第八章

文字数 3,157文字

お祖父さんは、おそらく八十歳に届くかどうかと行ったところか、老人なのに髪の色は黒く、濃い紫色の瞳で私たちのほうをじっと見つめている。光が宿り輝いている目は、心の奥で考えていることを全て見通してしまいそうだ。
 旅の疲れを癒すためにと、お祖父さんが用意してくれたお茶は、昔懐かしい味の麦茶で、とても美味しかった。
 お祖父さんはしみじみと言う。
 「あんたは隼人の大事な友人なんだってね。この子はなにせ変わってるけど、これからも仲良くしてやってくれるとありがたいね」
 私はにっこり笑って言った。
 「もちろんです。隼人は面白くって、かつ魅力的な人ですから」
 「そうかい」
 お祖父さんは嬉しそうに相好を崩す。
 私は、お祖父さんに向き直った。
 「ひとつお聞きしたいことがあるんですが」
 「なんだね」
 「神木一族のことです。この地方では、神木一族は古くからある有力な一族ですが、中野一族もそうですよね」
 「ああ、そうだね」
 「神木一族と中野一族との間には、その昔、確執があったのですか」
 お祖父さんは苦笑いした。
 「この話は長くなる。まずは夕食にしよう。用意が整うまで庭を見ておいで。この家の庭は、わしの自慢だからな」
 そう言われて、私たちは外に出た。
 ひび一つなく整備された石造りの門。その門の先に通じている道は、迷路になっている。迷路を抜けると、巨大な庭園が広がっているが、この迷路も、枝が寸分の違いもなく、同じ長さで伸びていて、圧倒されるほどだ。
 お祖父さんの自慢の庭は、崇高ともいえる美しさをとどめていた。整っているものに対して、人は強い憧憬の気持ちを抱くものだ。私は、うっとりと眺めていた。
 夕食に出してくれたのは、魚の煮付け、じゃがいもの煮物に、卵料理、おやつまであり、私はお腹がいっぱいになった。夕食を終えたあと、お祖父さんに話しかけた。
 「少し前の新聞に、青山町の北東部で辰砂の鉱床が発見されたという記事が載っていましたが、その事はご存じですか。青山町の北東部といえば、中野家の領地のはずですが」
 だが、お祖父さんは少しも動じない。
 「それがどうしたね」
 私は不思議に思い尋ねる。
 「驚かないのですか。鉱床ですよ。たいへん価値のあるものだと思うのですが」
 お祖父さんはさらりと言う。
 「わしたちは、昔から鉱床の存在を知っていたよ。薬にも使っていたほどだ。もっとも、そのせいで我が一族は短命だったのかもしれないがね」
 私はなんだか、拍子抜けしてしまった。中野家の人々が鉱床の存在を、しかも昔から知っていたなんて。
 「大々的に掘り出そうとはしなかったんですか」
 「はわしらの一族のために、必要なぶんだけ掘って使っていた。だが、もう一切使わないことにしたんだ。あれには危険が多すぎる」
 それを聞いて、私は思わず口走ってしまった。
 「ですが、鉱床を持っていたら大金持ちなんですけどね。隼人も、下宿代が払えずに追い出されるなんてこともなくなりますよ」
 「し、霜村さん!」
 彼に小さな声でたしなめられ、しまったとかたをすくめたがもう遅かった。お祖父さんが、怒りで鼻筋を白くして言った。
 「隼人、お前は何をしているんだね」
 「す、すみません、お祖父さん、じ、実は泥棒に入られてお金を盗まれてしまって」
 私も彼に続けて言う。
 「嘘ではありません。隼人が泥棒に入られたのは事実です」
 お祖父さんは鼻をならした。
 「友人だからってかばっても、わしの目はごまかせんよ」
 「いえ、本当です。そしてそれは、青山町の森の奥で行われている犯罪と関係していると思われます。それを証拠に警察署が事件解決に乗り出してきましたから。
 警察の話によると、現在青山町では町ぐるみの大きな犯罪が行われていますが、それは中野家の鉱床を巡って行われているらしいです」
 お祖父さんは胡散臭げな顔をして言った。
 「どうも解せないね。うちの鉱床が、何で青山町の犯罪と関係するんだね」
 「鉱床は、神木家の所領の近くで発見されたそうですね」
 お祖父さんは考え込むようにして言った。
 「その通りだよ。このあたりは、山が押し上げられたり削られたりしてできた土地だからね。本来だったら地底深く潜っている地層が、頭よりも高いところから現れたりする。うちの鉱床もそんな具合だ。地表にも顔を出しているが、地底にも大きく広がっている。だけど中野家ではもうそれを掘り出して使おうとは思わない。わしらの一族は辰砂を封印したんだ」
 私はかぶりを振って言った。
 「世の中にはそうは考えない人間もいるんです。中野家の辰砂を横取りしようと画策しているのが、誰あろう青山町の領主、神木 誠治です。
 現在の神木家の当主、神木 誠治はたくさんの労働者を使って地下都市からトンネルを掘り進め、中野家の領地にまで侵入し、を盗んだんです」
 「なんだって!だが、なぜ盗んだと断定できるんだね」
 お祖父さんが叫ぶ。
 私は言う。
 「盗んだと断定するわけは、労働者たちの健康に害が出ているからです。私たちが出会った子供の話によると、家族がみんな、寝込んでしまったそうです。おそらく、全員が影響を受けたんでしょう」
 お祖父さんは頭を掻いた。
 「なんということだ。あんな危険なものをなんの予備知識もない労働者たちが扱っているなんて。おそらくろくな防護措置もせずに、鉱床に入っているに違いない」
 「そうなんです。だから一刻も早く、掘削作業をやめさせなければなりません。いまや盗掘は神木家だけの問題ではなくなってしまっているんです」
 「なるほど。事態の深刻さがようやく飲み込めたよ」
 お祖父さんがうなずいて言った。
 「しかし、今日はもう遅い。話はまた明日にして、今日はもう寝なさい。隼人、彼女を部屋に案内してあげなさい――」
 
 彼が前にたち、暗い階段を上っていく。私と彼の長い影が壁に投げ掛けられ、ゆらゆらと揺らめく。
 この家はお祖父さん一人しかすんでいないらしく、周りを山に囲まれていることもあってか、夜になると物音ひとつしない静かな家だ。
 寝室のドアを開ける。蝶番のきしむ音が響き渡り、私は思わず首をすくめた。廊下の天井が高いので、音がよく響く。古い家につきもののこの音は苦手だ。
 部屋に足を踏み入れると、その部屋には布団がなぜか二つあった。
 お祖父さんが、私たちのために敷いてくれたそうだが、なにも部屋を同じにしなくても良かったのではないか。
 彼は、おやすみなさいと静かに頭を下げて、明かりを消した。
 布団に横になったが、彼の寝息が耳につく。何しろ、彼と一緒に寝るのはこれがはじめてなのだ。しかも、鈴にあれほどいわれた日の夜だ。彼の寝息が気になって眠れない。きっとこのまま一睡もせずに、夜が明けるのを待つことになるのだ――
 
 女性の声がする。
 ガラスを震わせるような、透明で美しい声。
 耳を澄ませてよく聞くと、それは私の声だ。
 目の前には彼がいる。
 彼と私。二人の胸のうちには深い悲しみがある。
 なぜ結ばれないのだ。
 こんなに愛しているのに。
 私の叫び声が、嘆きが、辺り一面に響き渡る。
 たとえ私が幸せになれなくとも、私はあなたの幸せを願っている。
 永遠に――
 
 窓のそとで、鳥のさえずりが聞こえて、私は飛び起きた。
 部屋の中は、カーテンの隙間から差し込む、薄白い光で満たされている。
 いつのまにか朝になっていた。
 彼を気にしながらもなんとか寝れたのだ。
 だが、代わりに奇妙な夢を見た。
 なぜだかその夢は、本当にあったことのような気がした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み