少人数に限られていた。
「せっかく、可愛い顔なんだから笑えば良いのに」
「それ、褒めてるの? けなしているの?」
 そして、この反応である。素直じゃない。褒めているのだから素直に喜べば会話の仕様もありそうなものを。
「月詠」
 いつしか、さん付けは止めていた。
「これ」
「これって何?」
「ぬいぐるみだよ。部屋に飾っておけば多少愛嬌のある部屋になると思ってな」
 殺風景な『彼女』の部屋に彩どりを持たせれば少しは良い感じになると思って買ったものだ。
「ふーん、じゃあ貰っとくわ」
「良い傾向だ。興味を持つこと。これが社会で生きる上で重要になる」
「ロシアは駄目かしらね」
「おそらくな。共産党の支配が強過ぎる。正教会が譲歩しても上の政府が認めない。まあ、一枚岩ではないのが救いだが」
 少なくとも信徒は我々に好意的な方だ。ただ、ロシア政府は喧伝が上手い。世論は易々と動かせないだろう。西側でさえ我々を警戒している。世界中が我々の動向を探っている。警戒している。過激な者の中には人類と奇跡使いは似て非なる生き物であり、最終的に戦争にて決着を着けなければならないと主張する政治家すらいる程だ。
「それを言ったら中華はもっと救いがないわね」
「ああ、信徒達には済まないと思っている」
 我々の活動が却って地下教会にいる信徒を苦しめている。中華は確かに世界最大の信徒を抱える国の一つだが、教会が認められていない。国家主席達は奇跡使いを恐れている。
 世界中が奇跡使いの話題で持ち切りだ。メディアもこぞって取り上げる。連日連夜対応に追われるプロフェッサー達もいる位だ。
「何だか、あなたが思っていたのと違う世界が出来てきたわね」
「ああ、意外だった。もっと好意的に見てもらえると思ったんだが、脅威論の方が世の中に受けが良い様だ」
「良いこと、クラック。人々には奇跡使いを抑える戦力が必要なのよ。それなくしては平安の心を保てない」
「では、どうする?」
「機械文明を創るわ。それも高度な技術を有した文明で人類と友好的関係が築けるものを」
「どこでそんなものを創る? 地球は人類で溢れているんだぞ」
「世界の影の支配者達の土地を借りるわ。イスラム文明の人々には悪いけど」
「イスラエルか。確かに最先端の技術を欲しているな」
「巨大な宇宙戦艦が浮遊する光景が日常茶飯事になるわね」
「SFの世界だな」
 その日を境にイスラエルと急接近し、機械文明の発足に向けて動き出した。人類の防波堤を人類の脅威とみなされた我々が創るのもおかしな話だったがやむを得ない。
「さあ、良い子ね。こっちにいらっしゃい。『アルファ』」
 『彼女』が少し微笑んで手招きしている。『彼女』はとんでもない者を創ってしまった。自立思考機械『アルファ』は人間の様に成長し、人間の様に発想する。
 『アルファ』をベースに機械艦隊が創設された。それは中華すらも圧倒する軍事力の塊だった。時のイスラエル政権が喜んだのも束の間だ。
 『アルファ』の潜在能力を危惧したのは人類圏全土だった。
「人は狭量ね。こんな幼い子さえ殺そうとする」
「全くだ」
 つくづく誤算が多いと思わざるを得ない。
 『アルファ』を護る為に米国と司法取引をしている。イスラエルと軍事的協定を結んでいる。それでやっと『アルファ』の人権は守られている。『アルファ』ノーベル賞並みの発明を次々と創る。惑星間航行の発明。スキャン技術の発展。強大な宇宙戦艦の建造。
 そして、訪れる歴史的記念日。地球外知的生命との接触だ。だが、どうにも判ったのだが、この銀河は銀河帝国なるものが領域の八割近くを占有し、治世もあまり良くないとのことだった。
各国の議会は揉めに揉めた。同盟か服従か。奇跡使いの存在もあり、結局は中立的同盟を選べた。無難な道だろう。
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