第九章

文字数 2,689文字

 遅めの朝食をすませた後で、目を覚ませるために外に出た。山から吹き付ける風で頬が凍りつくように痛い。
 彼が私のそばに来て言う。
 「切り立った山が、高くそびえているでしょう。あれの中には、その昔、敵の襲来をいちはやく発見するために砦がたてられていたんですよ」
 「かなり高いな。遠くまで見通せそうだ」
 「昔はあそこに人が立って敵が来るのを見張ってたんですよ。敵が来たらほら貝を吹くことで見方にそれを知らせたんです。そして、メロディによって『敵が襲来した』とか『敵に負けている』とかの意味があったから、味方はそれを聞くだけで戦況が判断できたんですよ」
 「へえ、面白いな。メロディを暗号として使ってたんだな」
 彼は楽しげに言う。
 「そうですね。それに音は暗号の他にも、人を癒したり、傷つけたりもできますしね」
 「そうか!それで確信がつかめたぞ」
 彼が不思議そうに私に尋ねる。
 「なんのことですか?」
 「森で、隼人の気分が悪くなったことについてだよ」
 彼は飛び上がった。
 「えっ、森の秘密について教えてくれるんですか!」
 「あれは、おそらく音波のせいだな」
 「音波ですか?」
 「さっき隼人も言っていただろう。音は、人を傷つけることもできると。赤目が人々から呪われた地と呼ばれてきたのは、あの地が強い低周波を発しているせいだと思う」
 「低周波ですか!」
 「赤目は平原だが、まわりを山に取り囲まれているので低周波が発生しても逃げ場がない。だからあそこに行くと、頭痛がするというわけだ」
 「目には見えないものに、頭を締め付けられてるような感じでしたけど、それがまさか低周波のせいだったとは、驚きです」
 「低周波が発生する原因だが、おそらく滝のせいだろうな。滝の水がどっと流れたときに地下で震動が起こって、その時に低周波が発生しているんだ。私が森で地鳴りを感じたのも、地下へ水が流れたせいだろう」
 彼は、口を大きく開けながら言う。
 「そんなことが分かるなんて、さすが霜村さんですね」
 私は嬉しくなり、頭をかく。
 そのとき、お祖父さんの声が聞こえた。
 「隼人、隼人!」
 彼は、家のなかで手を振っているお祖父さんのもとに駆けていった。
 すぐに彼は戻ってきたが、その手には小さな鞄を持っている。
 私は怪訝そうな顔で聞く。
 「その鞄はどうしたんだ」
 「家の近くの寺に面白いものがあるから、お祖父さんがぜひ連れていくようにって。これはお弁当ですよ」
 私は、とたんにウキウキしてきて、お祖父さんに向かって手を振り、大声で叫んだ。
 「行ってきます!」
 お祖父さんは、笑いながら大きく手を振った――。
 
 遠くの山々が、青くかすんでいる。そこに咲いている花が、目に染み入るように鮮やかだ。
 山を登りきったところに、一族と関係の深い寺があるのが見えた。えらく昔からあるという古い寺で、今は無人だ。
 山風に長い年月さらされて、ところどころぼろぼろになっている。
 「なんだか風情のある寺だな。だが、ぽつんとしていてさびしそうだ」
 彼は言う。
 「僕たち、中野家専用の寺ですからね。一族の衰退と共に、近づくものも少なくなって、ぼろぼろになったんです。でも、あの寺には、考古学的に見て重要だと思われる遺物がいくつもあるんですよ。僕にとっては、まさに宝の山ですね。」
 寺にたどり着いた。
 「中に入りますよ」
 彼は、厚い梶の木の扉を開ける。長い間開けられていなかったのか、扉はきしみ、不気味な音をたてた。
 そこは小さな寺だった。壁や柱にもなにも彫刻されておらず、寒々しく、殺風景だ。祭壇の上にも古く錆びている仏像が置かれている。私は少しがっかりした。もっと目の覚めるような珍しい遺物を期待していたのだが。
 しかし、彼はいたずらっぽい目で、私の顔を覗きこんだ。
 「霜村さん、どうですか?この寺は」
 私は、彼をがっかりさせないように、誉め言葉を必死に探して答えた。
 「なんというか、素朴で趣がある寺だな」
 彼は笑いだした。
 「わかってますよ、霜村さんの気持ちは。ちょっとこれを見てくれますか」
 私は彼に言われて、彼の立っている場所に慌ててかけ寄った。
 彼の立っていたところには、切れ目ととってのようなものがついている。
 私の立ち位置を確認すると、彼は取っ手を持ち上げた。すると驚いたことに、寺の床が外れて中には階段が続いていた。
 やがて、地下の全容がしだいに見えてくる。
 私は思わず歓声をあげた。
 寺の地下には、大きな寺が広がっていた。壁や天井には、神々の装飾が施されている。表から見た寺は実にちっぽけなものだったが、地下に隠されている真実の寺は神々しい輝きを放っている。
 正面には大きな黒い大理石の仏間があり、三体の仏像が並んでいる。その細工の精密さに、私は驚いた。仏像の表情のひとつひとつがリアルに彫られている。私は彼に尋ねる。
 「これはいつの時代のものなんだ」
 「それがわからないんです。今までに見たどの時代の様式にも当てはまらない。ひどく古いのは分かるが、未知の様式と言うしかない。それと、霜村さんに見せたいのはまだあるんですよ」
 彼は奥の壁を指差した。
 そこには暗い洞窟が広がっている。天井も壁も黒く艶やかだが、なぜか白く発光している。奥の壁には棚が作られていている。水が揺らめくたびに光が走り、ひどく不思議な感じがする。
 「ここは?」
 私の問いに、壁をさわりながら彼が答える。
 「古い神殿だよ。地下の洞窟を掘って作り上げたんだろう。これは蛍光石だよ。上の岩や石の隙間から差し込む紫外線によって、発光するんだ」
 凄くきれいだ。みずから発光する石だなんて。古そうな神殿なのに、光る石のせいか未来的な感じもする。
 「この地下神殿は中野家の聖地なんですよ。石にはそれぞれが特別な力を持っていると言われている。だから昔の人はここを大切にしていたんだ」
 私たちは奥に進んだ、棚の上には、小さな透明の箱が置かれている。
 「この中です、僕たちが目指していたものはここにあります。」
 私は、あまりの装飾に一瞬それが何かわからなかった。金糸で縫い取りの入った紫色の表紙に、銀と赤で花が美しく描かれている。彩飾された表紙の文字を見て、私は呻いた。
 「『科学の真髄』だ!」
 外側を岩で覆われた、存在事態が隠されていた中野家の家宝。
 それがまさか、神木 誠治が探していた、『科学の真髄』だったとは――。
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