プロローグ
文字数 2,297文字
「『悩み』ね」
私は、呟いた。
机の上におかれたスタンドライトが、暗い部屋の中で私の横顔を照らしている。
身につけている服は白衣で、明かりが照らすたびに私を美しくも、儚く見せている。
私は、控えめにせきばらいをし、先を促すように前に座っている男を見つめる。
男は静かに語りだす。
「実は、探してもらいたい人がいるのだよ」
私は尋ねるように復唱する。
「探してもらいたい人、ですか」
男はうなずく。
「私の友人なのだが、電車に乗ったというところまでは分かったのだが、それからの行き先がわからなくてね」
私は軽く頭を下げる。
「たしかにそれは、悩みと呼べるかもしれませんね」
男は、真剣な顔つきで目を瞬かせる。
「この話にはまだ続きがあってね。彼は電車から突然いなくなったのだ、どこかの駅で降りた、ということもなくてね」
私は困ったふうにかぶりをふる。
「本当ですか?
それなら電車の窓から飛び降りなければならないことになりますが……。
さすがにまゆつばもののような気がします」
男は言う。
「たしかに信じがたい話かもしれない。だが、本当に真実だとしたらどうする?
このまま何もせず、何かの事件に巻き込まれ、殺されたとしたら」
私は背筋を伸ばし、姿勢を整え言った。
「おそれながら、安藤さま、私がいつ相談に乗らないと言いましたか。
私は、街のごみ拾いから、人探しまで何でも受け合いますよ」
安藤という名の男は、含み笑いを漏らして答えた。
「だからこそ、君に頼んだのだ。
なんとしても解決してくれよ、霜村カナ」
そう呼ばれた私は、顔色一つ変えずに、大きくうなずいた。
私のことをご存じだろうか。
悩み相談所の所長。解決した悩みは数知れず、その鮮やかな手並みは新聞でも取り上げられ、街の人たちの間でちょっとした話題にもなっている。
しかし、私はどんなに騒がれ持ち上げられようともどこふく風で、ほこりっぽい自室にこもり、本に埋もれて、読書三昧の日々を暮らしている。
優雅で頭も良い淑女だが、人の悩みが大好きで、街の人たちにも自ら悩みを聞きに行ったりもしている。
長くて真っ直ぐな黒い髪に、意志の強そうな大きい黒い目をしなやかなまつげが縁取り、淡赤色の唇を固く引き結び、トレードマークの白衣はどんなときでも手放さない。
そして今、そんな私に依頼として持ち込まれたこの悩みは、常識的にはとても考えられない、とんでもない悩みだったのだ。
私が、身支度をして外に出ると、安藤が車を用意して待っていた。
「ようやく出てきたか、早く乗ってくれ。わたしもあまり暇ではないのでな」
そう言われた私は足早に安藤ご自慢の真っ白な外車に乗り込み、最寄りの駅に向かう。京都の街路は複雑だ。六差路ならまだしも、八差路などというものまである。
さらに、車と人力車が混在している街路では、ひどい交通渋滞がよく引き起こされる。
私が乗っている車も一度ならず渋滞に巻き込まれたが、ようやくそれを抜け、車は快適に走り出した。
並木道がうっすらと桃色に色づきはじめている。京都の春は美しい。もうすぐオレンジや赤、白など様々な色が道の両脇を埋め尽くすだろう。
しばらくすると舗装されていない道に入った、獣道と呼ばれるようなものでひどくでこぼこしている。
安藤は窓の外を眺めながら私に話しかけてきた。
「ところで、私の友人の話なのだが、彼の名前は神木 誠治というのだ。
彼はこの手紙を書いて、こつぜんと姿を消してしまってね。」
そういうと安藤は上着のポケットからしわくちゃになった手紙を取り出して、私に聞こえるように読み出した。
『親愛なる安藤くん。
私がこれから書き残すことを、どうか信じてほしい。ひどく奇妙に思われるだろうが、これはすべて真実だ。
私はいま特急に乗っていて、生まれ故郷の伊賀の青山町に向かっている。
現在の通過地点は赤目。大きな滝がぽつりとある、深い霧に包まれた地だ。
ここで驚くべきことが起こった。
窓の外を眺めていたら、昼の空に突然、巨大な島が浮かび上がったのだ。
私は目を疑った。
空に島などないのは当たり前のことだ。だが現実に、いまにも崩れ落ちてきそうな島が空に浮かんだのだ。
雲のなかから、太陽の光にぼうっと照らし出されて。
私はどこかおかしくなったのかもしれないと思い、暫し呆然としていた。
そのとき私は、電光が走ったように閃いた。
ひょっとしたら、これこそが伝説の島、私が長年探し求めてきた『飛行島』だったのではないか。
磁気によって天に浮いており、心棒を操作することによって上下左右自由に動くことが出来る。
都市の住人のほとんどは科学者であり、数学や天文学にはじまる様々な学問を修め天才的な頭脳をもっている。
それが、いにしえより語り継がれてきた『飛行島』の伝説だ。
安藤くん。
私は列車を降りようと思う。
もしも、私の見たものが本当に飛行島であるならば、そこには科学者ならば誰もが夢に見る禁断の『科学の真髄』があるはずだ。科学者の私にとって、世界のあらゆる科学が、書き文字として記述されている『科学の真髄』を手にいれることはどんなことにもまさる。私は幻の『科学の真髄』を手にいれることに、人生のすべてをかけてきた。
もしも、私が君の前に二度と現れなかったなら、この本に命を捧げたと思ってくれ。
私はこれから飛行島と、そこに隠されている『科学の真髄』を探しに行く――。』
私は、呟いた。
机の上におかれたスタンドライトが、暗い部屋の中で私の横顔を照らしている。
身につけている服は白衣で、明かりが照らすたびに私を美しくも、儚く見せている。
私は、控えめにせきばらいをし、先を促すように前に座っている男を見つめる。
男は静かに語りだす。
「実は、探してもらいたい人がいるのだよ」
私は尋ねるように復唱する。
「探してもらいたい人、ですか」
男はうなずく。
「私の友人なのだが、電車に乗ったというところまでは分かったのだが、それからの行き先がわからなくてね」
私は軽く頭を下げる。
「たしかにそれは、悩みと呼べるかもしれませんね」
男は、真剣な顔つきで目を瞬かせる。
「この話にはまだ続きがあってね。彼は電車から突然いなくなったのだ、どこかの駅で降りた、ということもなくてね」
私は困ったふうにかぶりをふる。
「本当ですか?
それなら電車の窓から飛び降りなければならないことになりますが……。
さすがにまゆつばもののような気がします」
男は言う。
「たしかに信じがたい話かもしれない。だが、本当に真実だとしたらどうする?
このまま何もせず、何かの事件に巻き込まれ、殺されたとしたら」
私は背筋を伸ばし、姿勢を整え言った。
「おそれながら、安藤さま、私がいつ相談に乗らないと言いましたか。
私は、街のごみ拾いから、人探しまで何でも受け合いますよ」
安藤という名の男は、含み笑いを漏らして答えた。
「だからこそ、君に頼んだのだ。
なんとしても解決してくれよ、霜村カナ」
そう呼ばれた私は、顔色一つ変えずに、大きくうなずいた。
私のことをご存じだろうか。
悩み相談所の所長。解決した悩みは数知れず、その鮮やかな手並みは新聞でも取り上げられ、街の人たちの間でちょっとした話題にもなっている。
しかし、私はどんなに騒がれ持ち上げられようともどこふく風で、ほこりっぽい自室にこもり、本に埋もれて、読書三昧の日々を暮らしている。
優雅で頭も良い淑女だが、人の悩みが大好きで、街の人たちにも自ら悩みを聞きに行ったりもしている。
長くて真っ直ぐな黒い髪に、意志の強そうな大きい黒い目をしなやかなまつげが縁取り、淡赤色の唇を固く引き結び、トレードマークの白衣はどんなときでも手放さない。
そして今、そんな私に依頼として持ち込まれたこの悩みは、常識的にはとても考えられない、とんでもない悩みだったのだ。
私が、身支度をして外に出ると、安藤が車を用意して待っていた。
「ようやく出てきたか、早く乗ってくれ。わたしもあまり暇ではないのでな」
そう言われた私は足早に安藤ご自慢の真っ白な外車に乗り込み、最寄りの駅に向かう。京都の街路は複雑だ。六差路ならまだしも、八差路などというものまである。
さらに、車と人力車が混在している街路では、ひどい交通渋滞がよく引き起こされる。
私が乗っている車も一度ならず渋滞に巻き込まれたが、ようやくそれを抜け、車は快適に走り出した。
並木道がうっすらと桃色に色づきはじめている。京都の春は美しい。もうすぐオレンジや赤、白など様々な色が道の両脇を埋め尽くすだろう。
しばらくすると舗装されていない道に入った、獣道と呼ばれるようなものでひどくでこぼこしている。
安藤は窓の外を眺めながら私に話しかけてきた。
「ところで、私の友人の話なのだが、彼の名前は神木 誠治というのだ。
彼はこの手紙を書いて、こつぜんと姿を消してしまってね。」
そういうと安藤は上着のポケットからしわくちゃになった手紙を取り出して、私に聞こえるように読み出した。
『親愛なる安藤くん。
私がこれから書き残すことを、どうか信じてほしい。ひどく奇妙に思われるだろうが、これはすべて真実だ。
私はいま特急に乗っていて、生まれ故郷の伊賀の青山町に向かっている。
現在の通過地点は赤目。大きな滝がぽつりとある、深い霧に包まれた地だ。
ここで驚くべきことが起こった。
窓の外を眺めていたら、昼の空に突然、巨大な島が浮かび上がったのだ。
私は目を疑った。
空に島などないのは当たり前のことだ。だが現実に、いまにも崩れ落ちてきそうな島が空に浮かんだのだ。
雲のなかから、太陽の光にぼうっと照らし出されて。
私はどこかおかしくなったのかもしれないと思い、暫し呆然としていた。
そのとき私は、電光が走ったように閃いた。
ひょっとしたら、これこそが伝説の島、私が長年探し求めてきた『飛行島』だったのではないか。
磁気によって天に浮いており、心棒を操作することによって上下左右自由に動くことが出来る。
都市の住人のほとんどは科学者であり、数学や天文学にはじまる様々な学問を修め天才的な頭脳をもっている。
それが、いにしえより語り継がれてきた『飛行島』の伝説だ。
安藤くん。
私は列車を降りようと思う。
もしも、私の見たものが本当に飛行島であるならば、そこには科学者ならば誰もが夢に見る禁断の『科学の真髄』があるはずだ。科学者の私にとって、世界のあらゆる科学が、書き文字として記述されている『科学の真髄』を手にいれることはどんなことにもまさる。私は幻の『科学の真髄』を手にいれることに、人生のすべてをかけてきた。
もしも、私が君の前に二度と現れなかったなら、この本に命を捧げたと思ってくれ。
私はこれから飛行島と、そこに隠されている『科学の真髄』を探しに行く――。』