第三章

文字数 4,812文字

 名張は奇妙な町だった。 
 どこが、と言われると返事に困ってしまうが、何かがおかしい。
 ひょっとしてそれは、深く立ち込めている霧のせいなのかもしれない。
 ひとっ子一人いない町の大通りを歩き、霧のなかから私たちを導いているかのように明るく灯っていた街灯を見つけたときは、心から安心してため息を漏らした。
 灯りに照らし出されていたのは、白い鶴の描かれた看板、『鶴亀亭』。
 『鶴亀亭』には都会のホテルのような、旅行客の笑い声や話し声はなかった。
 客の姿は一人もなく、亀のように表情がない、ぶ難い顔の、濃いあごひげを生やした亭主が、無言で立っていた。
 一晩の宿と暖かい食事にありつけたときは、それだけでもうけものだと思った。
 しかし、部屋に通されたとき、何だか妙な気配を感じ、ひどく不安になった。
 疲れていたので、私はすぐに布団に入った。思っていたよりもよい布団で、清潔なシーツの肌触りは心地よく、旅の疲れを十分に癒してくれそうだ。
 だが、なかなか寝付くことができない。
 理由は壁から視線を感じたからだ。別に壁から目が出ているというわけではないのだが、私はそれから逃げるように布団を頭からかぶり、目を閉じた。
 
 いつのまにか、朝が来ていた。
 あれから案外すんなりと眠ってしまったようで、私は自分自身に驚いた。
 暖かい布団から出るのが面倒なので、シーツにくるまって、あれこれ考え事をする。
 眠っている間、私は列車に乗っている夢を見た。何だかまだその揺れが感じられるようだ。まるで町自体が、ずっと揺れていたみたいに。
 奇妙な町という感覚は、やはりいまだぬぐえない。
 その時ふっと私の頭に浮かんだのは、ここが作り物みたいな町だということだ。
 作られた町。
 なぜそんな風に思ったのだろうか。わからない。
 その時、扉を叩く音とともに、彼の声が聞こえた。
 「霜村さん。まだですか」
 しまった!集合時間だ。
 私は慌ててシーツをはねのけ、大急ぎで外出の用意をした。
 
 外に出ると、陰湿な曇り空が、頭上に広がっていた。
 京都に比べるとかなり気温が低く、冷たい空気が襟元や袖口から忍び込んでくる。
 羊の耳当てが、ものすごく役立ってくれている。ふわふわとした毛触りを耳や頬で感じるたびに、本当に買っておいて良かった思う。
 今日は七地蔵の前で、山田さんという人と待ち合わせをしていた。
 昨日私が、亭主に聞き込みをしたところ、赤目で見つかった死体は、名張からさらに、青山町の方へ運ばれていったということだった。それが神木さんかどうかはっきりしないが、青山町が彼の故郷であることから見て、その可能性は高いと見ていい。
 しかし私は青山町へ向かう前にまず、飛行島が見えた森を探しに行くことにした。森があったと思われる赤目までの車の調達を頼んだら、亭主が山田さんを紹介してくれたのだ。
 七地蔵の前に差し掛かる。昨日は霧で見えなかったが、その後ろには墓地があった。しかし、墓地は荒れ果てていて、墓石は傾いている。ごつごつとした墓石に刻まれた文字を見て私はぎょっとした。そこには右から順番に、祖父、祖母、父、母、子供と見られる名前が刻まれていたのだ。
 もしかして、七地蔵となにか関連があるのだろうか。だとすると足りないのは結びと賢者になるが、ひょっとして私たちのことではないだろうか。
 しばらくすると、墓石の後ろから、ひどく痩せ、顔にはたくさんのシワが入った骸骨のような男がゆらりと現れた。一瞬幽霊だと思い、私は悲鳴をあげそうになった。
 それが山田さんだった。お墓にお参りしていたそうで、幽霊だと思うなんて悪いことをした。
 山田さんは、車まで私たちを案内してくれ、しゃがれた声で聞いてきた。
 「赤目へはいったいなんの用事で行くんじゃ」
 私は飛行島のことを悟られないように言った。
 「私は旅行客なんですが、あの辺りはまだ行ったことがなくって、何があるのかと思いまして」
 「ほう、ならあそこには大きな古墳があるでな」
 私は思わず叫んでいた。
 「古墳があるんですか!」
 「なんだ、知らんのかね。この辺りでは一番有名な場所じゃないかとわしは思うんだがのう。もっとも最近では誰も寄り付かなくなってしもうたが」
 彼は怪訝そうに聞く。
 「それはどうしてです?」
 「赤目に行ったものは神隠しにあったみたいに消えてしまうんじゃ。だからこの町のものは皆近づかん。近くの村がまるごと消えてしもうたという話を聞いたこともある」
 「まるごとですって!」
 「だからわしがいくのもその近くまでじゃよ。それでもよいならば乗りなさいな」
 私は、お弁当に水筒と携帯用の非常食を持って、山田さんの車に乗り込んだ。車が走り出したとき、墓石の向こうに男が素早く身を隠したのを、私は見逃さなかった。ピシッとしたスーツを着て、口髭を生やし、サングラスをかけている男だ。
 私は、動揺し叫んだ。
 「あの男だ!隼人、京都線特急で見かけた男だ」
 私の言葉に彼は疑問を感じ聞いてくる。
 「霜村さん、京都線特急で見かけた男って誰ですか」
 「連結扉の前にたって、ずっとこちらを見ていた男がいたんだ。まさかそいつもこの町に来てたなんて」
 彼は不可解な面持ちでいう。
 「連結扉の前でこちらを見ていた男が同じ駅で降りたところの、どこがおかしいんですか。京都線特急だってもう復旧していると思いますけど」
 「隼人、誰かに狙われているかもって言ってたよな。家に泥棒が入られたり鍵をとられたり。ひょっとしてその男の仕業なんじゃないかと思ったんだ」
 彼はのんびりした口調で言った。
 「それは考えすぎじゃないですか。いくら僕の発明がほしくたって、こんなところまで追いかけては来ないでしょう。この駅で怪しげな男が降りたのは偶然の一致だと思いますよ。霜村さんは実に有能ですけど、心配性なところが玉にきずですね」
 「そんな!偶然の一致だなんて」
 私は、彼ののほほんとしたようすが面白くなかった。一連のおかしな出来事は、すべて彼に関わりがあって、怪しい男が頻繁に出没しているのはほぼ確実なのに、こんなに悠長に構えていていいのか。危機感が足りないんじゃないか。
 彼にたいして言いたいことは山ほどあるが、とにもかくにも出発だ。
 山田さんは車を運転しながら、消えた村のことを話してくれた。それは赤目にある、名も知らぬ村だったという。
 「その村は森の中にあった、しかも手前には大きな池があったんじゃ。村がそこに見えとるのに行く手がない。だから、一切の交流を持たないままで、わしらは長い年月過ごしてきた」
 「面白いですね。そこにあるのが見えているのに行けないだなんて」
 「この地方ではよくあることじゃよ。山や森、池や川が邪魔をして行きにくい。そんなことがね」
 ある日のことだ。赤目駅から森の方を見たら、村が消えていた。家も、家畜も、もちろん人も。何ヵ月たっても戻ってくるものはなく、村はそのまま消滅してしまった。
 「これは二十年ほど前の話じゃが、不動明王による仕業だと言われとったよ。赤目は不動明王が赤い目をした牛に乗って現れたと言われとる地じゃからな。この事があってから、町の人間は赤目に近づかなくなった。」
 話をしているうちに、黒い広野が視界に広がり始める。
 これが、赤目か。なんて荒涼たる風景だろう。石や岩が黒いというだけでも不吉に感じる。
 あれはなんだろう。小高い丘のようになっていて、その頂上には札が立っている。これが赤目で有名な古墳か。その遥か彼方には、黒い森が広がっている。
 山田さんは車を止めた。
 「ここまでじゃ。車を降りとくれ」
 彼が驚いたように言う。
 「まだ途中じゃないですか。森まではかなりありますよ」
 「言ったじゃろ。赤目の近くまでしか行かないと。もうこの辺が限界じゃ。わしは帰る」
 「ええっ、でもあなたが行ってしまったら町までの帰りが」
 「帰りの話なんかしとらん。わしが約束したのは、あんたらをここまで連れて来るってことだけじゃ」
 山田さんは私たちを無理矢理車から降ろすと、凄いスピードで走り去ってしまった。
 彼が車を見送りながら、間延びした声で呟いた。
 「あれ、本当に行ってしまいましたよ」
 私も呆然とその場に立ちすくむ。
 「赤目に置き去りにされたって訳か」
 「まいりましたね。どうやって名張の町まで帰れっていうんですか」
 ぶつぶつ言う彼に、私は明るい声であっさりと言う。
 「歩くしかないな」
 彼は情けない声を出して叫んだ。
 「ええ!歩くんですか」
 「名張まではここから約8キロ。昨日と同じくらいの距離だから、歩けないってことはない。それよりはやく、古墳を見に行こうじゃないか」
 私はすたすたと歩きだした。古墳の向こうには、黒々とした大きな森が広がっている。
 彼は私に遅れないように小走りになった。黒い森を見ながら、彼はかすかに身震いしていった。
 「ここ、何かありそうですね」
 私もそう思ったが、ここには土地の気、しょうきといったらいいのだろうか、それが立ち込めている。
 私は、不思議そうな顔をしていった。
 「珍しいな。隼人がそんなことを言うなんて」
 「山田さんは本気で赤目をいやがっていました。土地の人があれだけ言うんです。ここにはなにか恐ろしいことが潜んでいるに違いありません。僕もここに近づくに連れて、頭がいたくなってきました。この土地にはなにか邪悪なものがありそうです」
 「頭が痛いって?それはきっと、土地の気に当てられたな。それもひとつの手がかりになるかもしれない」
 私は目を輝かせながら言った。
 赤目は、石があちこちに転がっていて歩きにくい。ごつごつした岩山を登ると、ようやく古墳にたどり着く。
 平たくならされた丘に、五個の岩が五角形に並んでいる。ひとつの岩の大きさは、私の背と同じぐらいで、横は両手を伸ばしてようやく届くか届かないかと言ったところだ。
 彼は私に聞く。
 「これはいつ頃作られたものなんでしょう」
 「おそらく、千七百年から千六百年ほど前だ」
 「ええっ、そんなに古いんですか」
 彼は眼鏡をずらしながら、顔をくっつかんばかりにして岩を眺めている。
 「これを掘り起こせば、たくさんの人骨が見つかるだろう。それを調べればもう少し詳しく年代が特定できるかもしれないな。古墳は昔の墓なんだ。石には人を引き寄せる不思議な力があるので、整地を作る際には、巨石が使われたんだろう」
 しばらく私はこの古墳の回りを調べてみることにした。
 彼は何をしているだろうかと彼の方を見ると、落ちていた木の枝で地面を掘っている。
 「なにやってるんですか」
 「いや、僕も発掘してみようと思いまして。霜村さんにもなにかお土産ができた方がいいでしょう」
 私は彼のそんな話を聞いて笑いだした。
 「いやいや、隼人、そんな気遣いは無用だ。それより次の目的地に移動しようじゃないか」
 「次の目的地ってどこですか」
 「あそこだよ」
 私は、森に向かって指をさした。私は指をさしながら、思わずぞくりとした。まるで迷いの森だ。ひとたび迷い混んだら容易には抜け出られない。
 だが、確かに京都線特急から見えたのはあの森だ。飛行島がそこに出現したのなら、森を調べなくてどこを調べるというのだ。
 彼はベコベコになっているハンチングを、後ろにずらしながら言った。
 「これはこれは!いかにも危険がたくさん潜んでいそうな場所ですねえ!」
 私はふふふと笑う。
 「私が追い求めているのは手がかりだからな。手がかりのあるところ、常に危険は付き物さ」
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